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這々の体で東亜警備保障株式会社を後にした。
クルマが地下駐車場から表通りに出ると、雨がフロントウィンドウを叩く。今日は一日止まないようだ。
森北には既に、次の目的地を言ってある。上泉家を管轄区域内に持つ、田園調布警察署だ。当時ここに、大榎管理官の指揮する、帳場(捜査本部)が立ったのである。
赤信号に捕まった。街を歪める雨の水滴を、ワイパーが左右に揺れて追い払う。
「あの……さっきは……」ハンドルを握る森北がためらいがちに言いかけた。
その口が、ありがとうございました、と動きそうだったので、俺は慌てて遮った。男尊女卑のゲジゲジ眉から庇った礼など言われると照れてしまう。
「ああ、さっきな。俺も驚いたぜ。まさかマルガイと唐久保大臣が大学同窓とはな。お前だって知らなかったろ?」
「え……ええ、それは」
「しかし、これではっきりした。一年も申請がなかったのに、突然上泉慎が申請してきたのは、絶対唐久保が動いたんだぜ。自分の友だちが殺された事件が、ちょうどよく十五年経つのに気がついたんだ。とにかく申請がないと遺族捜査法なんてムダだってことになっちまうからな」
信号が青に変わった。森北はアクセルを踏み、運転に専念した。俺はほっとして、ネクタイを緩めた。
田園調布署には形式上にせよ、未だに専従捜査班が置かれ、二名の刑事が『田園調布商社社長殺人事件』を担当していることになっている。もちろん、異動によって人員は入れ替わる。いま担当の二人も、事件発生当時の人間ではないだろう。あまり参考になる話は聞けないとは思うが、一応挨拶はしておいた方がいい。組織というのはそういうものだ。
警察署前の駐車スペースにクルマを入れ、傘は差さずに小走りで玄関に駆け込んだ。あらかじめアポを取っておいたので、受付で来意を告げるとすぐ刑事部屋に通された。隅の応接で待っていたのは、型通り古株と若手のコンビ。すると、若い方が、「あれ?」と驚きの声を上げた。
森北も「あ!」とやはり驚いた声を出す。
「知り合いか?」
俺が訊くと、頷いた。「警察学校の同期なんです」
「田園調布署、橘です!」
確かに森北と同年輩に見える若いのが元気よく言うと、古株もうっそりと頭を下げた。「新堂です。よろしく」
新堂刑事は俺よりずっと年上。定年手前だろう。俺と森北も名乗って、向かい合って腰を下ろした。
「ご承知の通り、例の遺族捜査で……」俺が口火を切ると、
「ご苦労様です。ベビーシッターですね」と新堂がうっすら笑った。もうこの隠語が広まっている。刑事だってSNSぐらい使うご時世とはいえ、つまらないネタほど拡散が早い。
「実はわたしも、遺族捜査が始まるってんで、専従に戻されたばっかりなんですよ」
「え、戻されたって言うと……」
「ええ、十五年前、ちょうどいまの剣崎警部と同じくらいの年に、わたし、帳場にいたんです」
「あ、そうでしたか!」挨拶だけと思っていたが、都合よく当時の話が聞けるという訳だ。上もなかなか手回しがいい。法務大臣肝煎り案件ともなると、気の配り方が違う。
「その後、他の署を回って、去年、後五年で定年という時にまた田園調布に戻って来ましてね。もっともその時は例の事件が遺族捜査になるとは夢にも思ってなかったし、専従じゃなく、普通に一課に来たんですが、先週ですよ、いきなり署長に呼ばれまして」
「なるほど」大臣以下、総監、副総監、刑事部長、一課長のお歴々に呼びつけられるよりいいでしょう、と冗談を言いかけて止めた。「昔のことを知っている人間を入れようって訳ですね」
「そうは言ってもこっちはノンキャリの一介の兵隊ですよ。捜査の全体像を知るなら、資料に当たるか管理官に聞けばいいことなんだが」
「管理官にはたったいま会って来たところです」
「あ、そうですか。まあ、橘も、そちらの森北さんと同期ってことは、事件当時、中学生でしょう。何も知ってるはずないんで、こいつ一人じゃ心もとないってのもわかりますけどねぇ。ちなみに、剣崎さんは当時、どちらに?」
「新宿署ですよ。毎晩歌舞伎町でヤクザやチャイニーズ・マフィアと追っかけっこでした」
「そうですか。ま、いまさら昔の、それも失敗した捜査の話じゃ役に立たんでしょうが、こういうのも縁ですからね。ひとつよろしくお願いします」
「いや、こちらこそ」
それにしても、俺が新宿のドブみたいな闇の底を這いずり回っていた頃、まだ女子中学生だったのかと、改めて森北の横顔を盗み見ると、何となくため息が出た。こういう時、人間は年を取ったと思い知らされる。
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