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話を完全に打ち切るきっかけを与えてくれたことは嬉しいが、その言葉は聞き捨てならない。
「嫌い……」
思わず繰り返す和志から呆れたように視線を外し、圭一は床から立ち上がる。怒って出て行ってしまうのではないかと思ったが、意外にも圭一は和志と並んでベッドに腰掛け、視線を合わせないよう下を向いて、拗ねたようにつぶやいた。
「何度言わせるんだよ。おまえがオレを好きとか知らなかった時期のこと一方的に責めるとか、本当、ありえないだろ」
「まあ、それはそうなんだけど。うん」
頭ではわかっている。気持ちの面でも、だいぶ整理がついてきたと思う。それでもときどき愚痴がこぼれてしまうのは、ただ自分に自信がないからだ。
正論に負けて黙り込んでいると、下を向いていた圭一がふっと顔を寄せてくる。頬のあたりを掠めるような微かな感覚だが、和志にはそれが圭一の唇なのだとわかった。
「圭ちゃん」
思わず顔を上げると、そっぽを向いた圭一の耳が薄赤く染まっている。
「だからさ、今はもう、その、他には誰もいないんだし。こういうこと他に誰ともしないし。それでいいだろ?」
まるで褒美を与えられた犬。頰へのキスたったひとつで、和志は舞い上がってしまう。少なくとも今は、何もかもどうだってよくなってしまうくらい。
「……うん!」
見えない尻尾をめいっぱいに振って、和志は圭一に抱きつく。圭一も特にそれを拒むことなく、腕の中でおとなしくしている。
和志の足が、ベッドの下に準備してある小さな箱にコツンと触れた。普段はクローゼットの奥にある昔の参考書を入れたダンボールの、さらに一番深い場所に隠してある。でも今日は、圭一が来る前に一式取り出して、手の届きやすい場所まで出して置いたのだ。
ときは土曜日の夕方。
「圭ちゃん、婆ちゃんがちらし寿司作るって言うから、うち来ない?」
そんな誘いの言葉に、すぐさま圭一は乗ってきた。
圭一の大好物である、和志の祖母手製のちらし寿司はある。ただし、今朝方作って冷蔵庫に入れたものだ。
今日は、和志の祖父母と両親は、隣県の親戚宅へ法事ついでに一泊の予定で出かけているのだった。和志も一緒に来ないかと誘われたが、レポートの締め切りが近いからごめんと断った。もちろん嘘に決まっている。
つまり今日は——和志にとっては一世一代の大チャンスなのだ。
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