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「資料は廊下に出してしまって構わない。客用の布団を持って来よう、荷物は好きなところに置いて」
トランクを置いたいとは興味深そうに大きな本棚を眺めている。自作の画集や絵を描くための資料、主に風景写真や芸術文化について。潤一郎の描く絵は人物画よりも風景画が多かったため資料はすぐに溢れてしまう。そんな中、雲雀は潤一郎の描く人物画にこだわった。自分で描いたほうが好き勝手出来て楽しいのではないのだろうか、雲雀の方が潤一郎よりも圧倒的に才能も画力においても勝っていると言うのだから。
潤一郎の部屋の押入れから使っていない布団を持って来れば、いとが一冊の画集を夢中になってめくっていた。
「そんな画集、楽しいかい?」
「え、あっ……失礼しました、勝手に」
「いや、そう言う意味じゃなくて」
それは初めて潤一郎の出した画集だ。新人のものとしては部数は出たが、大ヒットとまではいかなかった。過去の作品は納得の行くものがない、けれどこうして形になってしまえば嫌でも何かとそれを目にすることになってしまう。
「この画集、雲雀先生のもとで見せていただきました……好きなんです、先生の描く絵が」
「古い絵だよ、画力も劣る」
「そんな、素敵ですよ。私は好きです」
その時初めていとは笑った。美しい陶器のような肌に大きな目が細く瞬き、長いまつげが揺れている。自分の絵を見てこうして表情をかえるものを間近で見たとき、潤一郎の心の何かが震えた。いとのそれは雲雀のような悪ふざけではなく……。
「先生?」
「いや、なんでもない……その……」
潤一郎がどうしても言えなかった言葉、ありがとう。
そしてゆっくりと三人の運命は動き始めた。
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