天井裏ガードマン

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天井裏ガードマン

 玄関ドアの開く音と振動で目が覚めた。なんや、帰ってきたんか。とソファーの上で寝ていた私は目を覚ました。「ただいま」と道夫ちゃんが言うのが聞こえた。誰もおらんはずやのに道夫ちゃんはいつもちゃんと挨拶する。普通半年も一人で暮らしてたら自然と言わなくなりそうなもんやけど、まあ、私的には道夫ちゃんのその習性は大助かりや。  道夫ちゃんはリビングに入るとそのままソファーの上に寝っ転がってテレビをつけ始めた。「なんや、飲んできたんかい。通りでいつもより帰りが遅いわけや。」  ん?いまのお前らの位置関係はどうなっているのかって?ひっかかったな。思う壺やで、あんた。私がおるんは、と言うか住んでるんはソファーの上、真上や。もっとわかりやすく言えばソファーの上の天井裏にあたる部分、そんで道夫ちゃんがおるんが普通にソファーの上。これでわかるな。道夫 オン ザ ソファー、アカネ アバーブ ザ ソファーや。 わかる、言いたいことは分かるで。こんな話聞いてもなんのこっちゃやろ。ただな、これには深いわけがあんねん。ちゃんと話すから一旦待ってくれや。  まず、自己紹介からやな。私の名前は家口アカネ。やぐちでもいえぐちでもないで、かぐちや。今年で二十一、性別は女。体重、スリーサイズは非公開やけど、身長は152センチの小柄な女の子や。趣味は映画と読書。好きな食べ物はカレー。特技は隠密行動。好きな異性のタイプは一途に愛してくれるEXILE風イケメン。嫌いなタイプは簡単によそに女を作るエロガッパや。こんなもんでええかな。で、私の真下におるんが、この家の主人である大葉道夫。五十歳過ぎのおっさんや。身長は160センチくらいでちょっと小太り、頼りないと言うか抜けてるとこがあるけどまあ、可愛らしいもんやで。  で、さっきも言った通り、私は道夫ちゃんの住んでいるマンションの天井裏に住んでるんやけど、当然誰にも秘密で住んでる。なんでそんなことになったのかまず話しとこか。あんま思い出したいことやないんやけど特別やで。  そもそも、私はこの通り大阪の出身やねんけど、高校卒業した後に上京してきた。高校はめちゃバカ学校で卒業したらみんな就職するようなとこやった。ただ、それまでの人生は最高におもろかってん。恋もしたし、友達もいっぱいおって、身の回りの連中アホばっかやって毎日笑ってたわ。だからこそ、卒業してふと思ってしまったんやな、この先の人生が今までの人生超えるんかなぁって。せめてもうちょい頭良かってんなら、大学なり専門学校なり行ってもう後数年遊べたんやけど、いかんせん頭が悪すぎた。さっきのオンとアバーブだって、渾身の説明やってん。英語でどやって書くのか知らんし、たまたまテレビでやってたの見ただけやねんけど。  学校卒業した後は半年くらいフリーターしてたわ。地元のファミレスのバイトをな、在学してたときからそのまま適当にやって、たまに友達と遊んだり、彼氏と出かけたりしてた。楽しいなぁって思うんやけど、それと同時に虚しかってん。学生んときは頭カラッポで笑い転げてたんが途端にできんくなって、常になんかモヤモヤしとったわ。この先どうしようとかな、考えて眠れなくなりそうやった。  そんなある日、彼氏が浮気しとってん。信じられる?高校んときから一年半続いた彼氏やで。しかも告白してきたんも向こうやで。そん時の彼氏は運送の仕事についてて職場に女もおらんと油断してたわ。マッチングアプリで知り合ったんやって。たまたま、彼氏のLINEの通知見てしもうてん。  「今日会える?」ってそれだけのメッセージで、私もはじめは疑ってなかってん。なんの事情か知らんけど、知り合いの女の子とちょっと会うくらい、いくらでもありえるやろ。やから、冗談のつもりで「この女誰なん、まさか浮気してん」ってなヘラヘラ聞いたら、急に黙って「ごめん。」やって。「ほんまに?」って聞き返してもうたわ。そん時もドライブでちょっと遠出しててんけど、頭きてもう降ろして言うてそっから自力で帰ったわ。えらい長い帰り道やったなぁ  その日の夜に長ったらしいLINE送られてきた。はじめは遊びのつもりがいつの間にか本気になっていたと、その子は自分しか頼れるやつがいないと、このままじゃアカネに申し訳ないから別れてほしいと、自分勝手も甚だしいやろ?あぁ、イライラしてきた。気持ちの赴くままにメッセージ打ち込んだったわ。全然指はついてこれへんかってん、気持ちもおさまらんけど、送りつけてそのままそいつの連絡先全削除。イラつきすぎて泣きながら朝まで友達と電話したわ。やっぱ持つべきものは友達やなってしみじみ思った。  それがきっかけになって、「よっしゃ、東京行ったろって思ったんよ。」ずっと感じてた焦りに、失恋での自棄っぱちが重なってそんなすっっ頓狂なことを考えてしもた。周りの友達は「東京ええなぁ」とか「すごいやん」とか言ってくれて、親は「何しに行くねん」とか至極真っ当に反対しとったけど、遅めの反抗期の私は帰って火がついてしもうてん。絶対行くって意地はって、最後は「しょうのない子やあ。おみやげよろしくな。」って。認めてくれた。親もアホやった。  貯金全部おろして、着替えやらなんやら持って新幹線乗ったわ。「誰も私を知らない街で、新たな人生を歩む。」ほんとアホやろ。そんなこと思いながら、胸ワクワクさせとったわ。こんなもんただの失恋傷心旅行やで。  最初のうちはやっぱ楽しかってん。いろんなとこ見て回って、東京オモロイわーって浮かれとってんけどな。でも、次第にお金も無くなってきて、なんや寂しくなってきてな。「あかん。地元帰りたい。」って思い出してしまったんよ。人ばっか多いのにだーれも私のことなんて気にかけんし、私のことなんて知らんのかぁってめっちゃ悲しなって、「東京は冷たい街」って誰かが言ってたなって思いだした。でも、ここで帰ったらほんまに失恋傷心旅行やんかって、思ったら帰るにも帰れんかった。  ただな、侮れへんのは私の運の良さや。もういよいよ、お金も無くなって今晩泊まるとこもないって時にな、賭けに出たんよ。渋谷でな、自分に近い臭いのする人に声をかけたんよ。要するにアホの匂いのする子にな。ベロベロ酔っ払ってクラブから出てきた女の子、年も近い子にな、もう駄目元で 「今晩、泊まらしてください」って言うたら私の顔もみんと「いいよ〜」って。お願いしたのは私やけど、ほんまに言うてるんかって、驚いたわ。 でも、こんなチャンス滅多にないし、余裕もなかったからついてってな、その子マイちゃん言う大学生で上京して一人暮らししてる二つ年上の子やったんけど、次の日驚いてたわ。ただ、私が事情を説明したら。「ウケる、いいよいいよ、しばらくここいなよ。」って、そんでしばらく一緒に暮らすことになったわ。マイちゃんは毎日遊びに出かけてなぁ。ベロベロで帰ってくんねん。たまに、私もついて行って一緒になって潰れてたわ。ほんま、西も東もアホばっかりやで。ただおかげで、随分と知り合いも増えてな、まあ、アホな知り合いやねんけど。  一ヶ月くらいしたら、「ごめん、彼氏できたから出てってもらえる」って突然追い出されたわ。出会いが急なら別れも急で、マイちゃんらしかったわ。これで一ヶ月前に逆戻りやねんけど、、今度は知り合いもめちゃめちゃ増えてる。マイちゃんはめちゃアホやったけど、顔は広かった。マイちゃん、私がマイちゃんハウスを出る際にも色々な人に連絡とってな、「大阪から来ためっちゃオモロイ子がいるんだけど〜」って私のこと売り込んでくれた。おかげで、すぐに次に家も見つかった。なんと男の人の家やねん。しかも会ったことないんよ。  「いや、こいつまじでいいやつだから。童貞だし、変なことしないと思うよ。学校で同じ授業とってんだけどさ。一人暮らしで実家が金持ちだから東京でもいい暮らししてるらしいし、私が死ぬ気でお願いしたら多分住ませてくれるんじゃないかな。」  「いや、流石に男はキツイて、マイちゃん。ごめんやけど。しばらくはマイちゃんみたいなアホを探すわ。」   って会話をしたんやけど、なかなかおらんかった。マイちゃん並のアホ。たまにおっても実家で暮らしてたり、彼氏と同棲してたりで、やっぱしばらく住ませてもらうってなると無理やった。 で、結局「すまん、マイちゃん。この間言うとった人、紹介してや。」言うて決まった。  そんで、出会ったのがカッパくん。シュッとした顔にタレ目でちょっと出っ歯やってカッパみたいやからカッパくん。マイちゃんの言うた通り優男やった。都内の2LDKのマンションに一人暮らし。すごない?金持ちやってんなぁ。マジメって言うかおとなしい人やってんけど、今まで私の周りにそう言う人おらんかったからどうしよう思ってたんけどな、話してみたらおもろくて結構楽しかってん。最初こそお互い戸惑ってたけど、まあ、私はこんな性格やし割とすぐ仲良うなった。