四月

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四月

私を試しているこの段落では、発達し続けるテクノロジーと希薄化に傾く人間関係の因果が説明されている。 ネットワーク、SNS、動画サイト。 現代病の温床とも言えるそれらテクノロジーの置き土産は人類から無知を奪いあげテンプレートの成功を植え付けた。 知りたくなくても友人の幸せそうな休日が流れてくる。面白ければ再生数が上がると定義づけられる。自分の世界は否応なしに広まってしまう。 今まで適当で曖昧で、それでいて固有だった価値観を一律に可視化した結果、目で見えないものに価値はなくなった。 「友情」「信頼」「人知れぬ努力」は写真に収めインスタグラムにアップしない限りその存在を認められない。 形が元々備わっていないものを強引に可視化している。だから今の人間関係はどこか嘘くさくて薄っぺらい。 つまり、昔は良かったと。 なので今は間違っていると。 この文章が言いたいことは結局そういうこと。 この文章を読んでいる人の大半がたどり着くよう誘導された、養殖臭いこの教えは、もっともらしい言葉を用いて語られているがまるで息をしていない。 細やかな体毛を身体に纏った生々しい昆虫がピンで留められ標本にされている。そんな関係ない映像が頭の中に紛れ込んでくるくらいこの教えは不自然で違和感がある。 この文章は、お腹いっぱいになるほど苦しくて、あくびがでるほどつまらなかった。もうこれ以上は読むのをやめようかとさえ思うほど。 更に筆者は、こんなピンで留められたつまらない考えに、現代の日本が抱える人間関係の軋轢を力一杯ぶつけているからたちが悪い。 一分一秒の単位で忙しく姿を変える今の人間関係を、あろうことか生きていない教えで解くとは。 壁のように固い筆者の考えに当たった現代日本の問題は、いい音も鳴らさず跳ね返ってくる。今後の日本とはどうあるべきだ、なんて余計な主張が加えられた分、返ってくる速度と角度が鈍くなって。 今までの文脈、段落のまとめ部分、接続詞や傍線に焦点を当てて読むと、どうやら人工知能分野の発達による弊害を日の目に晒したいようだった。 読解終了、解答に移る。 この文章はどうしようもなくつまらない。でも、最後まで読み解かれ、答えを掘られ続けていく。 何故かってもちろん、将来の為だ。 大学受験は興味のある事だけをしていても突破できるものではない。 たとえつまらない文章でも、こうして参考書に乗っている限りは、私みたいな受験を控えた若者に読み続けられるのだ。 私は、記号を選びきり、軽く見直しをしてペンを持ち換える。最近使いだしたお気に入りシャーペンから、武骨で質素で、可愛げのないノック式の赤ボールペンに。 問題数は全部で十一問。十一個のアかイかウかエかオが散りばめられた答えを見ながら、ノートに赤い丸を付け始める。シャッ、シャッ、シャッとリズミカルに。こういうちょっとしたところで遊びを見せるのが、長い受験生期間を生き抜くコツだったりして。 予想通りすべての問題が丸だったので、解答冊子の解説は読まずそのまま自室を出る。二階の私の部屋から飛び出し、階段を跳ねるように降りて一階のリビングまで。 「お母さーん、ごはんなにー?」 小奇麗なシステムキッチンつきの明るいリビングに、間の抜けた自分の声が響く。 ガタガタと椅子を鳴らしてテーブルにつく私を、お母さんは、優しく見つめ、オムライスよ、と答えて背中を向けた。お母さんは卵を冷蔵庫に取りにいき、私はなんとなくそんなお母さんの動きを追ってしまう。 ここだけの話、ボーっとお母さんの後ろ姿を眺めているとき、たまに、ほんとにたまにだけど、泣きそうになる自分がいる。 受験に立ち向かう私の姿を、常に私は奮い立たせ鼓舞している。だから、お母さんもお父さんも梓もそんな私に気を遣い、目を逸らさずに、まっすぐ笑顔で私を応援してくれている。 「お母さんにできることがあればなんでも言ってね」「期待してるぞ灯」「お姉ちゃん!頑張って!」 それぞれの家族の言葉が私の背中を押してくれ、前に進む力になってくれ、踏ん張る拠り所になってくれる。そして、後ずさりできないよう行き止まりの役目をしてくれる。 だけど、お母さんの背中をみているときだけは、お母さんの表情が見えないときだけは、お母さんの本音の本音が聞こえる気がして、そこで何かが揺らいでしまう。 「頑張らなくてもいいよ?」「身体だけは壊さないでね?」「お母さん、心配だよ」 それがお母さんの本音なのか、私が言ってほしい言葉なのかはわからない。わからないけど、お母さんの背中を見るときだけは、そんなセリフがお母さんの声で脳内再生され、瞳にしずくがたまる。 「灯、食べないの?」 優しいお母さんの声色にハッとする。目の前にはお母さんと、ホカホカとしたオムライスの湯気が立っていた。いつの間にか下を向いていたらしい。 食べるよ、と私は端的に返し、更にお茶も追加で頼んだ。はいはい、なんて呆れた顔をしながらもお母さんがお茶を取ってきてくれるのは、私が英単語帳を左手に持ったからかな。 ペラペラと捲られるページの二拍子後にオムライスの一口分が入ってくる。しばらくそのペースで休憩時間を過ごしていると、テレビから気になるワードが飛び出してきた。 「春、満開。新生活のシーズンです」 そうだ、今日は四月の頭の日曜日。テレビに映された様々な人の中には大学生も混じっていた。私も、来年には大学生になれているのかな。そんな疑問と不安と恐怖を覆い包むように、オムライスの卵はフワフワだった。 ご馳走様、お皿をシンクに突っ込んで、重い足取りで二階に向かう。 さぁ、次の予定はなんだっけ?スマホの画面を二度右にずらし、スケジュールアプリを起動する。 そこには縦に一日の時間軸と、横に月から日の曜日軸。まるで学校の時間割だけど、土日が入っていて、八時半から始まっていない分、こちらのスケジュールの方が厚みがある。意味もなく、一度電源を落とし、またパスワードを入力してから二、三秒。だめだ、こっちの一週間を眺めていると、人生が少し長く感じて油断してしまう。いけないいけない、今はボーっとする時間じゃない。数学をする時間のはずだ。 今日のスケジュールを確認する。月曜の、十二時半から十四時半までの幅を数学という文字が占めていた。思わずぼーっと上を見上げた今の私って、はたから見たら間抜けなんだろうなぁ。 私は、そんなバカみたいな私から隠れるように、逃げるように、追いつかれないように、さきほどまでの国語の参考書を急いで片付け、本棚からチャート式を取り出す。 今は四月、一年は始まったばかり。私は後半息が切れないように、今の内に深く深呼吸をする。深く、深く、落ち着いて。私はゆっくり目を閉じた。
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