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わたしが小学生のころ、クラスに口裂け男とよばれている子がいた。
冬はもちろん、夏の暑い日だって、欠かすことなく大人用のマスクを着けている。目の下ぜんぶが、マスクでおおわれていた。
『庭戸くん、ほっぺたにおっきな傷があるんだよ』
いつだったか由香ちゃんが、わたしの耳にくっつきそうなくらいくちびるを寄せてきて、そういった。由香ちゃんのなまぬるい息が耳にかかって、ぞわっとしたのを覚えている。
傷ってどんな傷? そうきくと由香ちゃんは、えー知らなーいとこたえた。だって、見たことないもーん、と。
見たこともないのに、どうしてついさっき見てきたようないいかたをするのか。
わたしが、そうなんだ、とこたえると、それだけー? 理子ちゃんつまんなーいといわれた。
とにかく由香ちゃんときたら、いつもこうやってひとのうわさばなしをする。将来、芸能人をスクープするお仕事とか向いているんじゃないだろうか。
「庭戸くんって、給食のときいっつもいなくなるよねー」
ある日の給食の時間。またもや由香ちゃんが、庭戸くんのことをうわさした。口裂け男っていうのは、庭戸くんのこと。
由香ちゃんの声は、スピーカーからながれてくる放送委員の声より大きくて、班がみっつはなれたわたしの席までじゅうぶんきこえてくる。
教室のすみっこでコッペパンをちぎっていた三好先生が、ぎくりと眉をあげていて、先生には生徒にいえないことがたくさんあって大変だなあと子どもながらに同情した。
たしかに庭戸くんは、給食の時間になるといつもいなくなる。だけど、そういうことが何度か続けばのっぴきならない事情があるんだろうなってわかるし、そのなにかを詮索しちゃいけないって空気も読める。由香ちゃんは、いつもそういう空気が読めない。
給食を食べ終えてから職員室へ行こうと階段を駆けおりていたら、階段のでっぱりにつまづいてみごとに転んだ。
痛みはたいしたことなかったけれど、ひざからは血がにじんでいた。たまたま通りかかった三好先生が、保健室に行きなさい、という。いうだけで、連れていってはくれない。
そのうちに、ほかの先生や生徒たちがたくさん集まってきて、わたしは恥ずかしくなって、逃げるように保健室へ駆けこんだ。
ところが、こういうときにかぎって保健室の先生はいない。
かわりに、すみっこでぼそぼそと給食を食べている庭戸くんに出くわした。
庭戸くんは、わたしの姿を見るやいなや、慌ててマスクを引きあげた。
「……いつもここで、給食食べてるの?」
クラスメイトと目があったのに、しゃべらないのも感じがわるい。
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