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死絵馬
もういやだ。
毎日同じ事を繰り返す生活も、いつまで経っても成長が見られない自分も、誰にも必要とされていないであろう現実も。
家にも職場にも不満は無い。
敢えて言うなら、あの家族は私には立派過ぎて。根気良く教えてくれる先輩や同僚達の期待を裏切り続けているのが辛くて。
毎日毎日、周りの顔色を窺って生きるのが苦しい。
夜が待ち遠しい。朝になって欲しくない。眠るのが怖い。
こんな生活をあと何十年も続けるのかと思うと、気が塞ぎこんでしまって仕方が無い。
そんなのはいやだ。そんな人生を味わうくらいなら、さっさと終わらせてしまいたい。
死んでしまいたい。早く死にたい。
けど、自殺は駄目だ。
失敗したら、何を言われるかわからない。それは、今の生活以上に怖い。
それに、自分で自分の体を切るのも、線路に飛び込むのも、首を吊るのも怖い。病院に睡眠薬を貰いに行って、詮索されるのもいやだ。
何か、上手く死ねる方法は無いものだろうか。突然の事故とか、病気とか、自分で決めなくても死ぬことができる方法は……。
◆
死別神社
そう書かれた額の掛かっている鳥居を見て、私は目を瞬いた。
犬の散歩をしている人が私の後を通り過ぎていく。犬が神社に向かって吠えたが、それに対して飼い主は
「なに吠えてるの! そこには電信柱しかないでしょ!」
などと言っている。どうやら、飼い主にはこの神社が見えていないようで。
「本当にあったんだ……」
呆然として、呟く。そしてもう一度目を閉じて、開いてみても、やはりそこに神社はあった。
インターネットのオカルト掲示板で噂になった事がある。
本当に死にたいと思っている者だけが辿り着く事ができる神社があるのだと。
その神社の名は、死別神社。今、私の目の前にある神社が、それで間違いないだろう。
この神社にお参りをすると、一ヶ月以内に死ねるのだという。死にたいが、自分では怖くて死ねない。そんな人達がこの神社を求め、辿り着き、そして……。
辿り着けたという事は、少なくとも私の死にたいというこの気持ちは本物だと、神様が証明してくれたようなものだろう。そこらの構ってちゃんと呼ばれる人たちが言う「死にたい」とは違う……と思いたい。
一礼をして、鳥居をくぐる。手水舎の水は、その物騒な名前とは裏腹に透き通っていて綺麗だ。
柄杓で掬い、左手、右手の順に洗う。左手に受けた水で口を漱ぎ、もう一度左手を洗い。そして最後に柄杓を立てて、柄を洗う。手水舎での手順は、これで良かったはずだ。
参道を横切らないように気を付けつつ、本殿へ向かう。鈴を鳴らして、賽銭箱へ賽銭を投げいれた。額は、死への御縁を期待して四二五円。死に御縁、だ。
礼や柏手の数は神社によっては違うところもあるが、特に注意書きも無いので一般的な数で良いだろう。二礼二拍手をして、早急に死を賜るよう祈りを捧げる。そして、最後に一礼。
死別神社への参拝は、これで終わってしまった。予想よりもずっとあっけない。
参拝を終えた事で心が軽くなったのだろうか。少しだけ、余裕が出てきた。その余裕を持って、境内を少しだけ歩いてみる事にする。
来た時は気付かなかったが、この神社にも授与所はあるようだ。こじんまりとした建物があり、軒先にお守りが並んでいる。けど、人の姿は見えない。無人の授与所という事だろうか。死にたい人しか入れない神社なら、それも有り得るだろう。
近寄って、並んでいるお守りを眺めてみる。お守りはどれも「安楽死祈願」だとか「永眠成就」だとか、物騒な文字が刺繍されていた。神社の名前や御利益を考えたら納得ではあるけども。
そんな物騒なお守り達の横に、木札が積み上げられていた。何の変哲もない、長方形の木札。上の方に、小さな穴が空いている。
