7、

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7、

「ねえ、リク」 「なに?」  母は、言いにくそうにぼそぼそと言葉を発した。 「家の前で女の子が……待ってるみたいよ」 「は?」 「待たせたら、悪いんじゃない?」 「誰だ?」 「わからないよ。そんなにじっと見てないし。髪型は、ショートカットぽかったけど」  まさか……ダッシュで階段を降りて、玄関に向かう。  一呼吸おいて、ドアを開けると。 「リク、おはよ」  やはり沙里だった。ジョギングのペースで、足踏みしている。朝からトレーニングのつもりなんだろうか。ミニスカートがバサバサ揺れるのが、微妙。 「なんだ、いつも元気な沙里ちゃんね」  母は、なあんだとうなずいていた。  俺は沙里の脚を指差した。 「スカートがバサバサ揺れるから、足踏みやめろって」 「下、スパッツだから大丈夫だよ」  そう言いつつも、沙里は足踏みをやめて、スポーツバックを肩にかけた。 「私、今。片思いだから。迎えに来たよー」  こんな堂々と、面と向かって片思いって言い放つ人、初めてみた。俺みたいな人からすると、異星人だ。屈託のない笑顔が、まぶしくて仕方がなかった。 「か、か、か、……片思い!!」  母は、俺の頭を無理やりつかんだ。 「息子をよろしくお願いします」  選挙の立候補者みたいに、とてもとても深々と。無理やりお辞儀させられる。 「何すんだよ」 「良いから。沙里ちゃんの気が変わらないうちに。真実がバレないうちに、付き合っちゃうのよ」 「なんだよ、真実って?」 「リクが、馬脚表さないうちにってことよ」 「それが母親の言うことか」 「母親だから、言うんじゃないの。つべこべ言わずに、逮捕される前に付き合っちゃいなさい」  沙里は、はははと俺達のやり取りを楽しそうに眺めていた。「親子、仲良いですねー」と、明るく言われた。  俺たち二人は、雑談しながら学校に向かった。  校門を入ったところで、メイリーが待ち構えていた。赤いメッシュの入った黒髪を、妖しく揺らしている。……顔も見たくない。どういうつもりなのだろう。早くいなくなって欲しい。  俺が何か言おうとする前に、沙里が話しかけていた。 「メイリーさん」 「あら、川沢さん? おはよう」  メイリーは挨拶しただけだが、沙里はすでに敵対心がみなぎっていた。  沙里は引かない。ハードル走で、相手と戦うモードの目の輝きを感じた。そして、唐突に一言。 「リクは、私の片思いの人なんですよ」 「ええ?」 「もしメイリーさんが、リクに近づくなら、私はあなたをライバル視しますからね」  完全にバトルモードだ。ハードル走で、絶対に勝つ! 決意した時と同じ燃え上がりが伝わってくる。  メイリーは、あきれ顔で微笑を浮かべる。 「何言ってんの? 私、彼女だから。川沢さんと違って、特別なのよ」  そっちこそ、今さら何言ってんだ? もう別れる約束したのに。恐らく、沙里をからかいたいだけなのだろう。実際、沙里のリアクションは良かった。これだけあからさまに敵対心をむき出しにされると、火に油を注ぎたくなるのも分かる気がする。沙里は天然だし、感情表現がストレート過ぎるから、いじられやすいのかもしれない。 「私も特別です。メイリーさんと違って、小さい頃からよく知っているから、信頼関係が厚いんです」  自分から信頼関係が厚いとか、よく言えるよな。俺だったら恥ずかしくて、絶対言葉に出せない。  目に見えない火花が散っている気がした。でも……当人の立場としては。わりとどうでも良かった。とりあえず、メイリーと一度付き合ったおかげで。恋愛法上、別れてから一年間は恋愛しないで済むし、若干気楽だった。また間際になったら、短めの仮面恋愛すればいいかな……それでまた一年つないで。それを繰り返せば、俺みたいな人間でもなんとかやっていけるかもしれないと思った。 「あら、そう。それなら、ちょっと見てあげるよ」  メイリーは、トランプをブレザーのポケットから出した。慣れた手つきで山札を切り、扇のように開いて裏側を見せる。 「一枚引いて」  沙里は無言のまま、真ん中あたりの一枚を引いた。 「見せてごらん」 「はい」  不機嫌そうに沙里はカードを見せた。 「ああ、そういうことか」  意味深にメイリーはうなずく。  メイリーは俺を見ながら、沙里を指差した。 「ねえ、リクさん。沙里ちゃんと付き合うと、運命の歯車が狂い出すって。地獄に落ちるって。占いで出てたよ。せいぜい気をつけることね」  メイリーはふふと、不敵に笑った。