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エピローグ
結局俺は、サッカー部に入った。うちの高校はあまり強くなくて、俺でもついていけそうだった。あわよくばレギュラーもいけるかも。
今日の試合では、補欠で途中から出してもらえることになっていた。
そして、予定通り交代となり、左サイドのディフェンダーになる。
時間もあまりないし、ボールまわって来ないかもしれないな。うちのチームは5対1でリードしていて、勢いがあるし。わりと気楽だった。
そんなこと考えていたら、金髪を立たせたフォワードが、凄い形相で攻めてきた。まだ諦めていない表情だった。この残り時間では、四点差を埋めるのは不可能だ。それでもチームとして次の試合につながるように、一矢報いたいのだろう。
でも、俺だって初出場なんだ。相手の好きにさせるつもりはさらさらない。
ドリブルし続ける金髪は、なめているのか、俺のことを見向きもしない。途中出場だし、大したことないと思われているのかもしれない。かえって好都合だ。俺は、前に立ちはだかる。即座に、フェイントで抜く態勢に入った。右、左どちらから来るか……右だ。目の動きで分かった。俺はさっとボールを奪い、あっという間に金髪と距離をとる。
「くそ!」
金髪が、やり場のない怒りをコートにぶつけた。
「リク、ナイース! いけー!」
沙里の声援だ。めちゃめちゃ声が通る。かなり恥ずかしい。あいつ、サッカー部のマネージャーでもないのに、何であんな堂々と応援出来んだ。……何にも考えない感じの行動が、相変わらず俺には魅力的だった。
俺は素早くドリブルし、少し進んだところで、敵にマークされていない二年生のハーフ、杉本先輩にパスして、役目を終えた。杉本先輩はトリッキーな動きで攻めていき、センターラインを越えたあたりで、ロングシュート。スピードに乗った、良い感じのシュートだったが、惜しくもボールはゴールサイドにぶつかった。
落ちたボールを、キーパーが走り、転がりながら抱きしめる。……そこでゲームセットだった。
試合終了後、俺たち二人はいつもの百円コーヒーが飲める喫茶に向かった。
沙里は、グイッと俺の腕に自分の腕を絡めた。動作に何の恥じらいもない。
「カップルだし、腕組もうよ」
「ああ、そうだな」
腕組むのに、もう少し照れるような素振りがあると、カップルだなってと思うんだが。ハードルをぴょんぴょん飛ぶように、恋愛もいけいけで進むんだな。
ようやく喫茶に着き、早速注文をする。百円コーヒーが届いたところで、沙理は思い出したように言った。
「ねえ、さっき。なんであのまま、ゴールまでドリブルしなかったのかな?」
「ディフェンダーだから、あれで良いんだ。逆に前に出過ぎたら、今度は反撃くらったときに危ないし」
「ふうん。そういうもんなんだー」
沙理はコーヒーを一口飲むと、満面の笑みを浮かべた。
「それじゃあ、感想発表会ー。わぁあーー!」
パチパチと、一人手をたたき、盛り上がる沙里。……良い子だなって思う。沙里を見ていると、自然と笑顔になれる。
「どうだった?」
「三冊とも、文章に映像的描写が少ないな。それと、主人公の男の子が、やたらとモテているのが、非現実的な気がした」
「そうかな? 私は普通に楽しめたけど。三冊の中から一つ選ぶとすると、どれが一番良かった?」
「まあ、そうだな……この中だと」
一冊、手に取った。それは、ファンタジーものの冒険物語だった。剣と魔法が出てくる、典型的なお話。
「これはちょっと気に入ったかも」
「ラジキスタシアの魔法文化、ね。私もそれ、好き」
「世界観の設定が、凄まじい。作者の意気込みを感じるよ。かなり細かくて。登場人物の思考回路が、この世界に生きている住人になりきれる感じが凄いね」
「そうそう。世界観の作り込みも素晴らしいし。でも、出てくる人達は、私達みたいに、同じように悩んだり、考えたり」
「リアルなんだよな。こんな世界、本当にあったら良いなと」
「そんな思いに酔わせてくれるんだよね」
「次の巻、ある?」
沙里は、スポーツバックから勝ち誇ったかのように二巻を出した。
「はい。また感想聞かせてね」
「分かった。ちなみに、推理小説とかは読むのか?」
「そっち系はちょっと……私は、残酷な描写があるのはダメなんだ。推理小説って、けっこうリアルに死体とか描くでしょう? それが怖くて」
俺は思わず、プッと吹き出した。
沙里は、頭にはてなマークが出ているようだ。
「何で笑ったのかな?」
