5分だけのジレンマ…

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5分だけのジレンマ…

「今日はなんて、苦しくて、辛くて、長い…ひとときであっただろうか…。」 俺の名前は時任 蒼士(ときとう そうし)。 何を隠そう時間を巻き戻す能力を持っている非凡な大学生だ。 物心ついたときから、この能力は使えることができた。 何か選択を誤ってしまったときは、すぐさまこの巻き戻し能力を駆使して、名誉挽回してきた。 基本的には自身の行動・結果を変えるために多用してきたわけだが、問題となる出来事が起きてから、ある一定の時間を過ぎてしまうと取り返しがつかなくなる。 また、時を戻しても改めての選択を再度間違えると、更なる不幸を導きだす結果になることは、もはや明白であろう。 …俺の父親は俺が小さい頃にガンで亡くなった。 死亡した事実を伝えられた瞬間に、巻き戻し能力を使おうとも、その弱き力は、意味を成さない…。ただただ、死の事実が耳に届く時間を遅めるだけであった。 長年に渡り、積まれてきた負の病魔は決して元には戻らない…。 おぼんをひっくり返したとき… かばんを盗まれたとき… 自転車で、転んだとき… 発言を訂正したいとき… 誰かに肩がぶつかって因縁をつけられたとき… さっき食べたものの味を再度、堪能したいとき… 好きな人にフラれたとき…うーん、これは難しいかな。 起こった事実を…痛みや辛さを記憶に残し、俺は事が起こる前に巻き戻ることができる。 「母さん…なんで、お父さん、死んじゃったの…」 「あんた…なんで、それを…」 知りたくなかったよ。幾度となく考えた。どうすれば、家族みんなで幸せに暮らせたのかを。死の事実を頭にループさせながら、書き換えられない事実に抗うロンリーボーイ…。 あの時はそうだった。 大切な人も守ってやれない…。俺はどうしてこうも、ちっぽけなんだ。 俺が…元に戻せる時間は…せいぜい5分…。 そして、次に能力が発動できるのは5分経過後…。 電車に乗り遅れたときに発動すれば、人の動きを読みながら時短ダッシュを敢行できる。 なんて、便利な使い道だろう。 「あっ、あっと…今日は早く来すぎたかな。」 駅のホームに着いた俺は、ふぅーっと呼吸を整える。 俺は今…恋をしている。 いつも同じ電車で見かけるあの子に。 今日こそは声をかけてやる…今日の俺は準備万端だ。 俺は緊張するとすぐ胃を痛める…。だから、今日は朝から服用してきたのだ。 万全体制の胃腸薬…。 「んっ…あれっ?」 俺は薬のパッケージの違和感に気づいてしまった。 俺が体内に取り入れた… それは、『便秘薬』であった。 おーまいがぁぁぁ!! 何と笑えない凡ミス…。 時を戻したところで、5分前に移動するだけ…。 皮肉にも、元には戻せない事実がそこにはあった。 ぐぎゅるるるるぅぅ…。 バッドなタイミングで、その瞬間はやってくる。間違えに気づいたときにやってくる悪魔的諸行…。 「ば、馬鹿な、な、なぜ…どうして…こうなる。あっ…あっ…」 電車が向かってきているのが少し遠くにかいま見え、視線のその手前で、彼女がホームで待っているのも確認できた。本を読んでいる…。俺はこんな状態だが、なんて、美しいのであろう。 お腹を押さえながら、彼女の姿を目に焼き付け、今日は諦めて、急いでトイレにかけこもうと思った… その瞬間… 彼女は駅のホーム下に落ちていった。いや、落とされた。 その場からダッシュして逃げる人影が見えた。 「あっ…がぁぁ…おっ、おい…!」 震える手を伸ばしながら、俺は動こうとするが…大きな声を出すと、お腹とお尻のパイプが繋がりそうになる。 落ちた衝撃で、声を発した彼女に 駅の客数名が集まってくるも…時間が足りなかった。。 俺と彼女が乗車するはずの普通列車の定刻前に、その特急はやってきた。無惨にもその落ちた場所へと変わらぬスピードで進行してくる…。 聞きたくはない鈍い音と同時にホームにいる客の悲鳴がこだました…。 