それに向こうすごい気を使ってくれてわざわざ布団とか買ってくれた。                 そん時には、カッパくんのことちょっと気になってたかもなぁ。カッパくんは下心もなくてな、私も住まわしてもろてるから、童貞捨てる手伝いくらいしたろかなとか思っててんけどそんなそぶりも見せんと優しくしてくれた。最初はそんなやってんけど、すぐに好きになってしもた。ちょっとの物足りなさはあっても、大切にしてくれるんちゃうかなぁ思って。で、流れでいつの間にか付き合ってた。       そっからなんやかんやあって一年くらい続いて、私もアルバイトとか始めて仲良く暮らしててんけどな、またやった。浮気してた。カッパくん。エロガッパやった、ほんまに。大学の子で私の同い年やからカッパくんの後輩やな。しかもまた私がスマホのメッセージ見てしもて、それでバレた。ただ今回はだいぶ直接的やったな。  「彼女が家いない時とかは?」って、前後の会話はわからんけど、相手の名前を見るに女からのメッセージであることはわかった。カッパくん謝ってたわ。もうやらない。ごめんって。前んときはめっちゃムカついてんけど、今回はめっちゃ悲しかった。カッパくんのこと信頼してたし、頼りにしてたんやな。やから怒らんかってん。でも、一緒にはいられへんって思ってカッパくんの家からすぐ出て行った。「今までありがとう。ほんま楽しかった。」言うて。カッパくん、最後まで申し訳なさそうにしてた。  そっからしばらくは東京の知り合いの家を泊まり歩いてん。貯めたバイト代も切り崩してホテルとかも転々として。でも、実はカッパくんのことまだ好きやってん。別れ際の顔が忘れられんくて、「もしもあの時、」なんて後悔もめっちゃした。ある日抑えられんくなってな。でも、直接会うことなんて出来へんし、せめて姿を見るだけでも思って家の近くまで行ったんよ。カッパくんのマンションの向かいのマンションからカッパくんの家の扉を見てたんよ。ちょっと前まで、当たり前のようにいた場所やのになぁとか考えてたら、胸が苦しくて泣きそうになってしもて、人様のマンションの廊下で泣けへん!思って必死にアホなこと考えてたわ。したら、急にカッパくんの家の扉が開いてん、心臓止まるかと思ったわ。「逃げな」って思ってんけど体が動かんくて、さっきまで必死に引っ込めようとしてた涙が急にどっか行ってしもうて、もうその扉から目が離せんかった。  開いた扉か出てきたんは、会ったこともない女の子やった。心臓がまた動き出して、でも、血の引いて行くような感覚。「あれ、部屋間違えたかな。カッパくん引っ越したかな。」とか考えられんかった。だってその子はカッパくんがよく着ていたトレーナーを着てたし、何よりもその子が寂しそうに、だけど幸せそうに別れの挨拶を告げる先にはカッパくんがいたんやもん。同じように寂しいけれど幸せそうな顔して、あの日私に見せた悲しさはとっくになくなった笑顔で。二人とも私なんか気づかんかった。そのまま女の子は帰っていったし、カッパくんは扉の奥に戻ってった。なくなったと思った涙がまた出てきて、でも今度ははるかに勢いを増して我慢できんと泣いてしもうた。知らんマンションの廊下で声も我慢せんと泣いてしもうた  とりあえず、早よマンションから出よ思って歩こうとすんねんけどな、前が見えんくて力が入らんくて歩けんかった。なんとか、廊下の隅までいって、そっから外の景色を眺めてるフリして誤魔化した。家の外で待っている人、のふりをした。しばらくしてやっと少し落ち着いてきたら、私のおったところからちょうど二つ隣の扉が開く音がした。若い夫婦っぽい男女にスーツ着たお兄ちゃんが出てきた。「家ん中見てたんか。」思って、私またバレへんように泣きはじめたんけどな、えらい盛り上がっててこっちなんて気づきもせんかったわ。知り合い通しだったんかな。夫婦の方は新婚さんぽかった。幸せそうで正直めっちゃ腹たって、「はよいなくなれアホ。私は泣いとるんじゃ」って思ったわ。  やっといなくなって静かになったときにふと思った、「あれ、あの兄ちゃん鍵閉めてたかな」って。試しにドアの取っ手を回して見たらそのまま開いてもうた。なかは何にもなくてひんやりして薄暗かった。「嘘やん、あの兄ちゃん何やってんの」家族か友達か知らんけど、結婚した知り合いに家を紹介できんのが嬉しくて浮かれてたんやろうな。あるまじきミスやで。けど、私的には好都合やった。まだまだ泣き足りんかったから、そのまま中に入って、鍵もかけんとめちゃくちゃに泣いた。声を出して床を叩いて、転がり回った。  そのまま寝てたみたいで気づいたら真っ暗になってた。目がめっちゃ重たくて腫れぼったくなっとった。「帰ろ、お腹すいた。」って思ってな、部屋から出ようと思ったらガチャって鍵がかかってん。  「兄ちゃん、鍵かけてないの思い出して戻ってきたんか。でも、ダメやないかちゃんと中まで確認せんと。私ここの鍵、外からかけられへん。」  そこで閃いた。  「そや、ここにしばらく住んだろ。ちょうど、誰も私のこと見てへんし、明日以降泊まるところも決まってへんし。それに、開けっ放しにして誰か怪しいやつとか、変な奴が住み着いたらあの兄ちゃんも大変やろしな。私がしばらくこの家の面倒みといたろ。」  それまで泊まってた友達の家行って、すぐに荷物持ってその家に戻った。当然電気、水道、ガス、は止まってたから不便やったし、その頃からちょうど本格的な冬が始まってな凍え死ぬって何度も思ったわ。でも、屋根と壁があるだけましやし、バイト先も近かってん、我慢したわ。  困ったんは、たまにくる訪問者たちや。月に一回か二回。部屋の内見にくる人たちもいれば、管理人かなんかのじいちゃんが異変がないかーって見回りにきたりすんねん。クローゼットの中に隠れたり、ベランダからぶら下がったりしてな、もう必死やった。「見つかったら殺される!」ってくらい本気で隠れたわ。たまたま数回うまくいっても、本来何も置いてない家に隠れるのなんて無理あるやろ。だから私また閃いてん。天井の裏に隠れたらええんちゃうかって。多分みんなあんまピンとこおへんかも知らんけど、マンションにも天井裏ってあるんよ。基本的には風呂場とか行ったら四角いパネルみたいのがネジかなんかで止められてると思うねんけど、そっから入れんねん。すごない?ゲームの裏技みたいやろ。  天井裏ってな、汚いねん。でも広い。下の部屋より広い。とりあえず掃除して、照明も運び込んで布団敷いてそこで暮らしてみることにした。普通よりも密閉されてるぶん寒さもなんとかなった。何よりも急に誰か来ても全然平気やねん。覗き穴は無数に作ったから下の様子は丸見えやった。管理人のおっちゃんはハゲとったし、点検もめっちゃ雑やった。だからバレへんかったんかって納得してもうた。内見にきた人たちにはたまにイタズラとかしてな。「バンっ」って天井叩いたり、こっそり音楽かけたりしてな。みんな不思議がったり怖がったりしてた。たまに人がきてくれるんが嬉しかったんよ。そのせいか全然住む人は決まらんかったな。  東京に来て二度目の春やった。そのころには天井裏での生活にも随分慣れとった。道夫ちゃんが来たんはそんな時や。当然向こうは知らんやろうけど。内見にきた道夫ちゃんにな、例のごとくイタズラしたんよ。「バンっ」って、天井叩いた。  「何か住んでるんですかね。」って道夫ちゃんが言うた。  「そんなことはありえないと思いますが、ただ、この家を見にきたお客様は同じような体験をなさるとかで少々困ってまして。」不動産屋の兄ちゃんがちょっと焦ったように言うとった。よう見たら、あの日、鍵をかけ忘れた兄ちゃんやった。  「ひさしぶり!あんたのおかげでええ生活送ってるで!」って意味を込めてな、なんか嬉しなって三回もぶっ叩いてもうた。上から見ても分かるくらいに、兄ちゃんの顔引きつっとった  「すごいですね。賑やかですね。」道夫ちゃんは嬉しそうに言った。  兄ちゃんはなんて返せばいいか分からんと笑っとった。  「決めました。ここに。」  それ聞いて兄ちゃん驚いとった「本当によろしいんですか」って聞き返しても、道夫ちゃんは「ここでいいです。決めました。」って答えとったわ。  いよいよ人が住むんかいって思ったけど、まあええかって思った。家出て行こうか悩んだんやけどこのおっちゃんならなんとかなるんちゃう?て思って試しにそのまま住んでみることにした。    そっから半年が経って今に至るというわけや。これでわかったか。色々大変やったんよ、今日まで。  下を覗くとソファーから道夫ちゃんが立ち上がるところやった。酔ってても道夫ちゃんはちゃんと風呂入ってベッドで寝るから偉いんよ。私ももう一度寝ることにするわ。ほな、また明日。  朝はいつもだいたい決まった時間に起きとる。八時くらいには道夫ちゃんは家を出て会社に向かう。私はそんくらいに起きる。  「行ってきます。」  