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居酒屋赤羽。
居酒屋なのに何故か住宅街の一角にこの店は存在していた。
一見、ガレージにしか見えないが申し訳程度に暖簾と提灯が入り口についている。
何でバイトしているかというと単純に誘われたから、それも此処の店長に。
こんな場所で利益が出るのかと最初は心配したが彼曰く道楽で始めたものだから利益度外視。店自体も元々余っていたものを改造した、とのこと。
正直、給料が出るか心配だったがちゃんと毎月支給されている。……本当に謎だ。
「先にあがります、お疲れ様です」
店長に挨拶をしてから裏口のドアノブを捻る。
今日は客が少なかったので退勤時刻が切り上げられてしまった。普段ならその分給料が減るので文句の一つくらいあったが今は神白ちゃんが家にいる。できれば早く帰りたいし、その点では今日はラッキーだった。
不意に空を見上げると雲すら一つもなく、三日月が町を照らしていた。最近は雨が続いていて憂鬱だったのでこの天気は嬉しい。
「っと、立ち止まっている場合じゃなかった」
力を入れると自転車を漕ぎ始める。この時間は人通りが少ない、思う存分速度を出せる。
家まで残り半分くらいの所だろうか、いつも通過する住宅街の一本道に誰かが立っていた。……何か怖いな。
この道は広いくせに住宅街とは思えないほど街灯が少ない。
だから目の前にいる人が男性なのか、それとも女性なのかも把握できなかった。
不審者かもしれないがぶつかると危険なのでハンドブレーキを軽く握る。慣性が効くのを身体で感じ、その人物とすれ違った。
その時。
「……あの子に関わらない方が君の為だよ」
「え?」
僅かに聞こえた言葉。反射的に声を出してしまう。誰かは知らないが確実にあの子、と相手は僕に向かって呟いた。
しかも聞こえたのは機械音。ボイスチェンジャーを使っているのか、声から性別が判断できない。低い声だったし、取りあえず男性ということにしておく。
「どうして彼女を知っている……っていない」
急ブレーキ掛け、後ろを振り向くが誰もいなかった。
自転車から降りると辺りを調べるがこの道は開けた場所だし隠れる所なんてない。
後ろにいるはずの男は忽然と消えてしまった。これでは魔法か何かだ。
「……それよりもあの子が心配だ」
消えた現象もだけどさっきの言葉の方が気になる。
すれ違いざまに聞こえた言葉。
思い浮かぶのは––––神白ちゃんだ。しかし彼女が僕の部屋にいることは誰にも話してはいない。……何か嫌な予感がする。
自転車のスタンドを蹴り飛ばすとペダルに力を入れる。立ちながら回すのは久しぶりだったせいか、危うくのめりそうになるが勢いで持ちこたえる。
目まぐるしく変わる世界。風を切る音。さっきとは比べ物にならない速さが出ているのが全身で感じる。
あっという間にアパートへ着くと自転車の鍵もかけずに階段を駆け上がる。肺が苦痛を訴えているがそんなのは無視。
「ただいま!」
鍵を解除するのに手間取ったがどうにか開け、肩で息をしながら扉を引っ張る。なだれ込むようにして部屋へ入ると心配していた人物は我関せずといった様子で寝ていた。……何だ、心配して損した。
「……でも無事でよかった」
扉に寄りかかる。急に落ち着いたのか今までの無茶が身体を襲う。……誰か水を。
疲れた体に鞭を打ちながらキッチンへと歩き出す。
全く……今日は災難だった。
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