三章 5

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三章 5

 ドアを開けると、重いハートビートがぶつかって来た。  聞いたことのない音楽だった。日本語ではないが、英語でもない。消臭剤とアルコール、煙草の匂いが鼻腔をくすぐる。店内は明るく、グレーと黒、白の三色で統一されていた。入口から奥に向かって長いカウンターが走っていて、四人の男女がいた。  カウンターの内側に金髪の男が立っていて、前に座っている女と身を屈めるようにして話している。そこから少し離れた席で、緑色のでかいヘッドホンをつけた女がグラスを傾けながら分厚い文庫本を読んでいた。一番奥に赤いどてらを着た坊主頭の痩せた男がいた。男は狷介な目つきで僕を見たが、すぐに目を逸らした。どてらの男以外、誰も僕を見ようとしなかった。  金髪を仔細に観察した。間違いない。髪の色こそ変わっているが、そこに立っているのは浩次だった。  浩次がサパー「びすとる」で働いていることを教えてくれたのは、喫茶店のマスターだった。  昼食も取らずに動き回って雑居ビルから遠ざかり、唐戸市場のそばにある喫茶店に入ったのは、もう夕方だった。缶ジュースのプルタブも開けられないくらい疲労していた。コーヒーで喉の渇きを潤し、代金を支払いながら質問すると、熊みたいな風体のマスターが浩次がどこにいるのか教えてくれた。幸運だった。が、もしも雑居ビルではなく、最初から喫茶店に入っていたら、もっとスムーズに情報にありつけていたはずだ。もしもという言葉は、性質が悪い。世界で最初にもしもを考えたのは、きっと物凄く性格の悪いやつだったのだろう。そう考える、僕の性格が悪いのかもしれないが。  僕が二人の女の中間に座ると、目に見えて空気が動いた。まるで炬燵で鍋を囲み、仲むつまじく食事していた席に、僕が強引に割りこんだかのようだった。彼らは談笑していたわけではない。浩次は女の話に耳を傾けていたし、ヘッドホンの女は音楽を聞きながら目で活字を追っていた。赤いどてらの男は煙草を吸っていただけだ。それでも彼らは、一言も口を聞かずに繋がっていた。浩次の前にいる女は、テレビみたいなものだ。邪魔にならないから点けっぱなしになっていたのだろう。  浩次に向かって言った。 「彼女営業は大変かい、佐藤浩次くん」  効果は覿面だった。派手なセーターを着た女が、僕を素早く見た。 「彼女営業って、何のこと」 「彼女だと思いこませて、時間があまりなくて忙しいから、すまないけど店に来てくれないか、店だったら少しでも話せるからとかなんとか言って、営業することだ」  僕の声は、良く通った。浩次が顔を向けた。薄暗い照明に目が濡れたように光っていた。その目が細くなる。 「何の話だ。意味分からねえよ」  僕は黒川と菜穂子がどうして順番が違う、手順が違うといったのか、ようやく理解できた。 「あたし、タカの彼女よ」  セーターの女が顔を引きつらせた。両手を強く握っていた。 「そいつはタカなんて名前じゃない。佐藤浩次だ」  八つ当たり気味に僕は言った。時刻は午後八時を少し回ったくらいだ。帰る気になれば、今日中に東広島につく。 「あんた、言われただろう。店で他の女と話してても、あれは営業なんだって。僕の彼女はお前だけだよって。だから我慢して、自分についてくれなくても長い時間店にいたりしたんだろう?」 「だけどタカはお金はいいからって」 「そう言われると悪い気がして、結局払ってるだろ? 売上げ厳しいとか言われて、ついつい払ってるだろう。最初は遠慮してたタカくんも、最近はもっと店に来てくれよって言ってないか? だからちょっとでも話したくて、客の少ないこんな時間から店に来てるんだろう? 全部、営業なんだ。そういうのを彼女営業って言うんだよ」  女は浩次を見つめた。甘いといっていい笑みを浩次は浮かべたが、何も言わなかった。女が立ち上がって出て行った。浩次が移動し、カウンター越しに僕を睨んだ。 「どういうつもりなのか、教えてもらおうか」 「樹里を探してる」 「知らないな、そんな女」 「西高屋に住んでる吉川樹里だ。