道夫ちゃんの声、玄関ドアの閉まる音、鍵のかかる音、これらをしっかり聞いてからやないと動き出したらあかん。それから、聞いたからいうてすぐ動くのもあかん。絶対に家に誰もおらんことを確認したら、GOや。  布団から数歩歩いたところに、リビングへの出口兼入り口がある。道夫ちゃんの入居が決まってから作ったもんや。そこから、ゆっくりとリビングに置いてあるテーブルに着地する。お行儀悪いんはわかってるけどな、踏み台にできるものが他にないんよ。ちゃんと綺麗に布巾掛けしてるから堪忍してや。  リビングは静か。こっから私の一日が始まる。私が踏み台にしているテーブルは四人がけの長方形のもので、結構濃い茶色をしてて透明なマットで覆われている。椅子は二つだけ向かい合うように置かれとる。これも同じような茶色で、クリーム色のクッションがおかれている。よくみるとテーブルにも椅子にも細かい傷とか落書きみたいな汚れもいっぱいある。前の家から使ってるんやろな。テーブルはリビングのドアから入って左半分に縦に置かれててキッチンはその手前側にある。こっち半分は食事用のスペースとして私と道夫ちゃんはつこてる。ほんで、右側には昨日言うたソファーとテレビが縦に置いてある。ソファーは黒い布でできていて三人は座れるごっついやつ。左端だけ足を伸ばせるようにボコっと前に出たマットがついとる。ちっちゃな机を挟んでテレビが置いてある。これがめちゃすごい。薄くてデカいねん。テレビ台もめっちゃ豪華。左右に棚とか引き出しが付いてて、ビデオとかDVDがぎっしり詰まってる。古くてよう分からん外国の映画とか、ニュースの録画されたビデオとかも多いけど、普通におもろい映画も多いねん。意外なことにアニメ映画とかも見てたりすんねんな。ちなみにAVは見つからんかった。どっか他の場所に隠してんのかなぁ。そんな気がしないでもないけど、野暮なことはせえへんのがマナーや。  朝起きたら、まずお風呂に入ってリフレッシュや。夜は道夫ちゃんがおるから入られへんし、仕事が休みで家におる時間の長い日なんかも入られへんからな。風呂は丁寧にゆっくりと味わうんや。私は髪の毛をめっちゃ短く切ってんけど、それでもできるだけ髪の毛とかが残らん様に気をつける。少しでも証拠になるうるものは徹底的に排除せなあかん。シャンプーとリンスはちゃんと自分用のを用意してる。お風呂の椅子の上に立って、天井のパネルを外してそっから取り出して使う。やっぱ、こういうもんはこだわらんといかんな。女の子やもん。  お風呂が終わったら洗濯や。道夫ちゃんの洗濯機は一台で乾燥もできる優れものやねん。基本的にはあんまり洗濯物は出ないんやけどな、それでも二日にいっぺんくらいは回してる。ちなみに道夫ちゃんの洗濯物(下着以外)も回してあげることもある。終わったらこっそりタンスにしまってあげる。  そしたら、お待ちかねのご飯の時間や。一番気を使うんがやっぱりご飯やねん。やっぱり食わないわけにはいかんやろ?でも、食材が減ってたら当然怪しむわけやんか。ここに実力が現れるねん。  ええか、まず、食事の量を極力減らす。朝と昼は兼用や、夜に至っては食べないこともある。一日、多くて二食。贅沢はあかん。次に何を食べるかやねんけど、大切なんはこれや、冷蔵庫の中身は家の主人以上に把握しとらんとあかん。まず基本として、数えられるものっていうのはあまり手を出さへんほうがええ。例えば卵なんかは下手に使ったらすぐに個数が合わんとばれてまうやろ?だからなるべく避けたほうがええ。あとは、肉みたいに存在感のあるもんもあんまり手を出さんほうがええな。そういうのってなんとなく買ったりせえへんやろ。「これを作ろう」ってなんかを思い浮かべた時に買うと思うねん。だから、そういうメインになる食材は使ったらあかん。  なら具体的に何を食べるかって?基本は野菜やな。野菜は存在感も薄いのと、個数というよりかは量で使うやろ。あとは、うちの場合ベーコンとかウインナーも案外使いやすい。基本的には複数のパックで買うと思うねんけど、道夫ちゃんは大量に入った安いのを一つ買う。というのも道夫ちゃんは朝食にほぼ必ず、ウインナーかベーコンを食べるからや。だから、他のものに比べて減ってるかどうかがわかりにくいねん。  道夫ちゃんは朝は市販の食パンを焼いて食べることが多いけど、夜はほぼ必ずご飯を食べんねん。帰ってきてから炊くときもあれば、電子レンジでチンするだけで食べられるご飯の時もある。昨日の残りがまだ炊飯ジャーに残ってるときは基本的には手を出さへん。そうでないときは思い切って一合だけ炊いて全部食べてまう。綺麗に洗って元どおりにすればまずバレることはあらへん。パスタの乾麺とかインスタントラーメンとかで済ませることも多いな。パスタに関しては、道夫ちゃんは休日の昼間にたまに料理する程度やから、量は対して把握してへんやろうし、インスタントラーメンも時間のない時とか小腹が減った時に食べる程度やからこれも多分量は対して把握してへん。主食はなんやかんやでほとんど問題にならへん。  本当に食べるものがないときは近くのコンビニなりスーパーなりに買いに行けばいいだけやしな。ただ、それも滅多にないなぁ。そもそも私少食やし、さっきも言うたけど、道夫ちゃんの家食べるもん多いねん。割と自分で作るからかも知れんけどあんまりどの食材がどれくらい必要かとか気にせんと買ってもうてるっぽいんよなぁ。多いに越したことはない、とか思ってるんかもな。「今日中に食べんとあかんやん。」ってのが二個も三個もあって「食べきれへん!」なんてこともあるねんで。道夫ちゃんはそういうところはやっぱだらしないんよな。  昨日は道夫ちゃん、飲んで帰ってきたせいでなんも料理してへんからな。お米を炊いたら、今日はもやしがあったから炒めていただくわ。冷凍庫に最後に食べてから一週間立つ唐揚げがあるからそれも食べよか。基本的には一週間手をつけてないものはもう存在を忘れてるはずやから食べて問題ないねん。これは半年暮らして見抜いた道夫ちゃんの癖や。 さて、ご飯が炊けるまでの間に掃除でもしよかな。一応住まわせてもろてる身なわけやからな、最低限なんかせんと失礼やろ。これはマイちゃんの家におった時もカッパくんの家におった時もそうやった。ただで住まわせてもろてるだけなんて虫が良すぎるってもんや。人間支え合わんと生きていけへんって、東京にきて痛いほどわかったわ。  さて、掃除言うてもそんなに大げさなことはせえへん。目につかないところのホコリや汚れを吹いたり、出しっぱなしになってるものを元の位置に戻したりするだけや。もともと、ものの少ない家やし、おまけに主人が家におる時間もあんまり多ないからな。それでも半年住んでて、道夫ちゃんが一回も掃除してへんのは、ひとえに私のおかげやけどな。掃除しようと思わんくらいの綺麗さを常にキープしたんねん。それとな、これは私がいっちゃん大切やと思うことやねんけど、いくら主人に気付かれてないからって、勝手に物を漁ったりしたらあかん。もちろん何がどこにあるか私はほとんど知っとる。でも、見られたないもんも絶対あるはずやねん。例えば、アルバムとかな。私たち世代は写真なんてスマホでパシャやし、いつだって見れるけど、道夫ちゃんたちはそんな便利なもののない時代に生きてたはずやからな。一枚一枚に思いを込めて撮って、それを集めて手で触れられる物として残してんねん。部外者が勝手に触ってええもんとちゃう。まあ、道夫ちゃんのアルバムがどこにあるんかも、アルバムがあるんかも知らんのやけど。  多分、あそこっていう場所が一箇所だけあんねん。食卓テーブルの奥、部屋の端にな、横長のちっこいタンスがあんねんけどな、三段ある引き出しの一番上にだけ鍵がかかってんのよ。下の二段はなんかの説明書やらパンフレットやらが入ってるんやけど、一番上だけ何が入ってんのか全くわからん。多分貴重品かなんかやろうけどそれだけやない道夫ちゃんの大切なもんも入ってると思うねん。ちなみに鍵がどこにあるのかは私も知らん。まえに探したけど、見つからんと諦めてもうた。そういえば、道夫ちゃんがあそこ開けとるんも見たことないなぁ。単に鍵なくしてもうてるだけかも知らん。やとしたらアホやな。  ご飯が炊けたみたいやな。時間は午前十一時。まだ食ったらあかん。なんでか言うたらあとでお腹が空いてまうからや。証拠隠滅の時間も考えたらベストなんは午後二時、ちょい遅めや。それまではリラックスして待てばええ。例えばテレビをみるとかな。この時間はあんまりおもろいんやってないねん。やっぱりや、情報番組とニュースしかやってへん。そや、昨日のドラマの録画を見よ。リスクを冒してまで録画したドラマやからな、めっちゃ気になっててん。  あー、おもろい。来週の続き気になるなぁ。ドラマを見終わってもちょっと時間があるな。そしたら、今度は道夫ちゃんのDVDから面白そうなんを借りて映画鑑賞や。ここに住むようになってから映画の面白さにドップリハマってもうた。