女装レイヤーだが相互さんが会社の同期♂でしかも俺に惚れててヤバイ

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 地下鉄の暗い車窓に映る自分を、水沢はぼんやりと眺める。  自分で言うのも何だが、美形、の類だとは思う。それなりに目鼻の整った顔立ち。彫りは日本人にしては深く、子供の頃はしばしばハーフと間違えられた。今もコスプレ、とりわけファンタジー作品のそれではかなり得をする。  合コンに行けば、毎度のように女子たちに可愛い、イケメンなどと持て囃される。篠山が水沢に惚れたのも、だから、てっきりこのビジュアルのせいだと水沢は勝手に思い込んでいた。  ――あの人だけが、僕を見てくれたんです。  篠山が打ち明けたのは、頭脳明晰なあの男にしては随分と胡乱な理由だった。あれは一体、何の暗喩だったのだろう。見ていた? 確かに、見ていたかもしれない。が、あくまで油断ならない同期としてであって、性愛の対象としてではない。  今や東洋建設の営業プレゼンは、篠山抜きでは成り立たない。資料集めやデータ取りに限らない。設計課や材料課などの技術セクションとのコミュニケーションも、篠山に任されるようになって以来ぐっと円滑になった。  水沢も一応、課ではエースなどと呼ばれているが、それは学生時代、オタク趣味をカモフラージュするために必死で磨いたコミュ力が、今の仕事で偶然活きているからであって、篠山のように、確かな見識に裏付けられた地力があるわけでもない。その意味では、悔しいが、あいつにだけはどうあっても勝てないと水沢は思う。それを思い知るからこそ、入社以来、篠山をライバルとしてマークし続けてきたのだ。  それだけの話だった……だったはずなのだ。なのに。 「……何なんだ」  駅を降り、チェーンの定食屋で朝食を済ませてオフィスに着くと、すでに篠山は出社し、例によって大量の資料と格闘していた。  大方、例のマンションの件で調べ物をしているのだろう。昨日見せてもらった新しい提案書は、水沢に言わせれば非の打ちどころのない代物だった。それでも、篠山に言わせればまだまだ不満な点が残るのだろう。つくづく完璧主義者、いや心配性だと思う。  この完璧主義で学究肌な性格が、入社当時は彼を孤立させていた。  専門知識にステータスを全振りする篠山は、その代わりに人付き合いが苦手で、おかげで望ましい成績を上げられずに営業課では完全にお荷物、むしろ粗大ゴミ扱いを受けていた。  要するに、ピーキー過ぎたのだ。その篠山がようやく本来の力を発揮できたのは、五年前に関わったODA案件でのこと。その際、持ち前の専門知識で受注に貢献した篠山は、以来、大型案件では必ずチームに抜擢されている。  てっきり、ただのライバルだとばかり思っていた。篠山に対して抱く、羨望とも苛立ちともつかない感情も、ただのライバル心だと……でも。  もし、そうではないのなら。  ふと篠山の目が水沢を捉え、はっと見開いた後で気まずそうに伏せられる。見ていてくれた、なんてことを言う割に、本人は見られるのを嫌がっているように見える――いや違う。あれは、水沢に迷惑をかけることを恐れているのだ。  思い返せば、今までも篠山は、同じように水沢の視線を避けていたように思う。これまで水沢が篠山の気持ちに気付かずにいたのも、全て、篠山の懸命な気遣いのせいだったとしたら…… 「な、なぁ、篠や――」 「よう、水沢」  引き留めるような声に振り返る。同じ営業課の飯田が、ニヤニヤと篠山を眺めていた。  水沢の三つ上の先輩で、基本的には頼りになるものの、とにかく女癖が悪いのが欠点で、彼女と同棲中の今も半月に一度は合コンと称して女の子と飲んでいる。たまに欠員が出ると、枠を埋めるためにとりあえず顔の良い後輩に声をかけて回るのだが、今回も、やはり切り出されたのは合コンの話だった。 