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「呼ばれたのは、家の中をチェックするためでしょう?」慎は巧みに話を誘導していく。勝手にぺらぺら喋る占星術師の時はあまり口を挟まず、軌道修正をする程度に留め、遠慮がちな執事夫人の場合は、頻繁に言葉を挟んで話を先に進めていく。一体どこで覚えたのか、尋問の上手さに俺は内心舌を巻いていた。
「そうです。何でも住乃江先生が不吉な星が出ているとかで、お二人は子ども部屋の前にいらっしゃって……それで樫山が定太郎さまが帰ってらしたことを申し上げて、奥様も大変驚かれたんです」
「珍しいことだったからね」
「はい、とても珍しいことでした。それで、ご夫妻の寝室が、すぐお向かいですから、とりあえずそこを見たんですけど、定太郎さまはいらっしゃらないですし、大体部屋の前でみんなが騒いでいれば気づかれないはずもないんですけど」
「みんなって言えば、運転手さんがいたでしょう?」
「ああ、あの人」樫山小恵の表情が少し曇った。あまりいい印象を持っていないらしい。「友倉さんね。奥さまが連れて来るようにおっしゃったので、一緒に行きましたよ」
「友倉さんって、いつからウチで働いてたの?」
「そうですね……確か、あの事件の一年ぐらい前だったかしら。旦那さまが突然連れていらして、運転手をしてもらうからよろしくって。この離れにひと部屋空けて、住み込むからって」
「どんな人だった?」
「そうですね……正直言って、ちょっと暗い人で、あまり口も利かないので、よくわからなかったんですよ。年は旦那さまと近くて、あの頃三十を少し出たぐらいだったと思うんです。それで、ああ、旦那さまの昔のお知り合いなのかなって」
「その人の前の運転手さんはどうしたんです?」
「あら、友倉さんの前には運転手なんていませんでしたよ。お仕事でお出掛けになる時は会社のクルマが来ますし、プライベートでは旦那さまは運転がお好きでしたからご自分で」
「あ、そうなんだ」
「船もお好きでしたけど、クルマもお好きで。乗り物が好きだったんですね、きっと。時間があったら飛行機の免許も取りたいっておっしゃってたことがあって、奥さまがそんな危ないことはなさらないでって」
「ふうん……」慎はちょっと考え深く俯いたが、すぐに顔を上げて微笑した。「それで話を戻すと、じゃあ小恵さん含めて三人が呼ばれて母屋に行ったんだね? それでお父さんのことを探した」
「探したと申しましても、寝室にいらっしゃらなければ三階のお部屋しか心当たりもありませんからね。すぐに三階へ上がりました」
「鍵がかかってたんでしょ?」
「はい。それで樫山が合い鍵を取りにここへ戻って」
「合い鍵って、どこにしまってあるの?」
「仕事部屋の金庫ですよ。いまは徹が使っている部屋です」
「他にはお父さんだけが持っていたんだよね」
「ええ」
「で、鍵を開けて中に入ったんだね?」
「奥さまがノックしてお声を掛けたんですけど、お返事がなかったのでお入りになって……」樫山小恵はそこで軽く身震いした。いまでもその時の記憶が恐怖と共に胸の底にわだかまっているのだ。「聞いたことのないほど大きな声で、『あなたっ!』て叫ばれたんですよ。そして寝台に駆け寄って……後からわたくしたちもおっかなびっくり入って、それで定太郎さまが亡くなっているのを見たんです」
「すぐに亡くなってるってわかったの?」
「いいえ、最初はお休みになっているのかと思いました。でも、奥さまがいくら揺すってもぴくりともなさいませんし、樫山が口元に手をかざしたり脈を探ったりして、これはどうも大変なことになっているのでは、と申し上げて、救急車を呼ぶことになったんです」
「携帯で?」
小恵はそこで軽く笑った。「いいえ、あの頃はまだ携帯はそんなに普及していませんでした。旦那さまですら億劫がって、自動車電話しか使われてませんでしたから。樫山は多分下の階に電話をしに行ったんだと思います」
「三階の部屋にも電話、あったでしょう?」
「ございましたけど、奥さまが旦那さまを呼び続けてらっしゃったし……後で樫山に耳打ちされたんですけど、その時もう旦那さまは殺されたんじゃないかと思ったらしくて、救急車だけでなく警察にもかけてたんです。でも、そんな電話、奥さまのお耳に入れられないでしょう?」
「さすが、執事の気配りだね」
亡夫を褒められて、小恵は嬉しそうにはにかんだ。
後は警察が来て、救急車が来て、大騒ぎになった。そう付け加えて執事夫人の証言は終わった。
他に何かありますか?という顔で、慎が俺と森北を見た。森北が口を開いた。
「寝室をご覧になった時ですが」
途端に樫山小恵の表情が強張った。警察に訊かれるのと、ほぼ身内と言っていい慎に訊かれるのとでは、やはり反応は違う。案外、遺族捜査というアイデアにも見るべきものがあるのかも知れないと俺は思い始めていた。もっともすべての遺族が上泉慎のような聞き上手とは限らないが。
「何かいつもと違う点に気づかれませんでしたか?」
「そうですね……」軽くなっていた口も、また重くなる。「特には……」
「ベッドが使われた跡があったとか、部屋の中の物が移動していたとか」
「どうだったかしら。とにかくパッと見て、定太郎さまがいらっしゃらないのはすぐわかりましたから、それでもう三階へ行ってしまったので」
「そうですか」森北はにこりとしたが、小恵の表情は和らがなかった。
現場は三階のキャビンだから、鑑識も寝室は調べていない。だから捜査資料にも記載がなかったので、森北は確認したのだろう。
俺たちは礼を言って、立ち上がった。去り際に慎が、
「あ、そうだ。あさっての晩御飯に刑事さんたちをお招きしたから、よろしくね。マロニエ仕込みの腕を奮ってね」
と言うと、樫山小恵は承知しました、と答え、初めて俺と森北に笑顔を向けた。刑事にではなく、主人の客に対する笑顔だった。
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