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その死者は、生まれたてであった。
死にたてだった、と言うべきか。
とにかく、まだ息絶えて間もなかった。
邸宅の三階、船室を模した小さな部屋の、堅い、つくりつけの寝台に横たわって、絞殺された苦悶に表情を歪ませてはいるものの、不思議に安らかな、俗に「眠るよう」と言われる、あの静けさに満ちていた。
苦しさに暴れて乱れた衣服が、きちんと整えられていたせいだろうか。
訪れた死を、死者自身が待ち焦がれていたせいだろうか。
傍らの机にある電気スタンドが、その日焼けした彫りの深い顔を丸く照らし出している。
ドン、ドン、ドン!
激しいノックの音がした。
「あなた! そこにいるの? あなた!」
妻の呼ぶ声がする。
反射的に死者は、「ああ、ここにいるよ、千津子」と答えるために舌を動かそうとしたが、彼を死に至らしめた者の手によって、舌は、その先端が切り取られており、すっかり乾いた大量の血がごわごわとこびりついて微動だにしない。
いや、舌だけでなく、命そのものが、もうなかったのだが。
がちゃがちゃ、と音がする。
きっと執事の樫村が鍵を取ってきて、開けようとしているのだ。
冷静沈着なあの男もさすがに焦っているのか、なかなか鍵穴に差し込めないらしい。
だが、もう時間の問題だ。
生前、上泉定太郎という名を持ち、巨大商社ニチボウの若き社長であった死者は、発見される。
妻・千津子と、二人の幼い息子・圭と慎は、遺族となる。
警察の手が入り、この部屋も指紋検出の粉にまみれる。
しかし、捜査は、嵐の夜の小舟にも似て、不可解な謎という大波に行く手を阻まれ、まさしく難航するだろう。
それでいい、と死者は思う。解決は決して望まない、と。
そして、その望み通り、事件は未解決のまま、十五年が経った……
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