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Chapter.2
二人が一緒に働いていたのはもう五年近く前になる。
ひぃなはデザイン事務所の経理事務として従事している。攷斗とは部署が違ったが、事務部の後輩で攷斗と同期の女性社員を通じて連絡先を交換してから、ちょこちょこと連絡を取り合うようになった仲だ。
ある時、同じ地域の出身で通っていた小中学校が一緒だとわかって、思い出話に花が咲き急速に親しくなった。
それからは、相談やお礼やと、ことある毎にお誘いがくるようになった。お互いの誕生日を祝うようになったのも、その交流の一環だ。
攷斗が所属していたデザイン部と、ひぃながいる事務部は業務上あまり接点がないので、最初に後輩から紹介されたとき不思議に思ったのを覚えている。
ゆくゆくは独立して会社を立ち上げるつもりだから事務処理を学びたいという理由を聞いて、それならばと協力することを決めた。
両者の手が空いた時間を使って、基本的な事務処理などをOJTした。覚えが速いので教える苦労も感じず、むしろ楽しい時間を過ごした記憶しかない。
攷斗が退職してフリーのデザイナーになると発表されたとき、会社勤めで終わらせるには勿体ない才能の持ち主だからと社内の誰もが納得し、盛大に送り出した。
その後の詳細な活動内容は聞いていないが、成功している様子だ。
「そういや大丈夫だったの? 今日」
「ん? だから仕事は一段落ついたってば」
「じゃなくて、カノジョ」
風の噂で三ヶ月前に出来たらしいと聞いた。
「……ソース誰」
あからさまに不機嫌な顔で攷斗が問うと、
「湖池」
ひぃなが、攷斗の同僚だった男の名前を伝える。湖池と攷斗は仲が良く、攷斗が退職したあとも交流がある。そのせいかどうかは知らないが、ひぃなは湖池から何故か攷斗の近況を良く聞かされている。
「あいつマジ……」
言うなって言ったのに……。言外でぽつりと呟いたその言葉は、ひぃなの耳には伝わらない。
「嫌なんじゃない? 付き合いたての彼氏が、元先輩とはいえオンナと」
「別れた」
ひぃなの言葉を攷斗がさえぎる。
「…え?」
「先週別れた。だから……」
「若いな」
「オレもう33だよ? いつまでも新人だった頃と同じ扱いしないでよ」
「ごめん」
つい癖で若者扱いしてしまい、素直に謝る。
それでもひぃなより9歳下だから、“若者”であることに変わりはない。
「うん。あと、すぐ別れるかどうかに若さ関係ないと思う」
「そう、だね」
年齢が、というか、フットワークが軽いとかバイタリティがあるという意味合いが強かったが、特に注釈を入れたりはしない。
「俺の話はいいよ。そっちはないの、そーゆーハナシ」
「ないねぇ~」
焼き鳥を食べながら即答で嘆く。
「したいとかもないの、ケッコン…とか」
「んー……」
「えっ?!」
「えってなに」
「いや…こないだまではソッコー“ない”って言ってたから……」
「いやー、親ももうトシだしさ? もうすぐいまの家が更新なんだけど、あれって保証人必要じゃん。うちは必要なのね? 親がいなくなったら、親戚づきあいも浅いから頼める人もいないし、友人知人じゃハードル高いしさ」出汁巻き卵をつつきながら、ひぃなは続ける。「病院の手術の同意書なんか、肉親じゃないとダメらしいんだけど、親が病院に到着するまで命の保証があるわけじゃないじゃない? でも夫婦だったらあっさりOKなのよ。たかが紙切れ一枚の契約だったとしてもさ」息継ぎついでに酒を飲む。「親も年金世代でいつ仕事しなくなるかわかんないし、頼れる兄弟もいないし、いつまでも一人ってわけにはいかないのかなーって思ったら、パートナーっていうか、旦那探すしかないのかなーって」話をこないだサエコとしたの、と言い終わらない内に、
「じゃあさ!」
結構な音量で攷斗が話を切った。
「しようよ、俺と」
「なにを?」
「けっ……ケッコン…カッコカリ……」
尻すぼみに消え入るような声で出されたその提案に、お前は何をどこぞのゲームシステムみたいなことを言ってるんだと思いつつ、見たことないような真剣な顔で言うもんだから。
「…うん…」
酒の勢いもあって、思わず承諾していた。
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