被害者遺族捜査権 第1部

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「あら、慎、こちらが?」  振り返ると、スーツを着た若い男と、中年の女が立っていた。中年と言っても俺と同年配のはずだが、スレンダーなボディーに淡い紫のワンピースを着て、濃い化粧の顔にはシワひとつない。骨董品や絵と同様、金がかかっているんだろう。 「お母さん、お帰りなさい」上泉慎は微笑んだ。「そうです。こちらが警視庁の刑事さん!」  慎の母親は優雅な足取りで部屋に入って来た。スーツの若い男は入り口に立ったまま控えている。  立ち上がった俺の前に、すっと白くて細い指を持つ小さな手が差し出された。また握手か。もしかすると、この手に接吻を求めているのか。一瞬そう迷わせる雰囲気があったが、さすがに中世ヨーロッパの貴婦人でもあるまい。俺はビジネスライクに手を取って軽く握った。 「警視庁の剣崎です。こちらが同じく森北」 「上泉千津子です。よろしく」  千津子は森北とも握手して、息子の隣に腰を下ろした。  スーツの若い男は紹介されないまま、音もなく近寄って来ると、お飲み物でもお持ちしますか、と囁くように訊いた。今度は森北が断る前に、アイスコーヒーでもいただければ、と俺が言った。  男が去ると、俺は上泉母子のどちらにともなく尋ねた。「あの方は?」 「執事の樫山です」母親が答えた。「執事と申しましても、他に女中がいる訳でもありませんけど。もう大勢の使用人を抱える時代ではありませんでしょう? 代わりにお掃除とかの家事代行サービスが発達していますからね。それでそうした方たちの差配を含めて、いろいろとしてもらってるんですけどね。いまもちょっと買い物があって、クルマを出してもらったところなんです」 「樫山は祖父の代から住み込みでウチにいるんですよ。だからこの家で育ってるんです」慎が補足する。「あれでW大を出てますからね、就職する気になれば出来たはずなんだけど、執事がいいという本人の希望で」  見たところ樫山の年齢は二十代後半のようだ。その祖父の時代であれば、戦後間もなくから高度成長期にかけてだろう。確かにまだまだ女中がいたり、執事がいたとしても不思議はなかったのかも知れない。  それよりも重要なのは、彼もまた事件当時、この家にいたということだ。もっとも十歳を少し出たばかりの少年だったはずだが。 「そうすると、後この家にいらっしゃるのは、お兄さんの圭さんですね」森北が訊いた。 「兄さんは大学のサークルの合宿に行ってます。でも、あさってには帰るんで、またご紹介します」慎が言った。「父と同じK大なんです」 「そしてあなたは、来年T大に入るのよね? 今年はダメだったけど」千津子の声には皮肉が籠っている。 「ええ、もちろんです」 「せっかく幼稚園からK大の付属に入れたんだから、そのままエスカレーターで上がれるのに、わざわざT大を受験するなんて気が知れないわ」 「やだな、向上心があるんだからいいじゃないですか」 「でも、失敗して一浪してるじゃないの。今年もお父さんの捜査に時間を取られたら、勉強が疎かになるんじゃない?」 「勉強は勉強でちゃんとやります。樫山も手伝ってくれるし」  家庭教師までやらされている執事が、そこへタイミングよくアイスコーヒーを盆に並べて持って来た。テーブルにグラスを置いて、丁寧に一礼して下がって行く。執事とは言っても、さすがにタキシードに蝶ネクタイではなくごく普通のスーツを着ているが、それでも俺のとは生地も仕立ても大分質が違うようだ。 「それより見てよ、こういうのが貰えるんだよ」慎は子どもが新しいおもちゃを自慢するように、『被害者遺族捜査権付与証』を母親に渡した。彼女の名義の分である。 「まあ、わたしにも?」 「そうだよ。だって、三人で捜査に参加するってことで申請したんだもん。お母さんだって署名捺印したでしょ? 忘れちゃった?」 「あなたが代表で、わたしと圭は承認するだけかと思ってたわ」 「そりゃ実質的にはそうなるでしょう。兄さんはサークルの合宿が終わったら、次はゼミの合宿だし、捜査が長引いたら大学も始まっちゃう。お母さんも何かと忙しいし、ぼくが一番自由が利くんだから」 「そうかしら、受験生が一番暇だなんておかしくない?」 「だから勉強はちゃんとやるって言ったじゃない。その話はこれでお終い」  ぴしゃりと言って、慎は俺と森北を見た。 「それと、後もう一人、ウチにはいるんです」
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