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その日エリザベス・テラーは、幼馴染のヘンドリックに失恋した。
正確には失恋したと思う。
理由は簡単だ。ヘンドリックが、一つ下の可愛い女の子から告白を受けて、顔を真っ赤にしていたのを偶然見てしまったからだ。
「ヘンドリック先輩、好きです! 私とお付き合いして頂けませんか?」
「え!? えっあ、えっと、その……あ! エリザベス!?」
告白の返事は聞けていない。だって聞いたとたんに心臓が掴まれたような気持ちになって、エリザベスはその場を逃げ出したのだ。
動揺して走り出した音が、思いのほか大きくて。どうやら自分がそこにいた事はヘンドリックにはバレてしまったようだが、そんな事エリザベスには構っていられなかった。
びっくりした。心臓が痛い。
胸を押さえながら、エリザベスは走る。
(うそ。うそうそうそ……!)
幼馴染があんな顔をしたのを、エリザベスは生まれて初めて見た。
頬を染めて、視線を彷徨わせ、あたふたと慌てて。
今までずっと一緒だった自分には、あんな顔なんて見せてくれた事はなかった。
(嬉しかったんだろうなぁ……)
ヘンドリックは決して目立ったりはしないが、整った顔をしているし、何より性格は大らかで優しい。
故郷にいた頃は分からなかったが、魔法学校に来てから彼はなかなかにモテた。
困っている人がいればスッと助けに行くし、気配り上手だし、言葉も柔らかで、男女問わず仲の良い友達が多い。
ちなみにエリザベスは誰に対してもスパスパ物を言う方なので、怖がられる側だ。ゆえに仲の良い友達はほんの一握りだ。
ヘンドリックと一緒にいれば「どうしてあの二人が仲が良いんだろう」とか「ヘンドリック君ってさすがだよねぇ」なんて言葉を投げかけられる事が良くある。
幼馴染だから仕方なく一緒にいるんだろうとか、そういう話も何度も聞いた。
エリザベスだって、自分の性格も言葉もキツイのは分かっているのだ。
しかしそれは性分でどうしても治せない。理不尽が許せないし、弱い者いじめはもっと許せない。
だから喧嘩っ早くて男勝りで、周りから怖がられるような可愛くない人間になってしまった。
「…………可愛いかったな」
ヘンドリックに告白したあの子は、ふんわりとして、小さくて。
自分とは正反対の、とても可愛い女の子。
そんな子に告白されたら、ヘンドリックもきっと嬉しかったのだろう。
そう思ったら悲しくなってきて、エリザベスの目から涙がぽたりと落ちた。
エリザベスとヘンドリックは同じ町で生まれた同い年のお隣さんだ。
勝気で喧嘩っ早いエリザベスと、おっとりとして穏やかなヘンドリック。
まるで正反対の二人だが、兄弟のようにとても仲が良かった。
気が付いた時にはエリザベスは、ヘンドリックに恋をしていた。
ヘンドリックはおっとりしていて優しくて腕っぷしも弱いのに、エリザベスが喧嘩で負けそうになると、いつも助けに来てくれるのだ。
結局、ぼこぼこにされかけたヘンドリックを見て怒ったエリザベスが、必死の形相で相手を追い払うのだけど。
「いたた……エリザベス、大丈夫?」
「あたしはヘンドリックがかばってくれたから……!」
「そっか、良かったぁ」
「人の心配をしてる場合じゃないでしょ! あたしよりあんたの方が大変じゃない! どうしてこんな事するの!? もう、もう、あんた喧嘩弱いんだから、もう……!」
「僕が喧嘩が弱い事と、エリザベスを心配する事は別です」
「急に丁寧語やめて」
「別」
「何で訳の分からない事で押しが強くなるの……」
「……だって、エリザベスが危ないって思ったら、つい……って、エリザベス? どうして泣いてるの?」
「ヘンドリックが、あたしのせいで怪我したからぁ……!」
「こ、これくらい大したことないよ! どうしよう、エリザベス……な、泣かないで、ね? ね?」
エリザベスが泣き出すと、ヘンドリックは大慌てで背中をさすってくれた。
ヘンドリックは腕っぷしが弱いから、いつも喧嘩で負けている。
けれどそれでもエリザベスには、両手を広げて自分を守ってくれるヘンドリックが、世界で一番強くて格好良いと思ったのだ。
エリザベスはヘンドリックの事が好きだ。
好きで、好きで、大好きで。でも兄弟のようにずっと一緒だったから、その気持ちをどう伝えて良いか分からなかった。
分からないまま十六歳になって、魔法学校に入学して、クラスも別れて、そして二年経った。
