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「話を戻しますが」俺は言った。「それで最終的に捜査の比重は、マルガイの仕事関係に移ってますね」
「ああ。家族関係が単純で、すぐに掘っても何もないとわかった。親父にとっちゃ跡目を譲ったばかりの大事な一人息子だし、母親にも動機なんかねぇ。相続を争う兄弟姉妹もいねぇし、かみさんとの仲もまあまあ円満。ガキはまだオムツが取れたばかり。となりゃ、残りは仕事しかねぇだろう」
「まず、名古屋出張を切り上げた件が引っかかったんですね?」
「そうだ。そういうことは滅多にないって話だったからな」
「確か、有能な秘書がいたって話ですが」
「秘書? ……いたかな、そんなの」
捜査資料を熱心に熟読している森北が、すかさず言った。「ニチボウ秘書室の三ツ木裕子です」
そこで再び、大榎は森北を見た。ゲジゲジ眉の下の眼が、暫くじろじろと観察している。森北は毅然として表情を変えなかった。そういう風に見られることに慣れているようだった。
「ああ、あれか。マルガイの愛人じゃないかって大分突っついた女だな」
「一緒に名古屋に行ってますよね?」森北が確かめると、
「忘れたな」
素っ気なく大榎は言って、俺に視線を移した。
「さっきお前も言っていたように、マルガイが社長の椅子に座ったのは若干二十八の時だった。あれだけでかい会社でそんな若造が社長になって、誰も文句を言わなかった。なぜだ?」
「それだけ、定太郎の父親の権力が強かったからですか」
「そうだ。ニチボウって会社は完全なワンマン経営だった。あそこはな、いわゆる政商なんだよ。政治家とつるんで儲けてきた。そんなことが出来るのももともとマルガイの爺さんが岸信介の右腕で、上泉家が代々与党の重鎮にコネクションを持っていたからだ。その人脈は息子に継がれ、それから孫の定太郎に継がれていった。それがなくなりゃニチボウと言えども土台が揺らぐ。役員連中もそれを知り尽くしているから、若造社長も受け入れざるを得なかった。だがな」大榎はまだ充分残っている高そうな煙草を、無造作に灰皿に押し付けた。「そんな歪な人事で、誰も不満がないはずねぇだろう」
「なるほど、役員の中に不満分子がいて、マルガイを片付けたと」
「女房は深窓の令嬢上がりで、ビジネスなんかからっきしだ。子ども二人はまだ小学校にも上がってねぇ。実際、定太郎が死んで、女房は形ばかりの役員として残ったが、社長には副社長の瀬下が昇格したんだ」
「瀬下ですか。となると、そいつが有力な容疑者ですね」
「おう。俺はこいつで決まりだと思った」
「だが、アリバイがあった?」
「ふん。どうせ自分じゃ手は下さねぇ。アリバイがあるのは予想してたさ。人を雇ってやらせたと踏んだんだが、いくら叩いても埃が出ねぇ」
「ですが、社長の椅子を争ったとすると」性懲りもなく森北が異議を唱えた。「マルガイの舌が切り取られていたのはなぜしょうか? むしろ怨恨が動機にも思え……」
再び、大榎がドンとデスクを叩いた。
「うるせぇっ! 小娘はすっこんでろ!」
「小娘ではなく、森北です」
そう言ったのは、森北秋紀……ではなく、なんと、俺だった。
大榎は驚いたように俺を見た。森北も意外そうに俺を見た。
俺も、我ながら意外だった。
自分がフェミニストだとはとても思えないが、こうまであからさまに男尊女卑されるとむかっ腹が立ってくる程度には女の味方であるらしい。
俺はゲジゲジ眉がびくびくと痙攣するのを、あ~あ、と思いながら眺めていた。
「帰れっ!」
大榎の唾が飛んだ。
俺はため息をついた。
とうとうコーヒーは出て来なかったし、あの美人秘書の顔も拝めなかった。
いや、そもそもずっと立ったままで、椅子を勧められもしなかったのだ。
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