覚えているはずだ」 「お前は何も分かってねえなあ。今質問する立場なのは、お前じゃなくて、俺なんだよ。あの女のフォローするのは僕なんだ。分かってるか?」 「山下と、朱実から話を聞いてきた。お前が樹里とつきあってたのは確認している」 「知らないって言ってるだろう。誰なんだ、てめえはよ」  浩次が胸倉を掴んできた。ゆっくりと立ち上がった。目を合わせる。 「なんで水商売してるんだ」 「――なんだと」 「山下には、水商売はしないと言ってたらしいじゃないか。どうして一年で趣旨変えした?」 「てめえにゃ関係ねえ」  浩次が押し殺した声で低くつぶやいた時、突然奥に座っていたどてらの男が立ち上がった。 「あんた、住田一平だろう」  男が近づいて来る。赤いどてらの下にはボタンダウンのシャツを着て、ゆったりした黒のパンツ、高価そうなローファーを履いている。くっきりした三白眼に知り合いを見る親しみをたたえていたが、まるで覚えがなかった。どれほど記憶をまさぐっても、ちゃんとした服を着て、ジャケット代わりにどてらを羽織る男に覚えなどなかった。 「トーキさんの知り合いだったんですか?」  わずかに不服そうに浩次が言うと、男は鷹揚に頷いた。僕の隣に腰を下ろす。 「俺の名刺持って来い、浩次。本名のやつだ。それから住田に酒だ」  浩次は忌々しげに睨み、僕のタートルネックから手を離した。すぐにグラスが用意された。名刺には東貴一郎と書いてあったが、まるで見覚えのない名前だった。 「あんた、痩せたな」  懐かしむように東貴が笑った。目尻に細かい皺がよる。 「あんたを最後に見たのは、もう何年前になるんだ? 自分でも思い出せねえよ。それでも不思議と覚えてるもんだな」 「どこで僕を」 「中四国大会の会場だ」  東貴が言った。 「俺は、空手をやってたんだ。あんたが足をやったとき、同じ会場にいた」 「樹里ね。そんな女いたねって感じだけど」  東貴さんの知り合いならしょうがねえと独り言のようにつぶやくと、浩次は苦笑した。そうやっていると、悪そうな世慣れた雰囲気が薄れ、細い顎とすっきりした頬が強調され、かなり整った顔立ちであることが良く分かる。激しい怒りは鳴りをひそめ、すっかり気持ちを切り替えているようだ。  東貴は先に用事をすませろよと言って、また奥の席に戻っていた。壁にもたれるようにして、にやにやしながらこっちを見ている。  ヘッドホンの女は、僕と浩次が言い争っている間も、東貴が仲裁に入っても、ずっと無関心を決めこんだままだ。今すぐ大規模な地震がこの店を襲っても、涼しい顔で本を読んでいるだろう。 「覚えてるよ、樹里のことなら」  浩次が言った。 「結構、いい女だったからな。おまんこ感じてますってモロ顔に出る女だったから、仕込み甲斐があったていうかさ。一時期はどうやって仕込むか、毎日考えてたし」 「山下から聞いたよ」  浩次は魔法使いじゃない。それが分かっているなら、もう店を出てもいい。そう考える一方で、東貴がセッティングしてくれた場を棒に振るのはもったいないとも思えた。浩次と樹里の過去を、他ならぬ浩次の口から聞くことは、何かに繋がるのかもしれない。 「朱実からも聞いたよ。最初はナンパだったそうだな」 「おいおい、なっつかしい名前出してくるね。ちょっと座るぜ」  よっこいしょと言いながら、浩次が腰を下ろした。女性客の耳元で偽りの言葉を囁いたり、ボトル一気したりするのに、立っているのは都合が良いものだ。大抵のサパーでは男性従業員は立って接客するもので、腰を下ろすのは限られた場合だけだ。東広島での過去について話をするというのは、浩次の中でそういう例外に値するのだろう。 「なんかさ、東貴さんが喜ぶの分かるな。たまになら懐かしい名前も悪くない。二人は元気なのか?」  二人の近況を伝え、山下からもらった写真を見せると、浩次ははしゃいだ。 「次から次へと、懐かしいもんを。そうそう、写真取ったな、そういや。山下も良く持ってたよな。あいつ、樹里に惚れてたからな」 「山下に樹里を抱かせたそうだな」 「抱かせたよ。山下が、やりたそうだったしな。