「頼むよ水沢、お前が来たら女の子も喜ぶからさぁ」 「えっ……ええと」  そこで、何とはなしについ篠山に目を向けてしまったのが運の尽きだった。見ると、世界の命運でも見守る目でこちらを見つめている。いや実際、篠山にとってはそれだけの危機なのだろう。ここで水沢が参加を引き受けるなら、合コンで異性の恋人ができる可能性がある。篠山の恋が成就する可能性は、月よりも遥かに遠のいてしまう……  なのに。  引き留めるそぶりは篠山にはない。相変わらず捨てられた仔犬のような顔でこちらの会話を見守るばかりだ。  好きなら堂々と奪えばいいものを―― 「おお、水沢。ちょうどよかった」  今度は別の声に呼び止められ、振り返る。いつになく憮然とした営業課長が、腕を組んだまま水沢を睨むように立っていた。 「な……何でしょうか、課長」 「厄介な事になった。五年前に俺たちが落札したODA案件を覚えてるか」 「ODA……ムンバイの橋の件ですか。ええもちろん」    むしろ、忘れるはずがない。水沢にとっては初めて関わったODA案件、それも瀬戸大橋クラスの巨大な吊り橋を架ける超大規模プロジェクトで、当時、その受注チームに抜擢されたことは、今でも水沢の誇りの一つだ。  思えば、初めて篠山と組んだ仕事がこの案件だった。というより、自分だけでは手に余るからと、上司に無理を言って篠山をチームに引き込んだのだ。この手の難しい案件には、篠山の専門知識が役に立つからと……その橋は今なお建造中で、完成までにあと三年はかかるはずだ。 「その橋が、何か……?」 「ああ。何でもムンバイをかなりデカいサイクロンが襲ったとかで、建設現場にも相当な被害が出ているらしい。で、今、ムンバイ支局の連中に被害状況の確認と報告を頼んでいるんだが、そいつが上がり次第、JICA向けの報告書としてまとめてほしいんだ。やれるか」 「えっ、も、もちろん!」  むしろ引き受けない理由がない。あの橋は、水沢に言わせれば子供も同然の存在だ。その橋が嵐に傷つき、損害を受けたのなら対処しないわけにはいかない。それに――この申し出に正直、水沢はほっとしていた。少なくとも、合コンを断る理由としては申し分がないだろう。  見ると飯田は、参った、と言いたげに課長と水沢とを見比べている。今の一件で水沢を合コンに誘いづらくなったと危ぶんでいるのだろう。実際、水沢はもう合コンどころではなかった。とにかく、この週末はムンバイから送られるレポートに注視しなくては。何なら会社に缶詰になっても構わない。 「僕ではいけませんか」 「……え?」  振り返ると、篠山の無駄にでかい図体が背後に立っていた。その目は、射抜くようにじっと課長を見下ろしている。 「JICA向けのレポート作成は、僕が引き受けます。――大丈夫です、水沢さんは、心置きなく合コンに行かれてください」 「……は、」  合コン? と課長が怪訝な顔をする。そんな課長に飯田が、あの実は、と気まずそうに事情を説明する。が、すでに水沢の心は、そんなものに囚われてはいなかった。  なぜ、自分が焦がれる人間をわざわざ合コンに送り出そうとするのか――わからない。ただ、なぜか水沢は悔しかった。単に手柄の横取りを目論む同期への嫉妬だったのかもしれない。が、もし、そうではないのなら…… 「いいのかよ、それで」  貴重な花金と休日が潰れることに対してではない。心を寄せる相手を、みすみす合コンへ送り出すことに対しての問い。が、〝わかめ子〟の中身を知らない篠山に、本来の意図など届くはずもない。篠山は、これが精一杯だとわかるぎこちない笑みを浮かべると、「はい」と小さく頷いた。
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