被害者遺族捜査権 第1部

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 玄関は大きな木の扉で、中央に獅子を象ったノッカーがある。だがそれを叩くまでもなく、さっと扉は開いた。制服のメイドか、タキシードの執事が出て来るのかと思ったが、案に相違して現れた人物は、ふわりとした白いサマー・カーディガンを羽織り、鮮やかなインディゴ・ブルーのジーンズ、長く額に垂らした髪は赤く染められていて、耳元にピアスが光っている。一瞬性別がわからないが、声は確かに男のものだった。 「いらっしゃぁい! お待ちしてましたぁ!」  こいつが申請書類を出した本人だとすれば十八歳のはずだが、それよりずっと幼く見える。こっちが四十過ぎのおっさんになったからではない。その甘ったれた口調のせいだ。 「警視庁の剣崎です」俺は型通りバッジを示した。「こっちは森北。本件を担当しますので、よろしく」 「わあ、本物の刑事さんだ! よろしくお願いしまぁす! ぼく、上泉慎です」  やはりこいつがこの家の次男坊か……と思う暇もなく、実に自然な動作で手を出されたものだから、釣られてつい握ってしまった。アメリカ人かよ、と思いながら、二、三度シェイクする。次いで森北の手を握ると、 「いやあ、こんな美人の刑事さんがいるなんて! 映画やドラマだけのことかと思ってたぁ!」  臆面もなくおべんちゃらをぶち撒ける。森北の方は満更でもないのか、頬を赤くして、いえ、そんな、などと口籠っている。これはこれで、後でからかうネタが出来たからいいとして、そういつまでもこの炎天下に握手大会などしていられない。 「申請を出されたのは、あなたですね」  俺が本題を切り出すと、上泉慎は森北の手を離し、 「そうなんですぅ! 母と兄も、もちろん同意はしてるんですけど、言い出したのは、ぼく! あ、立ち話も何ですから、どうぞお入りください」  やっと気がついたか。既に汗だくだった俺はほっとした。今日の暑さは尋常ではない。  玄関を入ると、いきなり涼風が迎えてくれた。確かにこれなら、カーディガンを羽織りたくなるだろう。  無産階級の家のリビングほどもある玄関ホールを抜け、奥の、さらにだだっ広い部屋に通された。応接間らしい。あちこちに骨董品然とした壺やら、泰西名画然とした絵画やらがさり気なく散りばめられている。ただし、公平に言って品はいい。成金趣味のこれ見よがしな嫌味はまったくなかった。  勧められてソファに腰を下ろすと、柔らかいスプリングが受け止める。今度こそメイドが出て来るかと思ったが、上泉慎自身が、お飲み物は?と訊いてきた。俺が答えるより先に森北が、お構いなく、と断ってしまう。育ちのいい坊ちゃんは、言葉の裏を読もうとはせず、あ、そうですか、と素直に言って向かいの椅子に座ってしまった。  改めて今度は名刺をテーブルに出す。二枚の名刺を珍しそうに手に取った上泉慎は、顔を綻ばせた。 「へぇ、警視庁捜査一課! かっこいいですねぇ。警部、剣崎オサムさん。そして、巡査部長、森北秋紀さん!」  いちいち、読み上げなくてもいい、と内心で毒づきながら、未練がましく視線をさまよわせると、一隅にホーム・バーがある。勤務中だから冷えたビールとまでは言わないものの、アイスコーヒーぐらい飲ませてもらっても問題なかったのに。  ただでさえなかったやる気をいよいよ削がれて、俺は森北に顎をしゃくった。喉が渇いていて、喋る気がしない。  森北はブリーフケースから書類を取り出すと、テーブルに置いた。  表題に、『被害者遺族捜査権申請書』とある。 「お電話でも連絡が行っているかと思いますが、上泉さんの申請が通りました」  森北が言うと、上泉慎はうんうんと頷いた。 「事件が起きたのが一九九×年八月三日ですから、本日をもって十五年が経過しました。よって、被害者遺族捜査権法に基づき、希望する被害者遺族に捜査権が付与されます。期限は三年、もしくは犯人が逮捕されるまでです。この期間、当該事件に関する限り、警察官同等の捜査権・逮捕権が認められます」  上泉慎はさらにうんうんと頷きながら、森北の顔を嬉しそうに見ている。  森北はその視線を努めて無視し、書類の横に三枚のカードを並べた。『被害者遺族捜査権付与証』である。顔写真と姓名、有効期限としていまからちょうど三年後の日付。 「わぁ、こんなの貰えるんだぁ!」  クリスマス・プレゼントをもらった子どものように、上泉慎の表情が明るくなった。こいつは未だにサンタさんへのメッセージを靴下に入れて、枕元に吊るしておくんじゃないか。  三枚の内、一枚は上泉千津子名義。慎の母親である。もう一枚は上泉圭名義。慎の兄である。そして上泉慎、つまり自分名義のカードを手に取って、ためつすがめつ眺める彼に、俺は言った。 「ところで上泉さん、一応確認なんですがね」  慎はカードから顔を上げて俺を見た。まだ口角が上がっている。 「あなた、本気でやる気ですか?」  上泉慎は、そこでふっと笑顔を消した。そしてまっすぐ俺を見た。 「もちろんです、剣崎警部。ぼく、父を殺した犯人を、捕まえたいんです!」
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