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初夏 side 蛍
◆◆◆◆◆
この日は見事な五月晴れで、下校時刻には汗ばむほどの陽気になっていた。
学校から自宅までの通学路にある、ファーストフード店。
「涼んでこーぜ」という、陽介からの誘いに、今日はツイてる、と蛍は心の中で拳を握った。
学校を出るなり「暑い」。
店に入る前に「暑い」。
注文待ちの列で「暑い」。
席に座ってからも「暑い」。
コーラを一気に飲み干して「暑い」。
それしか言えなくなったのかと思うくらい、同じ言葉を繰り返す陽介は、まるで小学生みたいだ。
昔は蛍の方が背が高くて、陽介はいつも蛍の後をついてくる、懐っこい弟のようだった。小学校に上がる時なんて、陽介の母親から「蛍ちゃん、うちの子のこと、よろしくね」なんて頼まれたりしていた。
それがいつしか、身長差は大逆転。
小学校高学年から地元のバスケットボールチームに所属していた陽介は、体つきも日を追うごとに逞しくなった。今となっては細身の蛍なら、陽介の体にすっかり隠れてしまう。
身長差が大きくなるにつれて、何となく陽介が遠ざかってしまうような気がしていたけれど、何年経っても変わらない内面を見るとホッとする。……本人には言えないけれど。
着崩したワイシャツの胸元を、バタバタと扇がせながら、陽介がてりやきバーガーに食らいつく。
あっという間に胃の中に収まったと思ったら、案の定、蛍のポテトに手が伸びてきた。蛍はシェイクだけで充分だったのだが、陽介はきっとバーガー一つでは満足出来ないだろうと、頼んでおいて正解だった。
蛍は食が細い方なので、陽介の豪快な食べっぷりは、見ていて気持ちが良い。自分が食べるより、陽介が何でも美味しそうに食べる姿を見る方がずっといい。
涼しい店内。
小さなテーブルを挟んで、陽介はスマホを弄り、蛍は授業で出された英語の課題に取り掛かる。
幼い頃は一つのオモチャを取り合うこともあったけれど、いつしか陽介がゲームをしている傍らで、蛍は読書をしたり、お互いやりたい事を優先するようになった。
蛍が本を読んでいようが、陽介はゲームに負けると大袈裟に悔しがったし、勝つと大声を上げて喜んだ。
同じ事をしているわけではないのに、同じ場所で、同じ感覚を共有する。陽介とのそんな時間が、蛍は好きだった。
スマホを持つようになっても、陽介のゲーム好きは相変わらずだ。複数のゲームアプリを掛け持ちして、毎日ログインボーナスだのデイリー消化だのと熱中している。
今もその内の一つをプレイしているのか、目の前で規則的にスマホ画面をタップする陽介を微笑ましく思っていると、不意に短い着信音が鳴り響いた。
反射的に、シャーペンを持つ手が止まる。
届いたメッセージを見たらしい陽介の顔が、サッと曇った。その表情から、何となく送り主は察しがついた。陽介が返事もせず、スマホを投げ出したのが決定打。
───『彼女』だ。
正確には、陽介の彼女だった相手。
相手が同じクラスなので、陽介に聞くまでもなく、別れたという話はすぐに蛍の耳にも入ってきた。
「返事、いいのか?」
して欲しくないと思っているくせに、つい聞いてしまう。
「後でいいよ。元カノからだった」
予想通りの回答に、思わずシャーペンを握る指先がピクリと強張った。気付かれないように、さり気なくシャーペンをノートの上に置く。
「……お前って、誰と付き合っても毎回長続きしないよな」
訳知り顔で、心配してしてみたりする。
心の中では、別れたことに安堵している自分が居て、醜さに嫌気がさした。知っていたのに、陽介の口から直接聞きたかっただけだ。
そんな蛍の胸中など知る由もない陽介が、疲れたように溜息を吐いた。
「何つーか、『コレジャナイ』って感じなんだよ、いっつも」
「マイペースだからな、陽介は」
自分に正直な陽介に対する感情が、幼馴染みの枠を超えて、恋愛感情なのだと気付いたのは、陽介に初めて彼女が出来た時だった。
背が高くて、運動神経が良くて、顔立ちも精悍で。性格も明るいし、蛍と違って人見知りもしない陽介は、中学の頃から女子に人気だった。
けれど真っ直ぐすぎるが故に嘘が吐けないし、中身は見た目に反して子供っぽい部分もある。
女の子相手だからと気取るような性質でもないし、彼女が出来たと聞いても、きっと長くは続かないだろうと、蛍は思っていた。
半分は、十七年という長い付き合いから。もう半分は、そうであって欲しいという、蛍の身勝手な願望からだ。
それでも、好きだと告げる度胸もない蛍からすれば、彼女たちは充分凄い。蛍には絶対に手に入らない、『陽介の彼女』という居場所を、ひと時でも手に入れたのだから。
自分で頼んでおきながら、手もつけていなかったポテトの存在を思い出して手を伸ばす。
冷めきって萎びたポテトは、塩味も薄れて仄かに苦かった。
これ以上邪なことを考えたくなくて、課題に戻りかけた時。
「……蛍さ。爪、綺麗だよな」
ポツリと陽介がそんなことを言うものだから、思わず「は?」と間の抜けた声が出た。
「俺、ネイルしてる爪より、何もしてねぇ方が好きなんだよ。けど、女にそれ言うと、毎回怒られる」
精一杯オシャレをしてきた彼女相手に、悪気なくそう言ってしまう陽介の姿が、容易に想像出来る。蛍は陽介のそういうところが好きなのだが、女の子はそりゃあ不機嫌にもなるだろう。
「それは、お前がデリカシー無いだけ」
「でも蛍は、怒らねーよな」
「え……」
まさか自分に矛先が向くとは思わず、答えに詰まってしまった。
怒るも何も、今のはあくまでも女性の爪の話じゃなかったのか。
「……俺は別に。怒る理由もないだろ」
不自然に思われない言葉を必死に探して、どうにか絞り出せた返事がこれだった。声のトーンはおかしくなかっただろうか。
陽介の顔を直視している自身がなくて、勢いよくシャーペンを掴んで課題に意識を戻す。
この流れだと、まるで蛍の爪が好きだと言われたのかと、勘違いしそうになる。
陽介の真っ直ぐさは、時に蛍の胸の奧を容赦なく貫いてくるから、質が悪い。
物心つく前からずっと一緒にここまで来たけれど、蛍たちも気付けばもう高校三年。この一年が終わったら、今までみたいに同じ時間を過ごすことは、きっともう出来なくなる。
大人になるというのは、そういうことだ。
「コーラ。もう一杯買ってくるわ」
ガタンと椅子を鳴らして、陽介が立ち上がった。
顔を上げた蛍は、店内に差し込む西日の眩しさに目を細める。
小さい頃、陽介と遊びに行った砂浜で、海に沈んでいく大きな夕陽を、二人でよく眺めた。
次の日もその次の日も、毎日会えるとわかっているのに、日暮れがいつも名残惜しかった。高校生になった今も、陽介と迎える日暮れは、やっぱり少し寂しい。
高校と同じで、陽介の隣だって、いつかは卒業しなければならない。
想いを告げることも、ずっと隣に居ることも叶わないならば、せめてもう少しだけ、この場所に居させて欲しい。
課題に没頭しているフリで、一分一秒でも長く、二人だけの時間に浸ることを許して欲しい。
卒業したら、笑って陽介の隣を離れられるように、せめてもう少しだけ───。
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