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テレビ画面には、動いて笑う妻が居た。俺を送り出した時と何も変わらない朗らかな微笑みを湛え、今またテレビ画面を介して俺に笑いかけている。
テレビの中の”妻”は、俺の狼狽える様子など知らぬ調子で語った。
おかえりなさい。今この映像を見ているということは、私は間に合わなかったんですね。
一人にして、本当にごめんなさい。
そして、家を見てさぞ驚いたでしょう。勝手なことをしてごめんなさい。
言い訳をさせてくださいね。それには少し話が長くなります。
もし怒っていて、何も聞きたくないならここでビデオを止めて、玄関にあるスイッチを切って下さい。
それで仕掛けは止まりますから。
……聞いてくださるんですね。ありがとう。
まず、あなたに隠していたことがあります。あなたが単身赴任に行ってしまった直後、癌が見つかりました。
転移もしていて、手術をしても助かるかどうかわからないと言われました。
あなたに言おうかどうか迷った末に、言わないことにしたんです。
大きなお仕事に向かったばかりのあなたに、ほんの少しでも気がかりなど持ってほしくなかった。
黙っていて、本当にごめんなさい。
それで、そう決めた後、今度は別のことで悩みました。
私が逝った後、残されたあなたの生活がどうなるのかということです。
私たちには子供もいないし、頼れる兄弟・親戚もいない。お互い天涯孤独というのが気楽でいいと結婚当初は言っていましたけど、こういう時に困ったものですね。
幼い頃から苦労してきて、今も長期出張や単身赴任して、一人でも何とかできるだろうとは思います。でも昔からやってきたにしてはあなたは……家事が比較的得意ではないし、何より、家にいる時ぐらいは何も気にせず過ごさせてあげたい。そう思ってきました。だけどこれからは、それができなくなってしまう。
だから私、作ったんです。私がいなくても家事を滞りなくできる仕掛けを。
びっくりしたでしょう?
ここに来るまでに、たぶん玄関でお出迎えしたはずです。他にもいっぱい作ったので、家中見て回って下さいね。
念のために、玄関でお出迎えしたタブレットに、使い方やどこに何があるかの説明のファイルを入れておきましたから、よければ後で確認してください。
今は、ご飯を作っている最中でしょうか?
あなたが食べたがっていたものをなるべく再現できるように苦労したんですけど……細かな所まではできていないかもしれません、ごめんなさい。
よく頼んだ出前の番号や、出前アプリも記録しておきました。
あと、いつも飲んでいたビールやよく食べていたおかずの材料は定期的に注文するようにしていますから、いつでも食べられますよ。
それから――
そこで、画面はブラックアウトした。俺が、消した。
それ以上見られない。見たくなかった。
「……にが……だ……!」
震える喉から出てきたのは、自分でも驚くほど掠れた声だった。思っていること、吐き出したいこと……何一つ、声にならなかった。
代わりに、拳を握りしめて、思い切りソファを殴りつけた。座り心地のいいソファは拳の勢いを受け止めてしまい、大した音も成らずに俺の拳を飲み込んだ。
もう、どこへぶつければいいのかわからない。この胸の内に沸き起こる憤りを。
なにが、黙っていてごめんなさいだ
なにが、自分がいなくても家事が滞らない仕掛けだ
なにが、なにが、なにが……!!
目の前がぼんやりと滲んだ。目頭だけでなく、脳まで一気に焼けつきそうなほど、熱が全身を駆け巡った。
何が”妻が突然いなくなった”だ……。
俺が何も知らなかった……何も知ろうとしなかっただけじゃないか……!
『ご飯ができましたよー』
俺の背後で”妻”の声がした。
”妻”は、俺の様子などまるで構わず、ただただ料理をテーブルに並べていた。
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