それを見て、私は思い出した。たしか、インターネットでこの木札について触れているコメントがあったはずだ。
小さな長方形の木札にフルネームを書いて、所定の場所に吊るす。すると、より一層御利益があり、死へと近付く事ができるのだとか。
その木札の事を、コメントは「死絵馬」と呼んでいた。
死絵馬とは、妙なネーミングだと思う。一般的な絵馬は五角形の物が多いと思うが、これはシンプルな長方形だ。そして、絵馬だと言うのに絵が一切書かれていない。
折角だから、と、私は死絵馬を一枚手に取った。値段が書かれていないので、千円札を授与所の中に放り込む。記憶が定かではないが、大抵の神社はこれぐらいの値段か、もう少し安いかぐらいだったような気がする。
サービスのつもりなのか、死絵馬の横に墨と硯、筆が置かれているのに気が付いた。そこで私は筆を手に取り、たっぷりと墨を含ませて死絵馬にフルネームを書き込んでいく。
書き込んだところで、私は死絵馬を少しだけ煽いで乾かしながら、吊るす場所を探した。そしてそれは、すぐに見付かる。
絵馬を吊るす場所というよりは、会社や塾で名前のプレートをかけておく名札かけのような……そんな板が授与所の裏の壁にかかっていたのだ。
一番上から、下から二段目までは全ての釘に死絵馬がかかっている。上の方は年季が入っているのかあめ色になっていた。最下段は、右の方からかけていくルールなのか、左半分が空いている。
そこで私は、空いているうちの一番右の釘に自分の死絵馬をかけた。最後に、願いが叶うように、死絵馬に向かって一礼してみる。
頭を上げて、そこで私は死別神社を後にした。インターネットの噂が本当なら、あと一ヶ月の間に死ぬ事ができる。
◆
あと一ヶ月で死ねる事になったからだろうか。死別神社を後にしてからの私は、随分と調子が良い。
気持ちに余裕ができたのだろう。仕事のミスがほとんど無くなって、怒られる事も無くなった。それどころか、「頼りにしている」という言葉までかけてもらえた。
もうすぐ話す事もなくなるのだと思えば、嫌な人との会話にも応じてあげようという気になる。くだらないと思える会話にも付き合ったし、長々とした愚痴も聞いた。気のせいか、周りの人達の顔付きが以前よりも柔らかくなったように見える。
そうして、人付き合いが良くなったからかもしれない。今までこんな事は無かったのに、同僚がお菓子をくれた。美味しかった。
多めに貰ったそのお菓子を持ち帰って家族に分けたら、とても喜んでくれて。あぁ、私にもこの人達を喜ばせる事ができたんだ、と驚かされた。
極め付け。
「ほら、営業二課の石井君、いるでしょ? あんたに気があるみたいよ」
同僚にそっと耳打ちされたその名前の主は、優秀でイケメンとまではいかないが、活発で感じの良い人で。興味が全く無いかと言われたら、そうでもない。そんな人が、自分に興味を持っているという。
こんな事も人生で起こり得るんだ、と、とにかく驚いた。こんなに楽しい日が来るなんて思わなかった。そして、思った。
生きていて良かった、と。
◆
死別神社を後にしてから、約三週間後。それは、突然起こった。
首の筋肉が引き攣り、呼吸が上手くできなくなった。何ができるわけでもないのに首に手を遣り、酸素を求める。口がぱくぱくと開閉し、それでも呼吸はままならず、苦しさが増していく。
その苦しみは数分間続き、解放された時にはほっと息が漏れた。誰の手も、ロープのような物も使わずに首が絞まる事があるとは。
だが、ほっとしたのも束の間。それからも、何度も首は絞まった。
整体に行っても、整形外科を受診しても治まらない。それどころか日を追うごとに絞まる回数は増えていった。
このままでは、呼吸が止まって死んでしまうかもしれない。
そこで私は、思い出した。