ぐぎゅるるるるる… お腹の音ではない。 俺は咄嗟に時間を巻き戻した…5分前に。 漏らすのが先か…彼女を助けるのが先か…。 選択を見失うな… 俺が助けなきゃ、誰が彼女を助けるんだ…。 死なせない…絶対に…! __________ ①駅の階段を軽快に下りていく俺。彼女を探すしかない…。 どこだどこにいる? 変な人と思われてもいい、とにかく線路近くから遠ざけろ…。 ぐぎゅるるるるる 来やがったか…。 死角…売店の裏のベンチに彼女は座って読書をしていた。 「ぐぅぅ…」 足の動きが鈍る…。 必ずやってくるストマックエイク! 我慢だ…我慢しろ…全集中…尻の呼吸…。 「どうかしたのけ?兄ちゃん…。」 お節介おばちゃん登場…。 「ご、こ心配なく…あ、ありがとうございます。」 「あぁ、なら良かったわ。ちょっと聞きたいんやけど、8番線はここなん?」 えっ…いや、いや、… おばちゃんは苦手因子である…。 そうこうしてるうちに、彼女はベンチから立ち上がり、線路際へ向かっていく。 「ちょ…ちょっと…き、君…」 俺は苦しさと恥ずかしさの狭間で、夢中で声をかけたが、彼女は首を傾げて、そそくさと行ってしまった。 べちゃっ… 「あっ…えっ…?」 アイスクリームが俺のズボンに。下方に目を配ると、寂しげな顔をしたお嬢ちゃんが…こ、これは。 えーんえーんえーん やはり、泣き出した…。 それを見て、向こうから母親らしき人が急いで駆け寄ってくる。 「あ、あいちゅぅぅ…あーんあーん」 なだめてる母親が俺のほうをキッと睨み、 「あんた、うちの娘のアイス返しなさいよ!」 「えっ…えぇーっ…」 ドンッ! 「きゃっ…」 ざわざわざわ 「女性が落ちたぞ…」 「なんだ、なんだ」 「特急がくるぞぉぉ、あ、あぶなーい… 」 「だ、だめだぁぁぁぁ!」 きぃぃぃぃ… 『きゃぁぁぁぁぁぁ…』 さっき、遠目で見た光景を近場で目の当たりにしてしまった…。 はぁ…はぁ…俺は嗚咽が止まらなかった…。 ぐぎゅるるるるる… 俺は呼吸を整える間もなく、お尻を押さえながら時間を戻した。 ぐぎゅるるるるる… ___________ ②俺は駅の階段を軽快に下りて… ガクンッ 足がもつれ、俺はまっ逆さまに階段下に転げ落ちていく…。 ドドド……ガンッ。 俺は意識を失った。 ぐぎゅるるるるる… お腹の痛みと、大丈夫ですかと声をかけてくる駅員の声で俺は気がついた。 「ぐっ…うっ…うっ…」 虚ろな目で遠くを見ると、彼女は既に線路際に立っていた。 「お、俺じゃない…あの子を…」 声は届かない… 『間もなく…1番線に特急電車が通過いたしまーす』 アナウンスに腹が立つ…。 彼女はホームから消えていた…。 ぐぎゅるるるるる…… 俺はまた時を戻す。 _________ ③俺は階段を丁寧な足取りで、駆け下りていく。一段一段着実に…。 俺は周りの利用客には目もくれず、売店裏に直行した。 ぐぎゅるるるるる… さて、お出ましか…至極の便意が… 「あっ、兄ちゃん…ちょっとぉ…」 「8番線はあちらです。」 おばちゃんイコール8番線の反射的切り返しを見せる。おばちゃんは、驚きながら感謝をしている。 「おっと…お嬢ちゃん、アイスを落としたら勿体無いよ…。」 やみくもに走り出す前に声をかけてあげる、怪しさ満点の俺。 意外とお腹の痛みに慣れてきていた。お尻とお腹の直線距離にストッパーを組み込む感覚を次第に学んでいく。…これが巻き戻し順能力というやつか…。 やっと、彼女の傍まで近づけた。な、なんという容姿端麗な…。いやいや、いかん。今はまだ。 彼女は立ち上がり、線路際の黄色い線まで進む。俺は彼女の後ろにそっと立つ…。 さぁ、いつでもこい。 バッ…と黒いコートの中年太り男が俺の目の前に立ちはだかる。 俺はビクッとなったが、身構える…。 「はぁはぁはぁ…お前誰だよ…ぼ、ぼくのハニーに近づきやがって…あ、怪しい…ぜ、絶対に彼女は渡さないんだからなぁ…!」 鼻息混じりに興奮している、目深に被った野球帽からのぞきでる、その男の眼はひどく赤く充血していた…。 