いろんな映画を見てく中でそれぞれを比べながら見れるようになったせいかもな。「この俳優、こんな演技もできんねやー」とか「この設定、あの映画に似てるけど展開は全然ちゃうやんけー」とかな。  ええ感じに時間つぶせてご飯も食べ終わったらもうすることないねん。そしたらまたテレビ見たり映画見たり、昼寝したりしてダラダラ過ごす。外に遊びに行く時もあるけど、ほんの散歩程度やね。あとは、下から見て天井に違和感がないかのチェックは欠かしたらあかん。それが終わったら遅くても午後六時には天井裏に戻る。道夫ちゃんが帰ってくるのはだいたい午後七時から七時半の間やからな。まあ、それより遅いことはあっても早いことはあらへん。ただ、念には念を入れてってことやな。私の一日はだいたいいつもこんな感じで終わる。どうや。大変そうか?それとも結構楽しそうか?まあ、案外充実しとるわ。最初は大変やったんで。冷蔵庫の中食い尽くしそうになってしもたり、間違って郵便受け取ったりしてな。ようバレへんかったと思うわ。次第に意識が変わってきたというかな。まあ、慣れてきただけやけど。そもそも道夫ちゃんが全然気づけへんからな。ちょっとくらい大げさにやっても、まあなんとかなるんやわ。ただな、誤解して欲しくないんやけど私は道夫ちゃんのことを利用してるつもりなんてないで。確かに、ご飯やお風呂はいただいてるけどな、お金を盗んだりしたことはあらへん。(借りたことはあるけど。まだ返してないけど。)私なりの恩返し(掃除や整理整頓)はしてるつもりや。自分のしてることは犯罪や、けど誰かに迷惑をかけようだなんて思うてへんし、誰かの力だけで生きていこうだなんて思うてへん。今はちょっと休憩してるだけで、一年以内にはここを出るつもりや。…多分。  「ただいま。」  誰もいないとわかっていても挨拶は欠かさない。家に入ったらまっすぐに廊下を歩いて行き、寝室にあるクローゼットに背広をかけ、部屋着に着替えてから洗面所へ向かう。脱いだシャツを洗濯カゴに入れ、手を洗い、同時にうがいもする。それが済んだら風呂の追い焚きのボタンを押す。風呂場はまだ若干濡れているため、靴下は先に脱いでしまった方が良い。  リビングに入り、夕食を用意する。買っておいた豚肉で生姜焼きを作ることにした。付け合わせのキャベツも出そうと野菜室を除くともやしがなくなっていることに気づいた。今日の昼食はもやし炒めだったのか。時間がないので、白米はレンジでチンするだけのものにした。  夕食の準備のかたわらテレビをつけた。録画一覧を見ると今朝まであったドラマが消えていた。毎週録画が継続されているところを見るとなかなか気にいったようだ。  夕食を手早くすませて、風呂に入る。見覚えのない洗顔石鹸がラックに乗っていておもわず笑ってしまた。今まで犯したミスの中でもなかなか上位に食い込むミスではないだろうか。これに気づかないのも無理があるし、気付かないと思うことにも無理があるだろう。それでもそう信じられるのが彼女なのだ。  名前も姿形も知らないが、この家に住み着いてる人間にはすぐ気づいた。内見に来た時にあった違和感は住んでみてすぐにはっきりした。おそらく女性、それも若い女性がこの家の天井裏には住んでいるのだ。時には、冷蔵庫の中を食いちらかされ、時には不在時に配達された荷物が家に置かれており、家に帰ると朝消したはずのテレビ、電気がつけっぱなしになっており、見た覚えのないDVDがプレイヤーに入っていることもあった。あまりにめちゃくちゃなのだが、最もめちゃくちゃなことはそれに私が気づいていないと思っていることだ。たとえ、気づいていないふりをし続けようと、普通は、これだけのミスを冒していたらバレていないだろうか、と疑いを持つものではないのか。まあ、普通ではないから人の家の天井裏に住み着くなんてことをするのだろう。そして、そんな客を望んで受け入れている私も十分普通ではない。  わざわざ多めの食材を買ってくることも、独り言に見立てて予定をいうことも全部彼女のおままごとに付き合ってあげるためだ。最も彼女の場合、私に危害を加えようなどというつもりもなく、むしろ何かにつけて私のためになることをしようとしてくれる。ただ、それが私のためになるかどうかは別問題だった。仕事に行くたびに居場所の変わるリモコンに惑わされ、かと思うと勝手に所定位置を固定された耳かきもあり、でかけてる間に解凍していたステーキ肉が再冷凍されていることもあった。そんなことが繰り返されていると、どこか可愛らしく思えてきて一種の愛情が湧いてくることも確かだった。  風呂から上がり、テレビのニュースを見ながらビールを飲んでいると、うちの近所で強盗殺人があったことが報道されていた。犯人は未だ逃亡しているとのことだ。物騒なものだ。そう思っていると天井が「ドン」と音を立てた。うちのマンションのセキュリティの甘さは彼女の証明している通りだ。  布団で寝返りうったら布団なくて天井叩いてもうた。「ヤバイ。」思って急いで下をのぞいたけど、道夫ちゃん、気付いてすらなさそうやわ。ホンマ、抜けとるで。  天井裏では基本的に布団の上にずっとおる。照明を持ち込んどるから明るいとまではいかんでも、何かを読んだりする分には十分や。ここではスマホいじったり、本を読んだりしとる。道夫ちゃんは本もいろんなジャンル持ってて(めちゃ難しいのもある)それを借りてる。前は本なんて一ページも読まんかったのに、映画同様はまってしもうた。だいたい、一回読んでもよくわからんから二回読むねんけど一冊でたっぷり楽しめるからお得やわ。それでもようわからんことが多いけど。  天井裏での生活に関してはあんまり話すことがないんよなぁ。ここでは派手なことはできひんからさっき言ったみたいにじっと本読んだりイヤホンで動画見たりして、眠くなったら寝る。ってそれだけやねん。一応、水は常にあるのと、あんまり詳しく言いたないけど工夫してトイレもできるようにしてる。そんな感じやからここでの生活はちょっと地味かも知らんな。あぁ、あとは道夫ちゃんの観察やな。いやいや、変態とちゃうよ。これしておくと、色々と宅に立つんよ。道夫ちゃんは独り言も多いから、ヒントにもなんねん。例えば、冷蔵庫を見て「あれ、ヨーグルトなかったけ。」とか言うてたらヨーグルトは道夫ちゃんの中で大事な食べ物なんやなってことで今後手を出すのやめる。「明日の飲み会めんどくさいな。」とか言うとったら次の日の蹴りは遅なるから、思い切って昼に出かけに行くとかな。こうやって次の行動を逆算すんねん。あと、単純におもろいねんな。突然歌ったり踊ったりするから笑えんねん。誰もいないと思ってはしゃいでるんやろな。残念ながら見えてるで。  夜の十一時を回った頃に道夫ちゃんは眠る。私と道夫ちゃんの生活リズムはだいたい私が一時間遅れくらいで刻まれてるけど、規則正しい。おかげでここでの生活は思いのほか健康にええみたいで、病気になったり太ったりもしてへん。贅沢しようにもでけへんし、質素で無駄のない生活とやらを送るのには最適や。困ることっていうたら、夏死ぬほど暑いことくらいや。(冬は道夫ちゃんの来る前に一度体験しとる。夏よりはマシやけどそれでも寒い。)それも一応、寝室にある出口兼入り口を開けて、クーラーの冷気を流すことでなんとかしのげるけどな。  とりあえず、今日は寝よか。明日は土曜日やけど、道夫ちゃんは出勤や。偉いよなぁ。私も明日はバイトがあんねん。面倒やわ。じゃ、おやすみ。  「行ってきます。」  いつも通り、その声を聞いてからゆっくりと動き出す。今日はバイトが十二時から十七時まであんねん。バイト先はここの近くのファミレス、カッパくんと住んどった頃に始めたバイトやから場所的にはめっちゃ近いねん。シフトはだいたい、週に二回か三回、そんなに長い時間シフトを組んどるわけやないけど頑張ってるわ。週末の方が時給が高いねんけど、日曜日は家から出るタイミングがないから、こうして土曜に入るようにしとる。  朝やることは変わらん。風呂に入って汚れを落とす。あら、昨日石鹸しまい忘れとった。やばいかな。うーん。いや、大丈夫や。道夫ちゃんには難易度の高い間違い探しやろ。でも、ちゃんと反省せんとな。取り返しのつかへんことになる前に気をつけんといかん。ええか、こういう姿勢が大切やねん。一度した失敗は二度しない。そう肝に命じて日々を生きれば、人生は自然といい方向に進むはずや。  さて、お風呂に入ってスッキリしたあとは、ご飯の時間やねんけどバイトの日は食べんでええねん。バイト先で賄いが出るからな。そっちで食べた方が安全やろ。やから、バイトの時間まではゆっくりするわ。とりあえず、昨日読み終わった本を戻しにいこかな。  この家には部屋が二つあって一つが寝室、リビングを出て玄関まで続く廊下の右手に当たる部屋や。ちなみに寝室の手前に洗面所があって、その向かいがトイレになってんねん。で、寝室の向かいの部屋が道夫ちゃんのプライベートルームで仕事が休みの日はここで過ごすことが多いな。