山下の前にも、何人か抱かせてる」  何でもないことのように、浩次は頷いた。目は写真に向けられたままだ。 「どうしてそんなことを」 「俺と樹里じゃ、数が違ってて不公平だと思ってさ。まあ樹里は援交してたから、それなりに数はこなしてたけど、なんつうのかな、援交ってさ、相手の男は制服に金だしてるだけじゃん。だからそれは数に入らないっつうかさ。上手く言えないけど、数合わせみたいなもんだよ。俺ばっか色んな女と寝るのは不公平だし」 「どうやって樹里を説得したんだ」 「コツがあんだよ」  浩次が言って、目を上げた。 「てか、そんな話が役に立つのか」 「聞いてみないと分からない。聞いて役にたつこともあるし、そうじゃないこともある。どっちかというとそうじゃない場合のほうが多い。でも、聞かないわけにはいかない」 「探偵ってのは、博打だな」  そういうのは嫌いじゃないなと言って、浩次はアイスペールのそばに写真を置いた。両手をテーブルに投げ出し、口元をわざと歪めて、僕を見た。 「女ってのはさ、あれじゃん。お前のために抱かないんだってのに弱いじゃん。お前を大事にしたいからとか言うとさ、効果的なんだ。だから樹里とはなかなか最後まで行かなかった。有望そうだったから、きっちり仕込んでやろうと思ってね。ナンパだったのは知ってるんだよな。あいつから電話してきて、すぐに会ったけど入れなかったんだ。指だけ。四回いかせてやって、五回目に達する直前に指抜いてた。それを何度も繰り返した」  得意そうに、浩次は指を立て、二度三度と曲げた。 「五回か六回。その直前で指を抜くのがポイントだ。これが七回とか八回になると、女って理性飛んでるから、自分で触ったりするんだ。けど、その一歩手前だから辛うじて理性が残ってる。やっぱりこんなことお前にしちゃ駄目だとか言いながら俺が出て行っても、自分でしたりしない。スイッチ入っちゃってるけど、でも自分のために苦しんでるんだって思い込んじゃう頭は残ってるからな。まず、そういう状態にするわけ」 「まずってことは、次があるのか」 「当然だろう。料理でも調教でも、仕込みには時間がかかるんだ。で、だ。次はどうしても会う時間が取れないって電話するんだ。やっぱりお前に入れたいと思うんだけど、会えないって。事情があって、遠くにいるんだって」 「嘘なんだろう」 「嘘というか、会いたいけど会えないって設定にするんだ。そういうシチュエーションはただでさえ燃えるからね。そうやって雰囲気盛り上げて、今すぐしたいからテルエッチしようって持ちかける。大抵するよ。ぎりぎり寸止め続けてるし、相手は俺が本気なんだって思ってるしね。樹里もそうだったけど、会ってすぐにやる男は身体目当てって信じてる女は多い。世間的にもそういう評価だろう。だから、その裏をつけば、信じる価値があると錯覚させることができる」  浩次は僕の困惑を見ると、笑みを深めた。どこか得意そうな、挑発的な笑みだった。幼い子どもが大人たちに向かって陰部の名称を大声で喚き、得意がっているように見える。 「触り方もちゃんと教えてやったよ。どこでどう指を動かしたらいいかとかさ。浅く入れて、中で指曲げてみなとか、深く入れるときは手の平も押しつけると圧迫感が出るだろうとか、細かく指導してやると、気持よくてびっくりするんだ。自分の身体について発見と驚きがあると、エッチが楽しくなる。そこまで来たら、実際に会って、指と指じゃないものの違いを教えてやる」 「――――」 「たっぷり楽しませたら、今度は十回に一回だけしか満足させてやらないようにする。このときも、最初と同じだ。五回目に相手がいきそうになる直前で止める。今日は疲れてて射精できないつって、抜いちゃうんだ。これは他の女とやりまくってれば、自然とそうなるから簡単。最初に指入れてたときも、別の女で処理してるしな。そこまでやって仕込みは終わり。残るは最後の仕上げだ」  料理番組に出演するシェフのような口調だった。 「散々楽しませた挙句に欲求不満の状態に戻して、おもむろに、深刻そうな顔で打ち開けるんだ。実は俺は、他の男に抱かれた直後の女を抱くのが好きなんだって。そういうのが興奮するんだって。