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六月の夏花火 side 蛍
◆◆◆◆◆
───なにかの間違い?
夜の海。
海開き前の砂浜に、蛍と陽介が二人きり。
───やっぱり、なにかの間違いじゃないのか?
現実が受け入れられなくて、蛍は胸の中で同じ疑問を繰り返す。
数日前から、もう何度同じことを思ったかわからない。
バイト帰りだったらしい陽介から、ある日突然「海に行こう」と誘いがきた。
学校帰りに、流れでどこかへ立ち寄ることは珍しくない。けれど、改めて出掛けようと誘われたのは、ずいぶんと久しぶりだ。
最初は、送る相手を間違えたのかと思った。
また新しい彼女ができて、本当はその子に送るはずだったんじゃないか。
もしそうなら、舞い上がった自分が恥ずかしすぎる。
かといって、間違いだったと認められたら、それはそれで嫉妬とショックでどうにかなりそうだけれど。
そもそも、その前のメッセージからして少し様子が変だった。
「起きてる?」なんて、まるで恋人に送るみたいな…──。
「恋人……」
無意識に口に出した瞬間、頬がカッと熱くなった。
───目の前に陽介が居なくて良かった。
心の底からそう思って、蛍は顔の熱が引くのを待った。
そうして蛍が一人で悶々としている間に時間は過ぎ、あっという間に休日がやってきた。
土曜の夜。まるで今でも毎日そうしているようなさりげなさで、陽介は蛍を誘いにやってきた。
家の前で自転車に跨ったまま、「行くぞ」とひと言。
どこに?、なんて訊くほど野暮ではないし、仮に行き先がわからなかったとしても、蛍は二つ返事で応じただろうと思う。
幼い頃とは明らかに違う高揚感を覚えながら、蛍は陽介とペダルを漕いで、夜の海へとやってきた。
六月に入り、梅雨入りが近いせいか、吹いてくる潮風がいつもより少し湿っぽい。
誰も居ない砂浜を、先に自転車を降りた陽介が歩いていく。
慌ててその後を追い、歩幅の違う足跡を見て、蛍は少し心細くなった。
同じペースで歩いたら、今はもう、蛍は陽介に追いつけない。
そんなことを気にする風もなく、波打ち際から少し離れた場所にしゃがみこんだ陽介が、持っていたレジ袋をひっくり返した。
砂の上に、バラバラとカラフルな棒が散らばる。手持ち花火だ。
「なにそれ。わざわざ買ってきたのか?」
「いや、ウチにあった。去年、陽菜が遊んだヤツの残りだろ、多分」
陽菜というのは、陽介の七つ下の妹だ。小さい頃から見ているので、蛍にとっても実の妹みたいな存在だ。
「勝手に持ってきて、陽菜ちゃん怒るんじゃないか?」
「どうせ新しいの買うだろうから、別にいいって。……あ、親父のライター借りてきたけど、ロウソク忘れた。まあ直接点けりゃいいか」
小さい頃ならこっぴどく親に叱られたであろうことを、陽介が飄々と口にする。
「……陽介、なんか悪いヤツになったよな」
は?、と陽介が、心外だとでも言いたそうに片眉を跳ね上げた。
「悪いヤツっていうか……悪そうなヤツ?」
「ほとんど一緒だろ、それ」
「陽介が俺以外の友達と居るときは、そんな感じなんだろうなって思った」
「……それ、いい意味で言ってんの?」
好き勝手な方向を向いた手持ち花火を大雑把に仕分けながら、ポツリと陽介が問う。
いい意味なのか悪い意味なのか、蛍にもよくわからなかった。ただ…──。
「……なんとなく、寂しくなっただけ」
陽介は、昔みたいに「親に叱られたらどうしよう」なんてヒヤヒヤしたりしないのだろう。小言を言われたって、さっきみたいに飄々と受け流すんだろうと思った。
頼もしくなったな、と思う。
それと引き換えに、蛍が知らない顔も増えた。
それがなんだか寂しくて、蛍を一人、海へと駆り立てるのだ。
「あのさ。お前、一人でよく海に来てんの?」
心を見透かされたような質問に、一瞬呼吸が止まった。
「……なんで?」
「別に。気になっただけ」
「……よく、ってほどでもない。たまに行くくらい」
「何しに?」
隣から陽介の視線を感じたけれど、蛍は顔を上げられなかった。
陽介の目を見たら、誤魔化せなくなってしまいそうで。
「……特になにも。息抜きとか、ちょっと考え事したいときにはちょうどいいから」
「蛍だって、悪いヤツになってんじゃねーか」
「えっ?」
思わず上擦った声が出た。
嘘が見抜かれたのかという焦りと、悪いヤツと言われたことへの意外さで。
「……どういうところが?」
「俺のことは何でもよく見てるくせに、自分のことは見せなくなった」
───見せないんじゃなくて、見せられないんだよ。
俯いて、こっそり唇を噛む。
「まだ六月だってのに、蒸し暑いな。喉渇いた」
気まずい沈黙を吹き飛ばすように、陽介が脈絡のない話題を口にした。
静寂が嫌いな陽介は、蛍が返事をしてもしなくても、構わず好き勝手に喋るところがある。
陽介ほど饒舌ではない蛍は、陽介のそんなところに昔から救われてきた。
今だってそうだ。重い沈黙が続かなくて良かったと、蛍は内心ホッとしていた。
「飲みモン持ってきた?」
「ああ、うん……一応」
お互い持参した飲み物を見せ合って、また一瞬沈黙が流れた。
───え、嘘だろ……?