その間にヘンドリックとは何度も話をしたし、一緒に遊んだりご飯を食べたりもしたけれど、それでも関係に変化はなかった。
変化させる事が出来なかったのだ。
どうしてだろう。
どうして何も言わなかったんだろう。
「ヘンドリック先輩、好きです!」
あの子は、エリザベスがずっと言えなかった言葉を、簡単に伝えられていた。
いいや、もちろん告白は簡単なものじゃない。
きっとたくさんの勇気を出して、彼女はヘンドリックに想いを伝えたのだ。
それは格好良くて、羨ましくて、どうしようもなく悔しい。
エリザベスはボロボロ泣きながら「いいなぁ」と呟いた。
いいなぁ。いいなぁ。
あたしも言いたかった。あんな風に、勇気を出して言いたかった。
何で言えなかったんだろ。
ボロボロ泣きながら、エリザベスは歩く。
幸い周りには人はいないし、そろそろ次の授業が始まる時間である。
エリザベスが泣いていたって誰にも迷惑をかけない。
だからエリザベスは校舎から離れて歩いて、歩いて、森の中にある旧図書館へと向かった。
旧図書館はその名前の通り、魔法学校の敷地内にある図書館だ。
建物の老朽化によって別の場所に新しい図書館が新設された事によって、お役御免となった建物である。
本も全て移動され、旧図書館にあるのはテーブルとイスと、空っぽの本棚くらい。
それでも取り壊されないのは、魔法学校の創設者が、ここをとても気に入っていたからである。
創設者に敬意を表して、例え利用しなくなったとしても、自然と朽ちるまではそのままにしておこうという事になっているらしい。
そんな旧図書館への立ち入りは、危ないからと禁止されているものの、生徒達はこっそりと中に入っている。
森の中にある図書館は静かで、天窓からは柔らかな日差しが降り注いで、とても居心地が良いのだ。
こっそり旧図書館へ入った生徒達は、そこで昼寝をしたり、魔法の練習をしたり、勉強をしたりと、教師陣から見つからないようにのんびり過ごしている。
エリザベスもその生徒の一人だった。
普段もそんなに大勢の生徒はいない。それに加えて、授業中だ。恐らく人はいないだろう。
だからエリザベスは旧図書館へ向かった。
そこでなら、思い切り泣けると思ったのだ。
ばかみたい。
ばかみたい。
そう思いながらエリザベスは歩く。
物語みたいに素敵な恋がしたいわけじゃなかった。
それでも――――いつかこの恋は実ると、思っていた。思いたかったのだ。
「何で言わなかったのかしらね。本当に……本当に、ばかみたい」
告白して、駄目なら駄目で、良かったのだ。
本当は良くはないけれど、それでも想いを伝える事が出来たなら、それで区切りもつけられた。
でも言う前に全部が終わってしまった。
幼馴染という関係に甘んじて、己惚れていた自分が悪いのだ。
そんな自分と比べて、ヘンドリックに告白したあの子は勇敢で、格好良い女の子だった。
エリザベスもあんな風になりたかった。
普段は怖いもの知らずで喧嘩っ早いくせに、エリザベスはここぞという時で臆病だった。
あの子に比べたら、自分の情けなさと言ったら。
そう思ったらまた泣けてきて、エリザベスは服の袖でぐいと強く目をこすった。
そうしている内に旧図書館へ到着した。
森の中で、ぽっかりと空いた広場に立つその建物。キラキラと輝いて見えるのは、早朝に降った雨のせいだろう。
エリザベスは旧図書館を見上げる。
屋根の向こうに虹が見えた。
(きれいね。きれいね……あたしだけ、こんなひどい顔して、ばかみたい)
そう思っていたら、歩いてきた道の方から、
「エリザベス!」
と、ヘンドリックの声が聞こえた。
今まで聞いた事がないくらい、大きな声だった。
エリザベスは驚いて振り返ると、ぜいぜいと死にそうな顔で肩で息をしているヘンドリックがいる。
「ヘ、ヘンドリック……?」
「ちょ、ちょっと、エリ……ザベス、待ってって……言った、のに……」
「えっそれ言われてない……」
「言ったの……! なのにエリザベス、足が速いから……」
どうやら呼び止められていたらしい。
確かにエリザベスにも名前を呼ばれた覚えはある。けれど直ぐに走って逃げ出してしまったために、その後の言葉は聞こえなかったようだ。
「……だ、だって。いたらまずいかなって思って」
「どうして?」
「ヘンドリック、告白されてたじゃない。だからいたたまれなかったって言うか……」
「僕が告白されてるのを見て、どうしてエリザベスがいたたまれなくなるの」