本棚もここにおかれとるわ。前も言った通り、私は普段リビングで過ごしてるから、用事のない限りは他の部屋には行かんねん。一応、覗き穴を複数と、入口兼出口を各部屋に一つづつ用意しとるけど使うことはまずないな。強いていうなら非常口やな。上にも下にも、いざという時に逃げれるようにってことや。  プライベートルームはあんまり広ない。マンションの外の廊下側に磨りガラスの窓がついとるけど、日の光も入らんとどっか陰々としてるように感じんねん。今いうた窓のところには木の机とイスが置かれててその上にはノートパソコンがある。色はどれも黒やからイマイチ映えへん。ちなみに、この部屋の天井裏への入り口はこの机の上にあんねん。机の左隣には木でできた、ごつい本棚がある。手前と奥との二重になっていて、手前の棚をスライドさせると奥の本が取り出せるようになっとる。私はここから小説を借りて読んどるけど、小説以外の難しい本もたくさんある。多分道夫ちゃんは頭がええんやろうな。漫画とか詩集、画集もあって本当にいろんな本がたくさんある。机、本棚の置かれとる壁の向かって左には、音楽プレイヤーとそれに対応したスピーカーのおいてある横長の低い棚がある。棚にはCDがぎっしり詰まっとって隙間があらへん。私、CDで音楽なんて聞いたことないかもしれん。スマホが一台あれば音楽なんてそれで聴けるし、こんなに大量のCDを集めて収納する必要もないはずや。こうやってみると、やっぱ昔っていうのはそれなりに不便やったんやなって思う。でも、こうやって好きな音楽が自分の手に触れられるものとして、綺麗に収まっているのはなんとなくカッコよくて憧れる。この部屋全体が道夫ちゃんの好きなもの、まさしく好きな物で溢れかえってるのが私には羨ましい。そういえば、私の部屋はどんなんやったかな。結局東京に出てきてから、一度も地元には帰ってへん。ふと、家が恋しなってしもうた。  道夫ちゃんのプライベートルームで、最も目を引くものが、部屋の真ん中におかれている描きかけの絵や。美術室とかでしか見たことないような、ちゃんとしたキャンバスに木製のスタンド。道夫ちゃんは毎週末、好きな音楽をかけながらこの部屋にこもって数時間に渡って絵を描いとる。正直なところ、道夫ちゃんが何を必死に描いとるんか全然わからへん。キャンバスの上半分、黒い背景の中で豚が笑っとる。下半分には赤色の背景の中に顔のない、のっぺらぼうの人が豚と同じ向きに横になっておってその人の体から銀色の線が絡み合ったり、丸を作ったりして無数に描かれとる。それだけの絵や。ただ、道夫ちゃんがこの絵を描いているとき、この銀色の線を入れるときだけえらい時間をかけてたんは覚えとる。改めて見たら、もうほとんど完成しとるように感じる。芸術なんてもんは私にはわからんけど、でもこれを描いてるときはえらい楽しそうにしとる。私もいっぺん描いてみよかな。  そろそろ、バイトの時間やから、部屋紹介はこんなもんでええやろ。やっぱな、この部屋は道夫ちゃんにとっては聖域やと思うねん。やから、ここにはあんまり立ち入らんとこうと思うねんな。だってそやろ、逆の立場やったら勝手に部屋に入られたら絶対許されへん。何考えてんねんってブチぎれると思うわ。あんたもくれぐれも、人のプライベートにズケズケと入るような真似をしたらあかんよ。ほな、また後で。    「ただいま」  いつもと同じように、着替えと手洗いを終えたのちにリビングに入る。明日は週末で仕事も休みである。気分も高揚する。良い週末になることだろう。毎週金曜日は離婚した妻に電話をかけることになっている。それまでの間に風呂と夕食を済ましておきたい。  風呂の湯を沸かしながら米を炊く。今日はちょっと手間だがカレーを作ることにした。というのも、私がカレーが好きな訳ではない。以前からカレーを作った次の日には天井裏の彼女が、それを喜んで食べるからだ。昨日の残りを今日もいただこうと思って帰ると明らかに量が少ない。彼女は常々、爪が甘い。おっちょこちょいといえば幾分可愛らしい印象にはなるが人の家に無断で住み着いているとは思えないほどの危機感のなさだ。ましてやカレーを目の前にすると完全に自制が効かなくなってしまうらしい。もはやカレーの塗られているだけの鍋を目撃したときはわざとなのか?と疑ってしまったほどだった。そこまで来るとフォローもできず、無言で鍋を流し台に入れ、その日はインスタントラーメンをすすった。きっとこのカレーの匂いに喜んでいることだろう。やや甘口のカレーを多めに作った。もちろん、彼女がこのカレーを味わえる時間は用意するつもりだ。  カレーを作った後も、米が炊けるまでまだ時間がある。代わりにさっき沸かした風呂の準備ができたようだ。風呂場に入ると同時に石鹸のラックを確認した。流石に今日はちゃんと隠したか。と思って視線を下げると見覚えのないシャンプー、リンスのボトルが存在感を放っている。私の使っている透明なボトルに入った極めて無機質なそれらに比べ、全体がピンクのボトルに金色のロゴの入ったそれらはあまりに目立っている。なぜ、これを忘れて行くのだ。やはり、気づかれていることに気づいているのか?それとも、私のことを盲目だとでも思っているのか?思わず、手にとってしげしげと眺めてしまった。気の抜けるような、腹のたつような感覚だ。一方で、これだけのことをしても平気と思わせているのは私のこれまでの努力の賜物だろう。ただ、そんな努力を強いられるのも明日までだ。  ぬるめのお湯にゆっくり浸かりながら思いを馳せた。ここを内見にきたとき、その違和感がなんとなく気に入って購入し、住んでみてその正体に気づいてから半年が経った。この半年間、私のこの上には誰かいると思うと普通の感覚ではいられなかった。しかし、前の家を出てからというもの、随分と彼女に救われたように思う。不満やストレスはもちろんあったが、その一方で希望や喜びを与えてくれた。顔も声も知らないが、妻と娘がいなくなって落ち込んでいた私にとって彼女は新しい光だった。  明日、今までの全てが終わってしまうと考えると、どこか悲しかった。先のことなど、まだ考えれなかった。まだ見ぬ彼女の顔や声が、一体どんなだろうか。この半年間どんな気持ちで過ごしてきたのか。それを聴けると思うと胸が高鳴った。  風呂から上がり、炊き上がったご飯にカレーをかける。数十時間後には彼女と一緒にこのカレーを味わっているのだろうか。彼女はどんな表情を浮かべながらこのカレーを味わうのだろう。そんなことを考えながらスプーンを口に運んだ。  ええなぁ、カレー。道夫ちゃんの薄くなってきてる頭と一緒に私はカレーを眺めていた。今日の賄いはパスタやった。麺類は腹持ちがええんやけど、好物のカレーを目の前にすると思わずお腹が減ってまう。明日、どっかで食べる機会あるやろか。日曜日は基本的には下には下りられへん。土曜日のうちにおにぎりだとかを作って天井裏に持ち運んで食べることになる。今日は、コンビニで買ったカロリーメイトがある。明日はカレーの匂いをおかずにこれをいただくことになりそうや。  夕食を終えると道夫ちゃんはソファーに座りながらテレビを見始めた。映画の地上波放送を見ながら、チラチラとテレビの上にかけられているアナログ時計を気にしとる。月の二週目と四週目の土曜日、道夫ちゃんは前の奥さんと電話をする。前の奥さんとの間には子どもが一人おる。名前からするに女の子っぽい。正確な年齢はわからんけど多分、高校生くらいかなぁ。前の家はそのまま奥さんと子どもに譲って自分がここに引っ越してきたらしい。離婚の原因まではイマイチピンとこおへん。こうやって電話するくらいやから中はええんちゃうかな。まさか浮気なんてことも道夫ちゃんに限ってありえへんやろうし、ここでの暮らしぶりを見るに経済的にもかなり充実しているように思える。多分、他人にはわからへんなんかがあったんやろうな。道夫ちゃん抜けてるところあるし、頼りなさそうやもんな。陰ながら道夫ちゃんのフォローは何度となくしてきとる。確かに旦那さんやらお父さんにするにはちょっと覇気があらへんな。男は強くなきゃあらへん。ちょっとくらい悪そうなんが一番ええ。  時計が夜の十時をまわった頃、道夫ちゃんはどこか緊張しているようなそれでいて嬉しそうな表情でスマホを耳にあてた。テレビも消して、電話に集中しとる。私は耳をそばだてるようなことはせんと、じっと布団に入って目を閉じる。この電話の最中はいつもどおしたらええか悩んでまう。正直な話、この電話の内容は聞いたらあかん気がする。仮に道夫ちゃんが私に気づいていないにせよ、道夫ちゃんにとってはだれにも家族水入らずの会話を聞いて欲しくないはずや。一方で、この電話が明日以降の活動の助けになるのも確かや。道夫ちゃんは、日々の生活を、特に家での生活をこまめに報告しとるからこっちとしては道夫ちゃんが何を思ってるのかを知ることができんねん。  