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Chapter.4
攷斗はひぃなを“ひな”と略して呼ぶ。攷斗曰く“小さい“ぃ”を言うのが面倒”とのことだ。人の名前を面倒とはどういう了見だと反論したが、攷斗の独立以降、その呼び方が定着してしまった。もちろん、そんな風に呼んでくるのは攷斗だけだ。
「それに、さっきひなだってうんって言ったじゃん」
唇を尖らせて反論してくる。
「いや、言ったけど、そんな本気だとは思わなくて……」
「俺とじゃやなの?」
こういうときばかり年下ぶって甘えてくる。その表情はいつにもまして可愛らしい。
「嫌じゃないけど……」
「じゃあ決まりね」
攷斗は満面の笑みで押し通して電話のアプリを立ち上げると、通話を開始した。
「……あっ、お疲れ。うん。いま会社? だよね。社長もいる? うん。うん。いや、ちょっとお願いがあってさ」
(えええー!)
ひぃなを余所に話はどんどん進んでいく。
「おっけーおっけー、二時間後ね。はーい、はーい」
通話を終えて
「よし」
攷斗がひぃなに笑いかけた。
「余裕できたからメシ食っちゃおう」
ぽかんとするひぃなとは正反対に、攷斗は止まっていた箸を進める。
ひぃなは言葉を探したまま、口を開けて黙ってしまった。
「どしたの、ぽかんとして。ハラいっぱいになっちゃった?」
「…だって…本当に好きな子できたら、棚井バツイチになっちゃうんだよ?」
「え? 結婚する前から別れ話する?」
「だって……」
「それはそっちだって同じでしょ?」
「それは……そうだけど……」
「不安なのはわかるよ。でもさ、一緒に暮らしてくうちに……ねっ」
一瞬言い淀んで、はぐらかす。
「あ、保証人。社長と湖池があと二時間くらいで仕事終わるって言ってたから、そのタイミングで会社行くことになってる」
「…わかった……けど、その二人に言ったら、即日会社全体にバレるやつじゃない?」
「大丈夫でしょ、口止めしとけば」
「それ本気で言ってる?」
「いやー?」
攷斗はビールを飲んで
「俺は別にバレてもいいし」
やんわりとひぃなの言葉を否定する。
「そりゃ棚井はもううちの社員じゃないからさ…」
「まぁね。あとさ、いまはいいけど、名字呼びそのうちやめてね?」
「えっ」
「同じ名字になるんだし、夫婦で名字呼びもなかなかないでしょ」
じゃあなんて呼べばいい? なんて愚問はしない。名字がダメなら残る選択肢はひとつだ。
「…………コウト?」
んぐ、と飲んでいたビールを吹き出しそうになって、攷斗がジョッキを置いた。軽くむせている。
「ちょっと大丈夫?」
おしぼりを渡すひぃなに、攷斗は苦笑いを見せた。
「…急なんだよな、いつも」
「だって呼べって言うから……」
今度はひぃなが唇を尖らせる。
アルコールに紛れて、照れからくる顔の赤さを誤魔化せて良かった――攷斗は内心息を吐いた。
「いますぐにとは言ってないじゃん。いやいいんだけど、それで」
「どっちよ」
「いーよ、ふたりのときは、好きなほうで」
「曖昧なんだよな、いつも」
「ひなに委ねてんの。いーから食べよう。旨いよ」
「うん……」
納得はいかないが残すのも嫌なので食事を再開する。
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