フンガーフンガーと、今にも襲いかかってきそうな… はっ…とした瞬間…その男は懐から、刃物らしきものを取り出し、俺の方へと突進してきた。 避ける…わけがない。彼女が線路に落ちる可能性が高い…。 ドンッ… 「ぐっ…ふっ…」 全体重で受け止めた…だが、悲鳴全開であるお腹に、更なる追い打ち…。男のナイフが突き刺さっていた。 俺の背面近くにいる彼女も振り向き、起こっている状況を把握しているようであった。 刺される痛みは初めてだった。しかし、生理的現象を我慢する辛さに比べたら、こんなものは… 「うっ…りゃぁぁぁぁ」 俺は動揺して、後ずさりする男に渾身の蹴りをお見舞いしようと、足を振り上げた。 ぶっ…ぶりりっ… 蹴りは空振りに終わり…出てはいけないものがアウトぉぉと、コールした。 男はお尻を見え隠れさせながら、颯爽と逃げていった。 だ、誰かアイツを捕まえてくれよ…。。 なぜ、こっちに集まってくるんだ…。 俺は汚れた。力みすぎて、お尻の穴が緩くなり、人生で初めて、公衆の面前で催してしまった…。さぞかし、滑稽な光景だろうな。 彼女は助かった…のか。ナイフで刺された箇所もそうは深くないだろう…。これで、一件落着…いや、ちがう。これは… 彼女が俺に近づいて…声をかけてくれている。こんな間近で君を見れるなんて… ぶりっ…ぶりりっ… 刺された傷の血の匂いをかき消すかのように、第2波が炸裂する…。 彼女が怪訝な表情をした瞬間…俺は悟った。 『時…既に遅し…』 これは…間違った羞恥世界線。 ぐぎゅるるるるる… 俺は巻き戻しを行った。後悔はない…。 _________ ④俺は、慣れ親しんだ階段を滑らかなステップで駆け下り、おばちゃんをいなし、子どもをあやす。 ぐぎゅるるるるる… 待ってましたといわんばかりの臨戦態勢…右手はお腹に左手はお尻に…。大便抑制スタイルここに生誕。 彼女の元へと、俺は行く。そして、 「早く、この場から離れてください」 えっ…と困惑している姿が妙に可愛い…違う違う…。 俺が俺自身が怪しいやつだと思わせればいいことなんだ。 「あ、あなたのぉー、ことがぁぁ、ず、ずっとぉ前からー、ちゅ、ちゅきでぇぇぇ、」 俺はカタコトの日本語で道化を演じた。 ガダッ… 怯える彼女…。線路側に逃げようとしている彼女…。 「そ、そっちじゃない…!!」 俺は自然と手が出てしまい、彼女の手を強く握っていた。 「あっ…」 彼女は力一杯に俺の手を振り払い、大きな声で… 「や、止めてください!!」 駅構内いっぱいにその声は轟いた。 もう、俺は変質者のストーカーでしかない。 駆け寄ってくる正義感強めのイケメン男子… 大丈夫ですか?どうかしましたか?と彼女を心配している。 彼女から指を指される俺。 駅員も集まってきて、俺は拘束された。 口許に手を当て驚きの表情をしてるおばちゃん、アイスをもった女の子とその母親の冷ややかな白い目… 俺はなぜループを繰り返し、幾重の辛さと痛みに耐えているんだろうか…。 俺は父親の死を覚悟し、受け入れた、幼き自分に照らし合わせてみた…。 下らない…実に下らなさすぎる…。 いや、お腹は下ってはいるが…。 この人たちは俺が事実を改変していることも知らない…。 運命は抗うものじゃない…受け入れるものなんだ…。 ぐぎゅるる………… 俺はもう戻さない…。 このまま俺がここから遠退けば丸く収まるだろう…。 俺は駅員の束縛を振り払い、一目散に駆け出した…。駅のホームのそのまた向こうへ…誰もいない世界へと。。 _________ 「神様…あと5分だけ…ここにとどまることをお許しください…。」 気持ちのよい清々しい風が俺の頬に触れ、 雑草たちがお尻を優しく撫でてくれる。 我慢をし続けることにより得られる至極上等な快感は計り知れない。 絶頂の無限ループがそこには存在した。 俺は全てをさらけ出せる、ありのままの自分で在りたい。 【終】
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