「沙里が怖がるとか、複雑な感情表現出来たんだなと思って」
「え……」
沙里は顔が赤くなった。
「もう。変なこと言うと、怒るよ!」
それを見て、また吹き出す俺。
「だから、何で笑うの?」
「怒るとか……複雑な考えを表現……」
「だから! 私だって、いろんな感情表現出来ます!」
恥ずかしそうに言う沙里を眺めていると、さらに笑いが止まらなくなった。
沙里は居心地が悪くなったのか、立ち上がった。
「ちょっとコーヒー、お代わりしてくるね」
「あ。ああ?」
軽やかな動きで、沙里は席をはずした。
二杯目飲むのは珍しいな。沙里のことだから、プロテインでも飲むのかもしれない。
俺は、パラパラと二巻目をめくってみた。カバーに、内容の煽り文句が書かれている。うまいな、キャッチコピーが。早く読みたくなってきたぞ。
沙里が戻ってくる前に、プロローグだけでも読むことにした。とにかく、待ちきれなかった。
しかし、沙里は思ったよりも早く戻ってきた。なんとなくの気配で分かる。振り向かずに俺の視線はそのまま、活字を追い続ける。
「どう? 面白いでしょ」
「まだ読んでないよ」
しばしの間合い。しかし……この僅かな時間が、世界のすべてを変えてしまったことに、鈍感な俺は何も気がつかなかったのだった。
「……ねえ、リク。蜃気楼って、知ってるかな?」
「何で急にそんな話? ……知らない奴、いないだろ」
「じゃあ何?」
「砂漠とかで、オアシスがあるように見えて。近づいてみると消えている、みたいなやつ」
「そうね。近づくと消えちゃうの……私達の関係みたいにね」
「は?」
さっきから、言っている言葉が意味不明だ。ようやく俺は、顔をあげた。
が、しかし……思わず見とれてしまった。つうか、誰? と言いたくなる。
そこにいたのは、よく見慣れた幼馴染み……ではなく。
歌番組に出てくる、少女ユニットの歌姫のように可憐な美少女。制服姿が、まるで女子高生アイドルのよう。花飾りをつけた黒髪は、髪の一本一本から恐ろしいほどの色気を放つ。アイメイクが、無垢な少女を絶世の美女に変える。ハードルで鍛えた身体が、スリムでたおやかな容姿を魅せる。祈るように、胸元で両手をくむ姿が、愛らしくて仕方ない。微笑するだけで、思わず見入ってしまう。
「綺麗だな……」
「ありがとう。……でもね」
気のせいか、口調がいつもより少し冷たい感じがする。でも、自分の彼女がここまで綺麗だと、そんなことはどうでもよくなる。
「リクが今まで話していた相手は、蜃気楼そのもの。……必要以上に近づいたから、消えちゃったんだね」
「何言ってんだ? 沙里は今。そこにいるじゃないか」
「そうじゃなくて。リクの瞳には、まだ蜃気楼が映っているんだ」
沙里は視線をそらした。一つ一つの仕草が魅力的。思わず特別な感情が湧いてくる。
「体育会系で、恋愛にうとくて、少しおとぼけな感じの女の子。それが私だと信じて疑わなかったでしょう? すべて、幻想なのにね。リク……あなたは夢の世界で、何も分からないまま、楽しい時間を過ごしていたのよ」
さっきまではいつもの沙里だった、その女の子は、俺の隣りにすわり、腰に腕を伸ばしてきた。
「な、何やってんだ?」
「今までの私……全部演技だったら、どうする?」
「は?」
「おとぼけキャラみたいなのは、全部。リクを自分のものにする為の作戦で。最初からずっと、リクは私の手の内で踊られていただけ」
「いや、違うだろ。昔からそういう性格だし」
「付き合い長くてもね。本当の自分は、意外に見せないものよ……メイリーさんが演技してて。私が演技してないだなんて。どうして思ったのかなぁ?」
普段は見せない、大人びた表情。俺の頭を、もう片方の手で優しく撫でてきた。顔が近い。……さっきまでしてなかったのに、甘い香りがする。匂いが、俺の頭の中を支配していく。何も考えられない。
「メイリーさんも片桐君も、内中君も。ラブラブアイスもデッドラバースもすべて、私の協力者。眼に映るものはみんな、劇場の中での出来事。……周囲は演じ手だらけ、されど気がつかないのは、主人公の少年、ただ1人」
「ウソだろ?」
「まあ、少しウソも混じっているけど。どうせ見破れないでしょう? ……事実かウソかなんて、どうでもいいこと。蜃気楼も本物も、遠くから見て美しい景色には変わりないでしょ。それと同じよ」
「意味がわからない」
「まだ終わってないよ。この物語」
「お、おい……」
「結末は、どうして欲しい? 愛しい人」
「どうしろって……」