沙里は、メイリーの横顔をにらみつけていた。 「はい」  A4サイズの茶封筒だった。メイリー茶封筒を破り、中味を見せる。恋愛契約の解除関係の書類一式だった。すべて、メイリーのサインが入っている。どうやら、校門で待っていたのは、これを渡すのが目的だったようだ。  ちなみに、恋愛証明の法律は、付き合うときこそ二人で市役所に行かなくてはならないのだが、別れる時は二人の直筆が入った書類さえあればどちらか一方が申請に行けばいいことになっている。別れはお互いに気まずいので、そこを配慮した法律制定となっているらしい。 「これ、渡そうと思ったんだけどさ」 「……渡すんだろ?」  メイリーは、ピンクのカラーコンタクトで沙里をにらみつける。 「良いこと思いついた。私、リクさんと別れない」 「は?」  俺は、素っ頓狂な声で返事をする。 「川沢さん、彼氏がいないんでしょ? ……このまま彼氏が出来ないまま誕生日を迎えて、川沢さんが逮捕されたら。その後に、私はリクさんと別れましょう。あるいは、川沢さんが精神的にまいって、廃人になったら別れる。とにかく、川沢さんが絶望するところを見たいわ。天真爛漫過ぎて、すっごいむかつくのよ」  ちなみに、書類がなくても法律上、別れることはできる。ただ、それは付き合っている者同士が口頭で「別れた」と言えなければならない。おそらくメイリーは絶対に言わないだろう。だから、書類は是が非でも必要だった。  冷ややかな瞳をしたメイリーは、鞄に再び茶封筒をしまった。 「占い通り、運命が狂い出したね。……青い権謀術数は、恋愛破壊者の迷い道。デッドラバースは、あなた達二人の恋愛活動の破壊を、今から標的にしました」 「な、なんだと」 「うちの秘密結社では、恋愛一つ壊すと、報酬で恋愛奴隷を一人もらえるのよ。素敵な制度でしょ。私、恋愛奴隷百人を目指しているからさ。マリリンモンローみたいに。いろんなタイプの男どもを、跪かせてあげる」 恋愛奴隷とは、恋愛刑法を犯した罪人の行く末だ。法律上、結婚相手は一人だけだが、恋愛奴隷は何人はべらせても良いことになっている。恋愛奴隷を集めて、一夫多妻の生活を送る金持ちとか、週刊誌の記事でよく紹介されている。  メイリーは高笑いしながら、校舎に向かって歩いた。  あとに残された俺たちは、ただ呆然とする。しばらくして沙里が、とてもか細い声をようやく出した。 「私が、変な挑発したのがいけなかったんだ……」  いつも元気な沙里が、こんなに肩を落とすのはめずらしい。いや、先日の恋愛王者の一位決定戦の後、同じ姿を目にした。もう、二度と見たくないと思っていた悲しい横顔だった。  三時間目が終わり、昼サッカーをするために、早弁しようとした。  しかし、今朝、昼御飯買うのを忘れたのに、今になって気付いた。 「あ、しまったなぁ」  沙里が、もじもじしながら、俺に話しかけるわけでもなく、ウロウロしている。今朝のことで、相談したがっているのかもしれない。 「どうした?」 「私、せっかくお弁当まで準備したのにな……」 「え、マジで?」  昨日、片思いになったばかりなのに。今日、いきなりそこまでするとは。行動力あるよな。俺が同じ立場で、そこまでするかどうか。男だから、お弁当作るのは無いにしても。片思いの相手に、いきなり何かプレゼントとかするんだろうか。……もじもじしながら、沙里はつぶやく。 「まだ他の人とお付き合いしてるんだし。渡されても、迷惑だよね……」 「せっかくだし。もらっておくよ。普通にありがとう」  沙里の笑顔に少し、哀愁の色を感じた。メイリーの件があり、心の底から笑うことが出来ないのだろう。  恥ずかしいのか、俺の机に弁当を置いた沙里は、そそくさと自分の机に戻った。 「さて、中身は?」  お弁当箱を、開けると。  エナジーメイトとパワーインゼリーがそのまま入っていた。  手料理じゃなくて……栄養補助食品を、おごってもらっただけじゃん。  とりあえず、食べることにした。真ん中のツメを折り、ふたを開けて、袋をビリっとして。一本、まるまる口に入れた。おいしい……ブルーベリー味が口中に広がる。残りの三本もちゃっちゃと食べた。パワーインゼリーも一気に飲んだ。栄養のある液体が胃に向かって流れる中、つぶつぶが口の中を踊った。どちらも好物で、うまかった。  食べ終わる頃、再び沙里が戻ってきた。 「お弁当……美味しい?」 「ああ。めっちゃうまかった」  あれをお弁当と呼ぶのか……沙里はうれしそうに、視線をそらした。照れているのが分かる。とても初々しい。俺は、栄養補助食品の味を褒めたのであって、沙里には一言も言及していないのだが。 