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「えー、かっこいー」
「うっそイケメン! えっ、芸能人?」
「そう思うだろ? ぶっぶー違いまーす。正解は俺の後輩。――ははっやべーな水沢、お前モテまくりじゃん」
「……はぁ」
合コン会場のイタリアンレストランに着いた水沢は、のっけからの寒すぎるやりとりに、早くもこの場に足を運んだことを後悔していた。
いや、女の子は皆可愛い。そこは申し分ない。ただ、なぜか心が弾まない。彼女たちの気合に満ちた華やかな化粧も、丁寧にカールされた栗色の髪も、蠱惑的な香水の匂いも、風邪の時に無理やり出されるごちそうのように、何の感動も水沢に与えなかった。
そうでなくとも水沢は、もともとこうした場が苦手だ。いかにもリア充――今はウェイ系とでも呼ぼうか、そういった連中と酒を飲みながら中身のない話で盛り上がる、これがどうしようもなく辛い。
これが同じコス仲間なら、あるいは同じゲームやアニメを愛好するオタ仲間なら、朝までだって盛り上がることができる。が、こんな趣味も守備範囲も、何なら地雷すらもはっきりとしない連中との会話は、正直、何が楽しいのかわからない。
それでも顔を出してしまったのは、多分、篠山への意地も含まれているのだと思う。
今もオフィスでムンバイからの報告を待つはずの篠山は、あれきりDMを寄越すことすらしなかった。散々応援されておきながら、自分から恋に背を向けたことを気まずく思っているのかもしれない。それならそれで構わないから、せめて、今の気持ちを打ち明けてほしかった。辛いなら辛いと、悲しいなら悲しいとぶちまけてほしかった。
そうすれば、合コンをキャンセルぐらいはしただろう。なのに――
「水沢さんってぇ、休日はいつも何して過ごしてるんですかぁ?」
女性の声に我に返る。向かいに座る、やたら口紅の赤い女が、メロンのような胸をこれ見よがしに見せつけながらテーブルに身を乗り出していた。
「休日……いや、特には……」
ここでコスプレについてぶちまければ、キモいだの何だのと笑われるに決まっている。そもそも彼女たちが欲しているのは、休日のたびにドライブやバーベキュー、ショッピングに恋人を連れ歩く穏当な趣味の彼氏であって、休暇のほとんどと給料の何割かをオタ活に注ぎこむ変態ではない。……もっとも、水沢自身はバラしても構わないのだけど、そうなると今度は、水沢をスカウトした飯田の顔に泥を塗ることになる。
「えー、趣味とかはぁ、ないんです?」
「まぁ……映画を見たり、漫画を読んだり、とかかなぁ」
「うっそ隠キャすぎぃ!」
無神経に言い放つ彼女に、水沢は「あはは」と曖昧に笑い返す。たとえ本当に水沢の趣味が読書と映画だけだったとして、こんな、今しがた会ったばかりの女にあれこれ言われる筋合いはない。
そっと懐からスマホを取り出し、ツイッターを覗く。相変わらず〝みけお〟からのDMは来ていない。篠山からの連絡も。
「なに見てんだよお前、合コン中に」
「……いえ」
無作法にも隣から顔を突っ込んできた飯田から、水沢は慌ててスマホ画面を隠す。が、説明の言葉はすぐには出てこない。同僚とのLINEとも違う。実質そうではあるのだけど、少なくともこのDM欄では、ネットを通じて知り合ったオタ仲間として繋がっている。しかも、その繋がるきっかけになったのがコスプレ、オタク趣味となると、そうした方面に理解がない人間には、そもそも説明などしようがない。
「ひょっとして、彼女か?」
飯田の指摘に、なぜか向かいに座る紅い口紅の女が「やだー!」と甲高い悲鳴を上げる。嫌だも何も、そもそもこんな女には興味もない。香水の匂いは無駄にきついし、ついでに言えば化粧も下手くそで見ていられない。いっそ水沢がメイクし直してやりたいぐらいだ。
「い、いえ、違いますよ。そもそも恋人なんて……」
「おっかしいなぁ。実際、そういう顔してたぜお前。喧嘩中の彼女からの連絡待ち、みたいなさぁ」
「えっ? い、いや、ですから、」
どうやら飯田は何かを盛大に誤解しているらしい。そもそも恋人など――
いや。
もし本当に、自分が〝そういう顔〟をしていたとして。
「まぁ、どっちだろーと今はこの子らと飲んでるんだ。楽しまなきゃ損だぜ、なぁ?」
そして飯田は、水沢の空のグラスを見咎めると、通りすがりの店員を雑な手招きで呼び寄せる。
「ほら飲めよ。大丈夫だって。今夜は俺が持ってやるからさぁ」
「……じゃ、焼酎のお湯割りで」
そう店員に注文を入れながら、水沢の心は、すでにここにはなかった。もし、今の想像がただの想像ではなかったとして。もし、自分でも気付かない感情を密かに抱いていたとして。もし……
もし、本当はあいつを愛していたとして。
それはない、と理性が否定する。もし本当に愛していたのなら、とっくの昔に篠山の感情に気付いていたはずだ。心を通わせ合っていたはずだ。が、現実は、篠山の気持ちを知って初めてそれらしい感情を意識した。それは、単に篠山の感情に引きずられているからで――
でも。少なくとも嫌ではなかった。
嫌悪感はなかった。篠山の気持ちに戸惑いを覚えたのも、単に、うまく受け止める自信がなかったからだ。これまで水沢は同性を愛したことがない。だから自分は異性愛者で、篠山を愛することも、多分、できないだろうと……でも。
「英司くぅん」
いつの間にか名前呼びを始めた唇の赤い女。性的に充分魅力的なはずの彼女に、事実、今の水沢は何の興奮も覚えなかった。恋愛に性別という条件が必須だと言うのなら、なぜ今、篠山のことばかり考えてしまうのか。
声が聞きたい。あいつの心の声が。
今にも泣き出しそうな笑顔で、想い人を合コンに送り出したあいつの声が。
「先輩」
「ん、何だ、水沢」
「やり残した仕事を思い出しました。すみませんが、これから社に戻ります」
言い残すと、水沢は席を立った。
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