死別神社。死を願う者が訪れるあの神社に、私は参拝している事。そして、死を願っていた事を。
「行かないと……」
呟き、私はすぐに動き出した。有休を申請して、会社を出る。最近頑張っていたからか、上司は快く許可を出してくれた。
神社に行って、願いを取り消してもらわなければ。神様への願い事が取り消せるのかどうかわからないが、行かないよりはマシだろう。
……そうだ、死絵馬。死へと近付くと言われている、あの絵馬を回収した方が良いだろう。
気持ちは逸る。足はどんどん動く。
なのに、神社が見付からない。
「前に来た時は、たしかにこの辺りに……」
呟いたのとほぼ同時に、今日何度目になるかもわからない息苦しさが私を襲った。
まただ。また、首が絞まっている。
いつもなら数分で治まるこの苦しみが、今回は長い。首はどんどん絞まり、取り込める酸素はどんどん少なくなっていく。
「どうして……どこ……」
呼吸ができず足下がおぼつかなくなってきた。それでも、懸命に神社を探す。
見覚えのある風景が視界に飛び込んできた。散歩中の犬が、吠えている。そして飼い主が、それを制していた。
「なに吠えてるの! そこには電信柱しかないでしょ!」
ここだ!
そう確信した私は、救われた気持ちで犬が吠える先を見た。だが。
そこに、神社は無かった。
あるのは飼い主の言う通り、電信柱だけ。その周囲の風景には既視感があるのに、電信柱の部分だけ入れ替えたかのように見覚えが無い。恐らく。これが本来の風景なのだろう。
「なん……で……」
掠れた声で呟き、くずおれる。先ほどの犬の飼い主が、怪訝な顔をしてこちらを見て、そしてそそくさと去って行った。厄介毎に巻き込まれたくないのだろう。
そこにはもう、誰もいない。聞こえるのは、風の音と遠くの道から聞こえる車やバイクの排気音のみだ。
……いや、違う。それ以外にも何かが聞こえる。
ケケケケケ……ケケケケケ……。
甲高くて、耳障りな音。……声、だろうか。嘲るような笑い声。
こんな音が聞こえてくるとは、いよいよまずい。酸素不足で、耳までおかしくなってしまったのかもしれない。
そして、次第に言葉も聞こえ始めた。
『戻ってきたよ、戻ってきたよ』
『死を願っていた奴が、死にもしないで戻ってきたよ』
『死別神社に生を求めに来てどうするんだろうなァ』
『まず、来たところで死別神社に入れないけどな』
入れない? どういう事だ? 私はたしかに以前、死別神社に……。
『わからない、って顔してるぜェ』
『わからないなら、教えてやろうか』
『おう、教えてやろう』
『教えてやろう』
また、ケケケケケ……と耳障りな笑い声が聞こえてきた。そして、その耳障りな声達は、それは楽しそうに、口々に、言葉を発した。
『死別神社は、〝本当に死にたいと思っている者だけが辿り着く事ができる神社〟だからなァ』
『どういう心境の変化があったんだか。今は、〝もっと生きたい〟って思ってるみたいだなァ』
『死にたがってねぇんだから、死別神社に辿り着けるわけがないわなァ』
そしてまた、ケケケケケ……という笑い声が。
もう、悔しがる気力も、怒る気力も、無い。あるのは、ただ絶望のみ。
体中から、力が抜ける。頬が、足下のモルタルに擦られた。地味な痛みと、じんわりと血が染み出している感覚がある。だが、もう立ち上がる事も、傷に手を当てる事もできない。
頭がぼんやりとする。けど、苦しいのはわかる。
こんなに苦しいのが続くのはいやだ。こんな苦しみが続くのであれば、早く死んでしまいたい。
そう、無意識に願ったからだろうか。
ぼやけた視界の中に、突如鳥居が現れた。
……そうか。死を願ったから、再び死別神社に辿り着く事ができたのか。
早く、参拝を……。
参、ぱい、を……。
(了)
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