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潤一郎の出かけた家ではいとが一人本棚をのぞいていた。携帯電話も持っておらず、友達すらいない。勝手に触って悪かったと思いつつも潤一郎の本棚から彼の手がけた画集を数冊取り出して熱心に見ている。雲雀の家にはなかった本が一冊、それにはまるで食い入るように。美しく儚いその画風にいとは強く心惹かれ、ページをめくってはため息をつく。水無月静潤こと皆月潤一郎、想像とは違った人だった。一人でいることを好んでさっさと追い出されてしまうかと思っていたが、彼は文句の一つも言わずいとのために朝食を作っておやつにとおにぎりを二つおいていってくれた。潤一郎の作ったおにぎりは彼の手指が長いせいか大きくて、いとは少し笑いながら残さないように食べ終える。もっと話をしてみたい、雲雀のように聞いていないことも流れるように話して止まらない、そんな人ではなさそうだった。静かな家で生の芸術に触れるとはなんて贅沢なことか。そう言えば祖父との暮らしも静かだった……、なんてそんなことをも思い出した。
幼い頃両親が離婚して、親権をもった父は無責任に祖父にいとを預けて何処かに行ってしまった。実の母の顔も知らない、連絡先も……。学校に行けば行ったでその容姿を女のようだとからかわれて、小学校高学年からはもうずっと不登校で過ごした。祖父は黙ってそんないとに古本屋で買って来た文学小説を与える。わからない漢字は辞書で調べるように、そう言って幼い頃から小難しい純文学を読み、どうにか漢字だけは理解出来るようになった。祖父が亡くなったのは今年の一月、持病が悪化してあっという間に別れはやって来た。誰にも連絡がつかないまま、ようやく遠縁と言う男性に連絡をして一通りのことは済んだものの、その男性は『うちに金銭的余裕はないから……』とだけ言って帰宅していとは一人になった。祖父の貯金通帳には数万円、そのお金を引き出していとは単身上京する決意をする。東京に行けば仕事くらいあるだろう。暮らしていた九州の田舎街は静かで良かったけれど、中学もまともに通っていないいとは噂の中心でこの街では外れものと言っても良い。いとは幼くも孤独だった。
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