以前、メイリーが俺を騙していた時になんだか似ていた。突然、口調が変わる。雰囲気が変わる。痺れ薬を飲まされて、恐ろしいところへ連れて行かれる。……いいや、メイリーのときは、事前に違和感を感じていたんだ。沙里には絶対にない冷たさを、最初から感じ取っていた。結局騙されたけど。沙里は、……言葉の一つ一つが温かい。いきなり綺麗になって、口調が変わったとしても、沙里は沙里。何一つ、変わっちゃいないんだ。
だからこそ俺は、沙里が俺の腰に腕をまわしても、頭を撫でてきても、無抵抗。今までと多少違ったとしても、信用しているし、沙里への想いは揺ぎ無い……はずだ。
沙里は、思案に暮れる俺に一切お構いなく、性欲を誘うように唇を動かす。
「それじゃあ一つ質問。華菜ちゃんと私、どっちが好き?」
「……そ、そんなの答えられるわけが」
沙里は、頭を撫でる手を止めた。キッと俺をにらみつける。
「気に入らないんだよ、そういう態度。元カノと天秤にかけて悩むとか、絶対に許せないんだけど」
「ごめん……でも」
「今。リクの紅いバラ姫は、この私。なんならこの場で、バラの花束を力いっぱい抱きしめて、死んであげようか?」
「い、いいよ。俺は別に、そんなの望んでない。……ただ、あの小説ぐらい強い想いで、心の中が結ばれてたら良いなあって」
「そう? バラのトゲの刺さる苦しみに、恋の苦しさを重ねるんだよ。……血を流すことで、恋の甘えを殺すことが出来るから」
沙里が子猫のように、俺の喉を舐めた。一瞬、全身がブルッと震える。
「もっと怯えれば? ぶざまな姿、さらしなよ。情けなくて、可愛いよ。私が飼いならしてあげる」
俺は、内心驚いていた。沙里がこんなスラスラしゃべっていることを。ここまで俺は、女の子を見誤っていたのか。沙里がしゃべればしゃべるほど、心の中のキャンバスは、沙里のカラーに塗られていく。とても抵抗なんて出来やしない。陥落するのも、時間の問題だった。早く……抱きしめたい。ただ、もっとくっつきたかった。
「もう、私以外のこと。何も考えなくていいよ。考える必要なんてないし、考える意味もない。それに……考えさせないから。もう逃げられない。手遅れよ」
顔がとても近い。冷たい視線が、セクシーで鋭い。矢を射るように、俺の心を突き刺す。そして、決して抜けない。抜く気もない。もう、俺以外には、何も見ないで欲しい。
「なめないでね。私、本当は男落とすの。得意だから」
「う、うそつくなよ。……沙里が男を誘惑なんて、するはずが」
「そう。……バラの花って、不思議だよね。こんなにも綺麗で、刺々しい。美しくて、残酷なんだよ、紅いバラ姫は」
座ったまま、抱きしめられた。沙里の色気と温もりの前に、何も抵抗できない。……目の前にいる人間は、本当に沙里なんだろうか。俺は、よく似た知らない女と抱き合い、恍惚に浸っているのかもしれない。
「ねえ。もうどこにも行かないで。ずっとそばにいて、私だけを見て。私の声だけ聞いて。私だけ。私だけ。華菜ちゃんのことも、忘れなよ。私と二人でいられれば、後は何もいらないでしょ? 思い出もすべて、ゴミ箱に入れて」
「どうしちゃったんだよ、沙里……」
「どうもしてない。これが、本当の私」
「もとに戻ってくれよ」
「戻るも何も。リクは一生、私の腕の中。この温もりが、世界の始めと終わり」
「馬鹿なこと言ってないで……」
「よくしゃべるよね。……待ってて。思考回路をダメにしてあげるから」
「……どういう意味だよ?」
「オトコってね。女の色気で、シナプスが壊れていくの。ニューロンは、恋心の湖に溶けてゆく……ほら、もう何も考えられなくなる」
意のままに、操られていくようだ。沙里が強く抱擁すればするほど、意識が遠のいていく。背中をさすられ、何もかもがどうでもよくなってくる。背中に触れる指先から、手の平から、俺の意識を変えるほどの魔力が出ているようにも思えた。
「記憶も、思いも、感情も。親も家族も親友も先生も、すべていらない。ただ、私とリクの二人だけ。何人たりとも近づけない、二人だけの王国を作って、そこで一緒に暮らそうよ」
沙里の顔がとても近い。目を開けることが出来なかった。吐息が近くを通る。
「バレンタインの手作りチョコレートよりも、濃厚で切なくて甘いキスをしようよ。唇が離れた後も、余韻の甘さにとろけてしまうほどに」
もうまもなく、襲われるのだろう。そして、それが待ち遠しくて仕方がなかった。
「キスしたら、もう完全に後戻り出来ないから。私という小悪魔と。永遠の恋の契約を結ぶことになる」