ヘンドリックが少しすねたようにそう言った。
どうして、と言われても。
エリザベスは慌てて、何とか理由を引っ張り出して、
「だって、そうでしょ? 告白よ? 一世一代の大事なシーンなのよ? あたしなんかがいたら邪魔じゃない」
「…………」
と答えたらヘンドリックが渋い顔をした。何だか少し機嫌が悪くなったように感じられる。
エリザベスは真っ赤になったヘンドリックも初めて見たが、こういう表情もほとんど見た事がなかった。
ヘンドリックがこの顔をする時は、大体がエリザベスが見当違いの事を言い出した時である。
しかし何故だろうとエリザベスは困惑した。
だって今回に限っては見当違いな事は言っていない気がしたからだ。
「どうしてそんな顔するの」
「エリザベスが変な事を言うからだよ」
「別に変な事なんて言っていないわ。……そ、それより、良かったわね! あんたに告白した子、可愛い子だったじゃない!」
自分で自分の首を絞めるような言葉だったが、話題を変えるようにエリザベスがそう言うと、ヘンドリックがさらに渋面になった。
ナゼ。
エリザベスは頭を抱える。
「……断ったよ。ごめんなさいって」
「何で!?」
「何でそこまでびっくりされるのか分からないので、簡潔に教えて貰えますか」
「急に丁寧語になるのやめてください」
「簡潔に」
「ぐう、何でこういう時ばかり押しが強いの……。……だ、だって、もったいないじゃない」
「何がもったいないの?」
「可愛かったし、良い子そうだったし……」
エリザベスが早口でそう言うと、ヘンドリックはため息を吐いた。
「僕には好きな人がいます。だから、君の気持ちを受け取る事はできません。ごめんなさい」
「え?」
「彼女に断った時の言葉」
「…………」
エリザベスはポカンとした表情になった。
断ったと聞いて少しホッとしていた気持ちが、急速にしぼんでいく。
どうやらヘンドリックには好きな人がいるらしい。
(何だ、そうなの。それならやっぱり、全部終わってたのね。……でも。でも、それなら)
改めてそう思ったらやっぱり泣けてきて、一度引っ込みかけた涙が、競り上がってきた。
エリザベスは今度は両手でごしごしと顔をこすると、無理やり口の端を上げて、笑顔を作る。
「あんたが好きよ、ヘンドリック」
エリザベスがそう言うと、ヘンドリックが目を大きく見開いた。
ああ、びっくりした顔をしている。
自分も驚かせてやったぞと、エリザベスは少しだけ嬉しくなった。
「エリ…………」
「言わないままでいたくなかったの。ごめんね、せっかく断ったばかりだったのに。変な事を言ってごめんね。ねぇ、ヘンドリック。好きな人と上手く行くといいわね!」
そして一気にそう言うと、旧図書館の方へ体を向ける。
とりあえず逃げ込む場所に最適だと思ったからだ。
「エリザベス・テラーさん!」
走り出そうとした時、ヘンドリックが大きな声で名を読んだ。
先ほど呼ばれた時よりもずっと大きな声だ。
「あなたは可愛いです。あなたは優しいです。あなたの金の髪が太陽の光でキラキラ輝くところも、それ以上に輝いて素敵なあなたの笑顔も、切れ味の鋭いあなたの言葉も、キツイ事を言って後で落ち込んでいるところも。子供の頃からずっと、格好良くて優しくて一生懸命なあなたが、僕は大好きです」
エリザベスが振り返ると、ヘンドリックは「だから」と一度言葉を区切る。
「どうか僕と、幼馴染以上の…………恋人になってください」
ヘンドリックはエリザベスの目を真っすぐに見てそう言った。
「…………エリザベスも好きだから、返事はオーケーでいい?」
「……あたし、まだ何も言っていないわ」
「先に言ったのエリザベスじゃない」
「あの、だって、あの……何かそういうのじゃないでしょ、あたしの、あの、あれ」
「うん。ところで、お返事ください」
「急に丁寧語になるのやめてください」
「お返事」
「ぐう、本当に、何でこういう時ばっかり押しが強いの……」
そんな軽口を叩きながら、エリザベスの目からボロボロと涙が落ちた。
今までの悲しい気持ちでいっぱいだったそれとは違う、嬉しい気持ちが詰まった涙。
「あたし、あんたが大好きよ、ヘンドリック。ずっとずっと、大好きだったの!」
泣き笑いを浮かべたエリザベスは、そのままヘンドリックに飛びついた。
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