てっきり陽介はいつものサイダーだろうと思って、蛍も同じにした。……同じにしたつもりだったのに、陽介が持参していたのはまさかの缶コーヒーだった。
「……陽介、いつからコーヒー飲めるようになったんだ?」
「蛍こそ、炭酸苦手じゃねえの?」
「………」
まあ、とかなんとか誤魔化して、蛍はサイダーを口に含んだ。
炭酸の刺激で、喉がヒリヒリと焼ける感じがする。開けたばかりのサイダーは、炭酸が強すぎてやっぱり苦手だ。
二口目にいけないまま、なんとはなしに隣を見ると、缶コーヒーを握った陽介も眉間に深い皺を刻んでいた。
───もしかして、お前も俺と同じ理由でコーヒーを選んだ?
だったらいっそ取り替えようと言いたいけれど、さりげなく伝える言葉が浮かばない。
蛍が黙っていたら、
「飲まねぇならそっちくれ」と陽介が先に言った。
お互いの好物を交換し合って、缶コーヒーを飲もうとしたところでふと手が止まった。
───これって、間接キス、だよな?
そう考えて一瞬躊躇ってしまった蛍の横で、陽介は何でもないようにペットボトルへ口を付けていた。
蛍だけが卑しいと思い知らされた気がして、途端に後ろめたくなった。
「蛍って、最近花火とかすんの?」
「いや……手持ち花火なんて、もう何年もやってない。多分、小学生のときが最後だと思う。……陽介は?」
「俺はまあ……ダチとたまにやるくらいだな」
ツキン、と微かに胸が痛んだ。
蛍が最後に花火をやったのは、陽介とだ。というか、陽介や陽菜以外と花火なんてしたことがない。
でも陽介は違う。
変わらない景色の中に居ても、蛍と陽介は少しずつ変わっていく。当たり前だと頭ではわかっていても、仕方ないと割りきれるほど、蛍はまだ大人になれない。
寂しさを誤魔化すように、蛍は砂の上に並んだ花火の中から、線香花火を手に取った。
ライターが上手く扱えない蛍を見かねて、隣から陽介が火を点けてくれた。
ジジ…と羽音のような音がして、先端にぽってりとした橙色の丸い火が灯る。
自ら手放す度胸はないから、この火が一分以内に落ちたら、陽介への恋を諦めようか。
そんな女々しいことを考えていたら、目の前に長い棒が割り込んできた。
「火、くれ」
蛍の持っていた線香花火から火を貰い受けて、陽介の持つ大きな線香花火が目の前でパチパチと弾けて花開く。
「なんでこんな小さいヤツから貰おうと思うんだよ。ライターで点ければいいのに」
「だって今にも消えそうじゃん、そいつ」
陽介が視線で示した先、蛍の持つ線香花火は玉が落ちることなく、静かに消えていった。
次々に新しい花火へと炎のリレーをして、夜の海岸が色とりどりの光と煙に彩られる。
パチパチパチパチ。
鮮やかに弾け続ける花火も、蛍の恋も。まだしばらく終わりそうにない。
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