首筋に息が掛けられる。耳にも。ぞくぞくっとする。キスするのか? するなら……早くして欲しい。
「文学少年ぶっているみたいだけど。活字じゃない恋は、分からないんだね」
「……そうかもしれない」
「悔しい?」
「いや。……楽しい。楽しいよ。予想できなくて。理解できなくて。狂ってて。楽しくて仕方がない」
「もっと狂わせてあげる。一緒に遊ぼうよ、バラの花を片手に持って」
……女心って、どうしてこんなにも分かりにくいのだろう。華菜の時も、沙里の時も、俺は一度たりとも女性の恋心を正しく受け止めることが出来なかった。
唇と唇が重なり合う瞬間から……沙里の愛が、バラのトゲとなって俺の心を刺し始めるのだろう。いばらの愛から逃れられない俺は、恋の痛みに酔うことで、恍惚の彼方へと旅立って……。
と、思っていたら……甘い誘惑に満ち溢れた小劇場は、何の前触れもなく、いきなり終わりを告げることになる。柔らかくて艶やかな沙里の唇は、俺まで届かなかった。
「以上。……片桐くんに、教わりましたー! リクの攻略は『恋愛小説とかのセリフを多用して攻めれば、意外にあっさり落とせる』とのことでした」
「は? 今の……全部演技?」
「そうだよー。小説の恋愛シーンを参考に。いろんなセリフ抜粋して、適当に組み合わせて。アレンジして、ストーリー性もたせて。片桐君と一緒に、一生懸命考えてみたんだよー! ……少し長かったかも。ていうか、面白かった? 片桐君のオリジナルの箇所とか、クサ過ぎてさ。笑わないで言うの、超大変だったよー。ちゃんちゃん……ぷっ」
楽しげな沙里の笑い声がもれた。途端、いつもの日常に引き戻される。
「二人だけの王国とか、超意味わかんないしね。百円のカフェオレ飲むお金しかないのに。王国を作るとか、どんだけローン組んだら良いんだよって話だよねー」
沙里はもう終わったつもりのようだ。
しかし、俺は……終わらせるつもりはなかった。
「恋の契約、まだ済んでないだろ?」
「はは。だから、これはセリフだっ……!?」
生意気でおしゃべりな小悪魔を黙らせるため、口をふさいでやった。一瞬の出来事だった。あまりにも早すぎる神技。顔を赤らめた沙里は、キョトンとしている。目をぱちくりさせながら、少しぼおっとしているようだった。俺も余韻に浸りたかった。しばらく無言で、時折目が合い、お互いの愛を確かめた。
「普段から、ときどきお化粧はするのか?」
「しないよー。今日は、お姉ちゃんから借りた」
「そうか。それなら……俺とデートのとき以外は、必要最低限に欲しい」
「どうして?」
「心配なんだよ……沙里が、他の男に獲られないかって」
「え……」
沙里は一瞬考えたようだったが、すぐに笑顔で答えてくれた。
「なんか、不思議だよね。こないだまでは私がリクに、付き合ってもらえるよう、頭を下げていたのに。今日は逆に、リクが私にすがりついているんだ」
「1日で立場が逆転するんだよ、恋愛は。明日はまた、沙里が俺に片想いしているかもしれない」
「はは、あり得るなあ。私は、どっちの立場でもいいけど。あ、いや……いつも両想いでいたいなー。とりあえず、お化粧は……いいよ、リクと一緒のときしかしないね。面倒くさいから、そもそも普段からするつもりはないんだ」
「よし、ありがとう。……あ、あと。それと……もう一つ頼みがある」
「なあに?」
「今の演技、もう一回やってくんない?」
「え……二回目はちょっと、恥ずかしいなぁ」
「セリフの一つ一つが、ことごとく俺の感性に合う」
「ウソ……。臭くないかな? ていうか、お化粧して現れた瞬間、大爆笑されると思ってたんだけど……私の方が、言いながら吹き出しそうになって、セリフが幾つか飛んじゃったし。……恋愛アサシンの片桐くんが女の子だったら、リク。絶対に殺られているねー」
「どうでもいいよ、片桐なんか。俺は沙里に殺られたんだ」
「私に刃物を渡したのは、片桐君なんだけどなー」
「片桐はもういいから。……早く続きを」
「ええと。分かった。パート2があるから、そっちをやるね」
「ありがとう」
沙里は軽く咳払いをした。緊張した面持ちで、ゆっくりと口を開く。
「ねえ、リク。私と……じゃなかった。パート2は、コーヒー飲みながら、雑談から始まるんだった。会話の中で、あるキーワードが出たら、そこから徐々に……」
……楽しい時間だった。華菜の時とはまた違うけど。新しい彼女とも、うまくやっていけそうな気がした。
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