「この間、前の日に作ったカレーを帰ってから食べようとしたらほとんど無くなっていたんだ。多分、前の日にはすでに食べ終えていたのに何か勘違いをしてしまっていたんだろうね。困ったよ。」  前に道夫ちゃんが奥さんに笑いながら話してた内容やねんけど、このカレーを食べてもうたんは私や。ほとんど確信犯的やった。その前日になんも食べれへんくて我慢ができんかった。この一件でほんとは腹括って、この家出よう思ったんけどな、道夫ちゃんのこの反応を聞いてかえって開き直ったわ。ちょっとやそっとじゃ絶対バレへんって。こんな感じで、自分の活動の反省ができんねん。最近はもう反省することもあんまりないねんけどな。油断は禁物や。  「あ、もしもし。元気?」優しそうな声で、電話が始まる。  嬉しそうに軽やかな相槌や、笑いを返しとる。電話だけ聞いとるとなんで、離婚しとるのかが不思議でしょうがない。  「そういえば、そっちにいくつか僕の本って残ってるかな。読もうと思ったときに見当たらないのがいくつかあってさ。」  すまん。私が持っとる。すぐ返すからちょっと待ってくれ。  「なつみは元気かな。今代われる?…あ、なつみ?父さんだけど、学校はどう?そうか、普通か…」  このなつみちゃん(おそらく女の子)との会話はあまり盛り上がらへん。なつみちゃんがどう思ってんのかわからんけど、もしなつみちゃんが高校生やったら、反抗期の可能性が高いなぁ。うちもお父さん、ウザかったからようわかる。  「最近、彼氏とはどうなんだ?なんだ『別に』って。うまくいってんのか?」  あかん。あかんよ道夫ちゃん。そんなコミュニケーション喜ぶわけないやん。でも、思い返したら私のお父さんもこんな感じやったな。その時はうざくてしょうがなかってんけど、今になって考えたらお父さんも必死やったんやろうな。心の離れてく娘とどうにか話そうって。別に嫌いになったわけちゃうで、ただほっといてほしい時期があるってだけやねんで、道夫ちゃん。なんか道夫ちゃん見てたらお父さんに久々会いたなってきたわ。ちょっと連絡しよかな。  「ま、とりあえす頑張りなさい。うん、はい、じゃあね。」  娘さんとの会話は結局盛り上がらないまま終わった。まあ、いつもそうやねんけど。キャッチボールにならへんのよな。投げる球投げる球全部かわされてる感じ。負けるな!お父さん。  「じゃあ、そろそろ切るね。会えるの楽しみにしてるよ。半年間長かったなぁ。」  ちょっと前から、約束はしてたみたいやけど、やっと会えるんやな。なんやなかなか予定が合わんかったようやけど、良かったな。  「はーい、じゃあね。」  電話はいつもだいたい二十分くらいで終わる。電話が切れた後、なんの音もしないリビングで道夫ちゃんはいつも寂しそうというか、むなしそうに、どこか疲れたような顔をしとることが多い。急に一人の現実に押し戻されて、寂しなっとるんやろな。でも今日はどこか嬉しそうやった。ウキウキしとるような感じやった。やっぱりいよいよ家族と会えるいうんが嬉しいんやろな。良かったやん!っていうお祝いの意味を込めて「バンッ」っと天井を叩いた。普段は反応がないけど、珍しくこっちを向いた。「やばい」と思ったけど、すぐまた前を向いてテレビをつけてもうた。こっちを見た後、ニヤッと笑っとった気がした。  休みの日だといっても、年のせいかそう長く寝ている気にならない。ましてや今日のように気分の高揚している日はなおさらだ。朝食にトーストとベーコン、今日は目玉焼きもつけた。コーヒーも上等なものを豆から入れた。丁寧かつ優雅な朝を過ごすにふさわしい日だと思った外の天気はあいにくの曇り空だったが気にならなかった。  朝食を終えたら、歯を磨き、顔を洗い、ゆっくりとニュースを見ることにした。先日の強盗はまだ捕まっていないとのことだ。今頃遠くまで逃げ馳せていることであろうが、事件が家の近くだけに身構えてしまうのも事実だった。  午前の十時を過ぎた頃、おそらく上の彼女もだいぶ前に目を覚ましていることだろう。私が家にいる日というのはやはり退屈なのだろうか。そんなこともあとで聞いてみようと思う。そして、少なくとも今日は退屈な日にはならないよ、と声に出さずに語りかけた。  自室にこもり、お気に入りの音楽を流しながら、キャンバスに向き合った。もはや完成は目前である。半年もかかってしまったが、これを描いている最中は心静かに集中できた。彼女はこれを見てどんな感想を抱いたのだろうか。おそらく、描かれているものが何を意味しているのかなんてことはわかっていまい。数時間後に改めてこれを私の方から見せた時、どんな顔をするのか楽しみだ。もしかしたら、望み通りの反応はしてくれないかもしれないな。彼女は私の常識では測りしえないということだけは、この半年間でよくよく学んだのだから。  最後の一筆を終え、思わず笑みがこぼれてしまった。「ようやくだ。」と、一人つぶやきながら伸びをした。出来上がった絵をもう一度眺めながら、ふと、大切なものを用意し忘れていたことに気づいた。しまった。あまりに浮かれていたがために買うのを忘れてしまった。音楽を止め、手も洗わずに、寝室に行って上着を羽織った。わざとらしく、廊下の足音を鳴らしながら玄関へと向かう。  「まぁ、すぐに戻るから鍵はいいか。」  おそらく私の動向を伺っているであろう彼女に聞こえるように呟き、家を出た。  「行ってきます。」  日曜の昼間に、何をあんな慌てて買いに出かけたやろ。まぁ、着替えもろくにせんと鍵もかけずに出かけたところをみるにすぐ帰ってくるつもりなんやろな。それよりも、カレー食べるチャンスあるかなぁ。流石に、難しいかぁ。  ガチャ  なんや忘れもんかいな、まだ家を出て数分も経ってないで。そう思って廊下にあるのぞき穴から下の様子を伺った。  一瞬、心臓が止まった。どういうことや。道夫ちゃんやない。  入ってきたんは身長も随分高い、黒色の上着を着た、短髪の男やった。一重まぶたの鋭い目つきで、寝室、プライベートルーム、洗面所、トイレと扉を開けて中を伺っとる。軍手をはめて、右手には包丁が握られとった。  強盗や。  生まれて初めて生の強盗に出会った。しかも自分の家に入ってきた。すごない?こんなことまず起こりへんやろ。いつか見た交番に貼られとったいかついお兄ちゃんたちの写真とおんなじような顔をしとった。やっぱやばい奴って見た目でわかるもんやな。こんなん、普通に道で会っても怖くてたまらんやろ。ほんで、これが家でくつろいどったら、いきなりズカズカと土足で入ってくるんやろ。いやー、考えただけで鳥肌もんや。怖すぎる。ほんま、天井裏におってよかったで。  男は靴も脱がんと、家の中を見て回っとった。家の中に誰もおらんことを確認すると、元どおりに部屋の扉をしめてリビングのソファーに座ってそのままじっと何もせんかった。  どういうことやねん。お金が欲しいんやったら、道夫ちゃんのいないうちに盗ったらええやんけ。丁寧に自分が入ってきた痕跡も隠して何もせんとじっとしとるんは何が目的やねん。  余計に怖なってもうて、私はそのまま動けんかった。もともと、何もするつもりはなかってん。触らぬ神になんとかや。でも、このままやったら道夫ちゃん、帰ってきてまうよな。そしたらどうすんねん。ん?待てよ、こいつはそれが狙いなんとちゃうか。この半年間で殺人犯いうのは、道夫ちゃんの小説やら映画やらで散々見てきた。そいつらの考えることもなんとなくやけどわかってきとる。多分、この男は、家の中のことはなんも知らんと帰ってきた道夫ちゃんが、いつもみたいにボケーっとリビングの扉を開けたと同時に襲いかかるつもりなんや。いや、きっとそのまま殺すつもりなのかもしれん。。もしかしたら、そのままここにしばらく住み着く可能性だってあり得る。そんなん絶対あかんて。まず、私はどないなんねん。殺人犯との共同生活かい。無理や。怖すぎるて。逃げ出すタイミングだってそうなってしもうたらまずありえへんやろ。犯罪者がわざわざ外に出ないやろうし。この家の食料は豊富やねん、立てこもるのに持ってこいやんけ。  それに、道夫ちゃんはどうすんねん。あのおっちゃんがこんなおっかないやつから逃げ出せるわけあらへん。ましてや、立ち向かえるわけあらへん。ひどい目に会うて。挙句殺されてしまうのも目に見えとる。めっちゃいいやつやねんで、道夫ちゃんは。半年間見てきてわかってんねん。男を見る目に自信はない、やけど、道夫ちゃんは根っからの善人や。そんな人が、なんで殺されなあかんねん。家族とだってもうじき会えるねんで。昨日あんなに嬉しそうにしとってなんで、今日そんな目に会わなならんねん。  じっと目を瞑って、深く息を吐いた。 よし、私が追い払ったる。決めた。それ以外に道はないと思うねん。仮に今、ここから逃げ出したとしても、道夫ちゃんはこいつにひどい目に遭わされてまう。私が道夫ちゃんに「家に戻るな。」いうても、頭のおかしな女としか思われへんし、私の正体もバレてまう。