「私。リクがそれ好きなの、知ってたんだよ」 「あ、ああ? ありがとう」 「見てるんだから。どういたしまして」  いつもよく見ているんだよ……、というのをアピールしたかったらしい。小腹が空いたらよく食べてたし、誰でも気づく範囲のことだと思うが……まあ、それは良しとして。こんな健気な女の子を、このまま放置しておくわけにはいかなかった。今だって、空元気のようだ。よく見ると、明るく笑いながらも、時々怯えたような表情をする。  なんとかしてあげたいのだが……ふと、隣りの席にいる、ジェルで固めた短髪頭が目に入った。爆睡している。 「なあ、片桐」 「あ、ああ?」  一声で反応してくれた。だが、声は寝起き。めっちゃ眠そう。俺の前では、平気でだらしない顔するんだよな。 「何か良い案はないのか?」 「んん」  ようやく目覚めた。目をこすっている。とても恋愛アサシンとか言われている男には見えない。 「俺たち、今さ。デッドラバースのメイリーに、困ってるんだよ」  片桐は、急に敏捷になり、人差し指を口の前に出して、しぃっと言う。  思わず、顔を見合う俺と沙里。  片桐は辺りを見渡した。誰もこっちなんか見てない。  険しい表情の片桐は俺達を手招きし、無言で教室を出た。  たどり着いたのは、誰もいない空き教室。そこで、ようやく片桐は口を開いた。 「うちのクラスにも工作員がいるかもしれないからな。あまり人前で、デッドラバースやラブラブアイスの話は、しない方がいい」  なるほど、そういうことだったか。俺はコホンと軽く咳払い。 「片桐も恋愛王者なんだろ?」 「いや、俺はそういう策略考えるのは苦手で。どっちかというと。攻める一方だからな」 「くそ、どうしたらいいんだ?」 「俺よりも。そういうのは、もう一人の恋愛王者が得意だぞ」  片桐の言葉に、七法全書を持ち歩く男が、思い浮かぶ。確かに……相談に乗ってくれそうだった。  俺は沙里の手を取った。 「昼休み、一緒に行こう」 「どこに?」 「とっておきの相談役がいる。そいつに相談しよう」  俺はやさしく沙里の肩を叩いた。身体が小刻みに震えていたことを、手が触れて初めて気づいたのだった。  大柄で、頭にねじりハチマキをし、七法全書を持ち歩くその男は、案の定、昼休みは図書館で過ごしていた。法律の本を山積みにし、なにやら勉強に明け暮れていた。  大机をはさんで、俺と沙里は、向かいの椅子に座る。俺たち二人に気づいた内中は、田舎の大将的な温かい笑顔で応じる。 「おお。奥原くんじゃないか」 「オッス、内中。昼休みも勉強かよ」 「いや、趣味の読書だよ。大したことしてないって」 「趣味でそんな小難しい本を読むところが、本当に偉いと素直に感心するよ」 「いやいや……ところで、今日は何か?」  内中は、沙里の方をチラッと見た。二人一緒に来たのは、何か意味があるのだろうと、言わずとも察してくれた。 「恋愛の法律相談です」  沙里は自己紹介をすると、たどたどしい口調で、説明し始めた。何度もため息をつき、意気消沈していた。  内中は、真剣にメモを取った。 「……というわけなんですけど、どうしたら良いでしょうか?」  内中は、目を閉じて、腕組みをする。大きく深呼吸した。 「恋愛契約解除の固辞、か。しかも嫌がらせの為の拒否だとか、そんな理由にならない理由なら、百パーセント、子供恋愛裁判で勝てると思うけど……でも」  俺は思わず、右手のこぶしを上げてガッツポーズ。 「マジで! 良かった」 「いや、でもダメなんだ」 「どうしてだよ?」  内中は、残念そうに首を横に振る。 「時間がない。簡易裁判とはいえ。開始から決着がつくまでに、最低一ヶ月はかかる。それまでに、沙里さんの誕生日が来ちゃうだろ? おそらく、メイリーは裁判で負けるのを分かってて、でも時間的な制約では自分に分があることも理解した上で、こんなことをしたんだと我輩は考える」  沙里は、「ありがとうございます」と小声で言い、会釈をした。その姿は、とても小さく見えた。あきらめという言葉が、背中に強く滲んでいた。沙里は、誰に言うわけでもなく、ささやく。 「いいよ。私、逮捕されるよ。だってさ。別にメイリーさんが別れてくれたところで。リクが私の彼氏になるわけでもないし。……誰も悪くないよ。恋愛の初動が遅かった……私がいけないんだ」  なんとかしたいけど、どうにも出来ない。どうしたら、良いんだ? 俺は……。隣りで肩を落とす幼馴染みを、なんとか救ってあげたかった。
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