私のことは気付かれず、道夫ちゃんも無事にこの場を収めるにはこの男をこっから追い出すしか方法はないねん。  そっから生まれて初めていうくらいに頭ん中猛回転させて考えた。この家の構造もどこに何があるかも誰よりも詳しいんが私や。多分、このままこの家にはおれへんくなるかもしれへん。でも、それでも構わん。これから先のことはその時考えたらええ。  再び、リビングのソファーに座っている男を眺めた。暇そうにして、包丁を眺め、動く気配がない。人の家に黙って入り込んどるとは思えへんくらいリラックスしてる。なんちゅうやつや。  私は布団から起き上がった。心臓が吹き飛ぶんかと思うくらいバックバクで、手足がちぎれるかと思うくらいガックガクに震えとる。あかん、怖い。こんな怖いのいつぶりやろ。そうや、高2の夏んときぶりや。男女の仲のええ友達と公園で花火やっとったら、たまたまおっかないおっさんたちの事務所にロケット花火打ち込んでしもうたとき以来や。あれも怖かったな。みんなで一目散に逃げたもんな。  「誰やねん!クルゥァ!。」いうてぞろぞろ外に出てきとったし、なんなら追いかけられたし。懐かしいなぁ、みんな元気かな。おしっこちびるくらいビビったけど、おもろかったなぁ。あら、思い出したらなんか勇気出てきたで。 よし、やったるわ。ええか、強盗。この家の天井裏にはなぁ、可愛くて強いガードマンがおんねん。ここをお前の好きにはさせへんで。    家の住人はいなかった。日曜日の昼に鍵もかけていないのだからおそらくそう遠くには行っていない。ここで帰ってくるのを待てばいい。生活の痕跡からするに、年のいった男の一人暮らしだろう。これは僥倖だった。 前回強盗に入った家は若い女の一人暮らしで、存分に楽しむことができた。ただ、最後の最後に外に通報されてしまい遠く逃げるに及ばなかった。しばらくはどこかの家、特に住民の異変が外に漏れにくいマンションなんかに篭城しようと思いここを襲うことにした。もっとも望ましいのは、老人の一人暮らしだった。殺すのに手間がからず、社会とのつながりも薄いため、異変が外に漏れずらい。逆に子供、それも高校生くらいの男子のいる家族なんかは、最悪だった。殺すのに手間がかかる上に、外部とのつながりがいくつもあり、短時間で怪しまれるからだ。無論、外から見てある程度の目星をつけての犯行であったが、限りなく理想に近い状況に男は静かに満足していた。ただ、一つ計画と違ったのは、住人が留守だったことだ。帰ってくるまで気付かれないように待たなければならず、それまでは真の安心を得たとは言えなかった。男は手元の包丁を眺めながら、「早く帰ってこい」と心の中で繰り返し唱えていた。  「ドサっ」という大きな音と振動が聞こえたのはそのときだった。一瞬、体を起こして様子をうかがったが、玄関ドアの音とは違った。おまけに人の気配も感じられない。リビングの扉をゆっくりと開けると、そこには廊下がしんと伸びているだけだった。玄関にも入ってきたときとなんの変化もない。 「なんだったんだ。」リビングドアを閉めようとした瞬間、大音量の音楽が廊下の左手の奥の部屋から聞こえてきた。今度こそ、おかしいと思って慎重に部屋を覗くと、スピーカーから音楽が流れていた。クラッシック音楽のようだが、曲名はわからない。力強い重低音がやかましい。また、部屋の奥の方には本棚から本が大量に落ちている。どういうことだ。さっき確認した時はこの部屋には誰もいなかったはずだ。改めて見回しても人の隠れられるスペースはない。  「出てこい!」と叫んで見ても当然なんの返事もない。大音量で鳴り響くスピーカーを止めると、相変わらず家はシンとしていた。男は自分の理解を超える現象に対して、怒りを覚えた。先ほどまでの満足感はもはやなかった。部屋の真ん中に置かれている絵を思いきり蹴りつけた。  「趣味の悪いもん、書きやがって。」  怒りあらわに部屋から出ると、今度は水の流れる音を聞いた。シャァァという音。今出た部屋の斜め向かい側にある洗面所からの音に違いなかった。乱暴な足取りで、洗面所に入る。入って左手には風呂場があった。ここを襲うと決めた時から家主を殺したらまずは風呂でゆっくりしようと考えていた。しかし、どうやらそううまくはいかないようだった。  風呂場の扉を開けると、シャワーの水が無造作に流れていた。しかし、この流れる水はあまり気にならなかった。男の意識が向いたのは水の流れる先、浴室の床が真っ赤に染まっていたのだ。シャワーが床に当たって水の飛び散る勢いで、みるみるうちに床が染まり上がっていく。「なんだこれは」この時すでに男の怒りは恐怖へと変わっていた。目の前をポタンと雫が垂れた、見上げるとこの赤い液体は天井から垂れている。それはまさしく血液にしか見えず、男は思わず退いた。  血を怖いと感じたことなど一度もなかった。しかし、今まさに目の前に赤色の液体が、男を恐怖で支配していた。  流れる水を止めることもなく、男は叫んだ。それは意味のある言葉でなく、ストレスからくる咆哮であった。家から出ようと洗面所を出ると、すぐ隣の寝室が目についた。せめて最後に何かないだろうか。と、寝室にとびこんで目につくものを手当たり次第に荒らした。部屋の真ん中に置かれたシングルベッドの布団を剥いでも当然誰もおらず、何もない。今度は枕に手をかけた。  「うおっ」  その瞬間、足首を掴まれた感覚を覚え、男は悲鳴をあげた。その場に飛び跳ね、距離をとってベッドを改めて眺めた。息も絶え絶えにm混乱した頭の中で男は考えた。  なにかがいる。  しかし、それは人間ではない。得体のしれないなにかだ。ベッドの下を覗き込めばそれが一体なんなのかが分かる。それはとても簡単なことだったが男は躊躇していた。確実にいるとわかっているからこそ、男の恐怖は何倍にも膨れ上がっていた。  あかん、緊急事態や。道夫ちゃんのプライベートルームで、本を大量に落として、大音量の音楽を流した。ポルターガイストいうやつや。もちろん、それは私がしたことやから怪奇現象でもなんでもあらへん。でも、向こうには私の存在は気づかれてないはずやから、多分めっちゃビビるやろうなと思った。ただ、思ったよりもビビらんと、むしろキレ出してしもうた。ほならしゃあないと思って、今度は風呂場に移動して、シャワーを流して、上からさっきの部屋でとってきた赤い絵の具を垂らした。道夫ちゃんの部屋で大音量で流れる音楽が私の音を消してくれとったから、ここまでは思いの外スムーズにできた。強盗も、顔がもうサァーって青ざめてく感じ言うんか。決まった!って思った。こんなにうまく行くもんなんか思って思わず笑ってしもた。  最後の仕上げに、寝室のベッドの下から脅かしたろ思って急いでスタンバったんよ。まぁ、そのまま出て行くならそれはそれで構わんし買った。ただ、改めてリビングには行かんやろとは思った。 案の定、強盗は寝室に入ってきて、なんやえらい勢いでなんか探し始めてん。金目の物でも探したんかなぁ、わからんけど。ほんで、私のおるベッドに近づいてな、布団やら枕やらをどかしてるっぽいからな、よっしゃ、いったれ思ってガシィー足首つかんだったのよ。ほなら、「うわーっ」言うて後ろにピョン飛んで、「あんないかつい顔しとる奴がめっちゃ怖がっとるやん、しかも人殺そうとしとったやつが。」思ってほんま笑いそうやったわ。  ただな、この後が私の予想と違った。ほんまやったら、足首ガシィ掴んだ段階で両手をあげながら「助けてぇ」言うて逃げ出すと思ってたんよ。 でも、こいつ逃げ出さんとまだおんねん。じっとベッドの方を見とる。そのまま、覗くつもりなんとちゃうよな。やばいて、私の今の格好、ディズニーのTシャツにスェットやねんけど、そんな幽霊がどこにおんねん。おったとしてもなんも怖ないわ。てか、普通にバレてまう。さっきまでの全部こいつがやったんだな、思われてズタズタにされてまう。どないしたらええねん。調子乗らんと天井裏におればよかった。あんまりこっちの思惑通りにビビるもんやから、つい間近でリアクション見たなってしもうた。  あかん、強盗、ベットの横で両膝ついてる。これマジで終わったかもわからん。神様助けてください。もし助けてくれたらこれからはちゃんと暮らします。必死に働いて、自分のお金で家に住みます。自分の買った食べ物で、自分の沸かした風呂に入りますぅ。だから見逃してくれ。お願いします。  今度は両手を床についとる。右手に持った包丁が、床に当たってカチャンって音を立てた。あれでグッサァー刺されておしまいや。きっとめちゃ痛いんやろうな。血もめっちゃ出るんやろうな。さっきの浴室みたいに。そしたらこいつのこと呪い殺したるわ。ほんまもんの霊現象起こしたるからな!許さへんからな!  肘がググッと曲がり、左耳からゆっくりと視界に入ってきた。ここまできたら、思い切って飛び出したろかな。多分、向こうも随分と驚くやろうし、その瞬間に逃げるしか助かる方法なくないか。よっしゃ行くで、大事なんはタイミングや。あいつと目が合った瞬間に飛び出したる。  目を見開いて、ジッとタイミングをうかがった。狭いベッドの下からそれほど勢いをつけて外に出れるとも思わんかったけど、もうこれしかあらへん。泣きたなるほど怖い。おしっこ漏れそうや。さっきから思っきり叫びたいのをグッと顎に力入れて我慢しとる。心臓はバックバクや。ほんま、あんた見とらんと助けてくれや。  集中すると、一秒が一分とか一時間に感じるらしい。そんなことをこの間映画で見た。自分は今それを経験しとるんと思う。待てども待てども強盗に動きはあらへん。左耳とあんまり綺麗やない頬が見えたきりビタッと止まってしもうた。このまま時間止まってくれ。いや、それも嫌や。時間よ、戻ってくれ。できれば高校の入学時まで。そんなことを願っとったら、急に強盗はヒョイっと立ち上がり、ベッドの足の方へ歩いてゆくと、かがんで床に落ちとる何かを拾い上げて急ぎ足で部屋から出てってもうた。助かった。そう思いながら、慎重にベッドの下から出ると、全身の力が抜けて、代わりにガックガクに震えだした。とにかく急いで、天井裏に戻ろう。あかん、涙が出てきた。泣いとる場合ちゃうて。言うこと聞かへん体で、頑張って天井裏に戻ると、へなへなと腰が抜けてしもうた。リビングの方から音がする、ハイハイでなんとか声のする方へと向かう。    とにかく早くこの家から出なければ。結局、あのベッド下に何がいたのかはわからなかった。最後の最後までためらった結果、確認することを諦めた。というのも、思いもしないものを見つけたからだった。それは鍵だった。リビングの左奥に横長のタンスがあることは最初に確認していた。鍵のかかった引き出しを見て、おそらく貴重品はあの中だろうとの見切りもつけていた。まさか、鍵を枕の中に隠していたとは。ベッド下なにかに足首をつかまれた拍子に枕を放り投げたが、その際に外に出たのだろう。もともとは、何か目ぼしいものをとってそのまま出て行く算段だったが、これでこの引き出しの中をもらって行ける。本来の目的はこの家を乗っ取ることであったが、これで最低限の見返りにはなった。。  小さいながらも、立体感のある鍵だった。つっかかってしまい、穴の奥までなかなか入らない。「くそ、早くしろ。」さっきのなにかが間近に迫ってきているような感覚に襲われ、焦る。  カチン、と言う小さいながら響きのいい音を立てて鍵が空いた。「よしっ」勢いよく、引き出しを引き抜いた。  ガタガタっと乱暴な音で、強盗が引き出しを引き抜いた。上からやと、ちょうど何が中に入っとるのかは分からんかった。  強盗はなその場でジッと動かんと手元にある何かを見とる。リビングは物音ひとつせんと静かやった。さっきといい、今といい、急に動きの止まるんが好きなやつやな。腹が立って思いっきり、 バンッバンッバシィンダンダシィン(ミシッ) 天井裏をぶっ叩いた。五回も。最高記録更新やった。最後には手手と手を組んでハンマーみたいに打ちつけたった。めちゃめちゃ痛い。あと、若干天井が凹んでもうた。  強盗は驚いて「うわぁ」とも「うおぉ」のどっちとも言えんような、低い声を出しながら、体勢を崩して後ろ向きにすっ転んだ。そのまま机の角に頭をぶつけて、ぶっ倒れてもうた。  泡吹いたまま、寄り目んなってる強盗をみて、じわじわと笑いが込み上げてきた。安心したし、嬉しかったし、おもろくなってもうた。  思い切り声出して爆笑したら、さっきまでの震えも涙も止まった。あいかわらず体に力は入らんし、えらい疲れとったけど、でも、なんや充実した気持ちやった。試合に勝ったあとみたいな爽やかさいうんかな。しかも、逆転勝ち。私スポーツしたことないけど。  ひとしきり笑った後、「やばい」思ってスマホを見たら、道夫ちゃんが外に出てからすでに十五分が経過しとった。現状復帰は絶望的や。風呂場では天井から、絵の具を垂らしてもうたし、調べようと思ったらすぐにバレてまう。当初の予定通り私は素早く身支度を済まして、リビングに降り立った。 「こいつはこのままでええか。いくら道夫ちゃんでも、気絶しとる男にやられんやろ。」 最後にカレーを一口食べてから、長く伸びてる廊下を歩いて玄関へと向かった。それにしても道夫ちゃん、帰ってきたらめっちゃ驚くやろうなぁ。 短い間やけど、お世話になりました。そんな気持ちを込めて  「行ってきます」言うて外に出た。それは、誰もおらんと道夫ちゃんがそうしてたように、大事なことに思えた。なんとなくな。後テンションが上がってもうてた。もう、ここには来ないんやなぁって思ったらちょっと悲しなってしもうたのもある。いろんな思いを込めての「行ってきます。」やった。もちろん、道夫ちゃんへの「ありがとう。」でもあるし、「さようなら。」でもあった。  エレベーターを使おうとしたけど、ちょうど下から上がってくるところやったから、階段を使うことにした。今会うのは怪しまれてまうなぁと思ったし、会うのが怖かった。ただ、本当はちょっと会いたかってん。面と向かってな。  道夫ちゃんが、家に入ってどんな反応をするんか気になったけど、階段を下って下まで降りた。そもそも、エレベーターに乗っとったんが道夫ちゃんや、って言う保証はないねんけどな。  ん?これからどうすんのかって?そやなー、一旦大阪に帰ろう思うねん。お父さんとか、お母さんに会いたし、自分の家が恋しいしな。夜にお風呂も入りたいし、好きなもん好きなだけ食べたいねん。そっから先はまあ分からんけど、なんとかなるやろ。私な、東京きて思てん。人間どこに行っても一人じゃ生きられへんなぁって。でも、それって素敵なことなんやで、だって逆に言ったら、人間はどこに行っても助けあって暮らしてるってことやん。それは必ずしも気づけるものとちゃうのかもしれん。道夫ちゃんが私を知らず知らずのうちに養ってくれたように、私が道夫ちゃんの命を救ったように。お互いが、知らん間に助け合って生きてんねん。これすごいことやと思うわぁ。それが知れただけでも、東京に出てきてよかったわ。話のネタもめっちゃできたしな。  最後にな、一つだけ変なこと言うてええ?私な、道夫ちゃんって実は私のこと気づいてるんちゃうかって思うことあったんよ。なんでか言われても、なんとなくとしか言えへんのやけど…うーん、まあ、これはええわ。よくよく考えたらそんなわけありえへんし。まず、道夫ちゃんに限って気づくわけないし、気づいても放っておく必要があらへん。気づいてない演技もでけへんやろうしな。何よりも、完璧な私の隠密行動をもってして気づかれるわけあらへん。  そうや、この経験を生かしてスパイ目指すんとかどうやろ。怪盗もありやな。。え?なにそのリアクション。微妙な顔して。あんた大丈夫か。もしかしたら、もうすでにあんたの家の天井には…なんてことがあるかも知れんよ?なーんて、もち冗談や。  ほな、これまで付き合ってくれてありがとう。またな。  「ただいま。」  お目当てのものを買うのに思いの外時間がかかってしまった。休日のホームセンターがこんなに混んでいるとは知らなかった。などと考えているつかの間、家に入ってすぐに異変に気づいた。  私室、寝室、浴室、リビングと何が起こったのかを確かめる。泡を吹いて伸びている男の顔をみてここ最近のニュースを思い出した。あくまでも推測の域をすぎないが、おそらくこの男をのしたのは彼女だろう。男の足元、鍵のかかっていたはずの引き出しが開けられていた。床に散らばった妻と娘の写真を手にとった。  彼女はこれを見ただろうか。いずれにせよ、この家にはすでにいないだろうことは入ってすぐにわかった。このフロアにエレベーターから降りた際、階段を降りていく人影が見えたがあれは彼女だったのだろうか。  男の顔をまじまじと見つめる。彼女がいなくなったのは残念でならなかった。同じ時を過ごしてきた人間とだからこそ、より一層の満足や幸せが生まれるのだ。とは言え、今後は、食料を多めに買ってきたり、通話相手のいないスマートフォンに喋るようなことをしなくてすむ。さらには彼女は自分の代わりに置き土産を残して行ってくれたのだ。まだ、この豚には十分な餌は与えられていないぶん、楽しみはいくらか減ってしまうが。  私室に戻り、数分前に描き上げた設計図を持ってきて、バラバラにした。そしてたった今買ってきた針金と一緒にゴミ箱に捨てた。半年もかけて書き上げたが、彼女がいなくなればもはや無用の長物だった。    リビングに戻り、写真を拾い集めて改めて見返した。この写真を見ていると、その時の充実していた気持ちが蘇る。三人で過ごしたかけがえのない時間。一度だけしか味わえない至福の時間。私にとって、なににも代えがたい宝物。何が写っているのかは私だけが知っている。妻と、娘の、その死体の写真。
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