百パーセントじゃないけど、上手く行くよ。最初の男と寝た後に、たっぷり抱いてやってご褒美やると、もっと簡単に他の男と寝るようになる」 「実際に樹里はそうした」 「そういうこと」 「本当は、拒否して欲しかったんじゃないか」  しばらく浩次を見つめ、思いついて言った。 「本当は、そうやって手練手管を尽くしても、拒否する女が欲しいと思ってる?」 「そんなことは考えたことなかったな」  低い、さっきまでの高揚が嘘のような声で浩次がつぶやいた。困惑が瞳に表れている。首を傾げ、浩次が言った。 「でも、拒否する女なんていない。簡単に他の男と寝る。断るのは、プライドが高い女だけだ。それだって俺よりプライドが大事だから断るんだ。俺が大事だから断るわけじゃない。女なんて、そんなもんだろう?」 「簡単に違う相手と寝るのは女だけじゃない。なのに、確かめないといられないのか? 確かめれば確かめるほど、誰も信じられなくなりそうに思えるが」 「俺のはさ、病気なんだ。たぶんな」  浩次はちょっと笑った。自分を笑っているように見えた。 「それに、他の男に抱かれた女に興奮するっていうのも、嘘じゃない。そこまで俺のためにって思う気持ちもあるんだ。ヤッてきたばっかの女を抱いて、俺のほうがいいって言わせるのは最高だしな。飲めよ、探偵。さっきから全然飲んでないじゃないかよ」  浩次がグラスに、焼酎を乱暴に注いだ。飛沫が四人の写真を少しだけ濡らした。グラスの焼酎をあおり、質問を続けた。  酒の入った浩次は協力的で、聞かれたことに答え、必ず下ネタに結びつけた。  樹里の夢について聞くと、 「弁護士になりたいって言ってた。セクハラやパワハラをなくしたいんだとか言ってたな。男女差別には敏感で、高校の勉強しながらそっちについても勉強してたみたいだ。そういう女を身体で支配するのは楽しかったし、セックスに関しては完全に受け身だったな、樹里は。そういうのはやっぱ、関係するのかな。強い女を意識してる女ほど、ドMだったりするのって」 と答えたし、樹里の女友達について質問すると、 「いなかったね。いたとしても、会わせてくれなかったんかもしれないけど。俺さ、親友同士だって女を二人とも食っちゃうの、好きでね。結構これが簡単で、かたっぽ褒めて、かたっぽボロクソにけなせばいいんだ。寝た女を褒めて、友達けなしておく。後からけなした友達に優しくすると大抵成功するよ。優しくするときできるだけ自然にするのが、コツと言えばコツかな。飴と鞭って良く言うじゃん。どんな場合でも、女が二人いると飴と鞭を使いやすいんだ」 と笑いながら語った。  一日中土地勘のない場所で声を嗄らしながらローラーをかけてきた僕にとって、浩次から話を聞きだすのは嘘みたいに気楽な作業だった。時々相槌を打って笑い飛ばしていれば、勝手に進行してくれる。話題に困ったり、気詰まりな沈黙が落ちることはない。浩次は焼酎の緑茶割りをあざやかに作り、話題を止めることなく灰皿を変えた。 「樹里の家庭環境について覚えてるか?」  新しい灰皿を置いた浩次に質問した。 「母親のことは、あまり好きじゃなかったみたいだ。小学生のころは勉強できる自慢の娘だってお母さんに言われてたんだけどなって、ひとり言みたいにつぶやいてたことがあるかな。覚えてるのはそれくらいだ。なんとなく母親に逆らいたくて、援交してるように見えたよ。本人否定してたけど」 「父親は?」 「海外出張が多かったらしい。小さい頃からそうだったって言ってた。それで寂しかったって。ま、おかげで樹里を呼び出すのは簡単だったね」 「ありがちな話だ」 「テレビのコメンテーターなら、少女は寂しさから援助交際に走るのだと言うかもね。家庭の愛に飢えていたからとか何とか。だけど、俺に言わせりゃ、愛が欲しくて援交に走る女なんていないよ。もちろん、金が欲しいからでもない」 「何がそうさせるんだ?」 「誰かがやってるから、真似してるだけさ。ブランドのバックや流行の音楽や映画と同じだ。他の誰かと同じでいたいだけだ――孤独から逃れたくて誰かの真似をするんだ。本当はテレビのコメンテーターだって、知っていることだ。奴らの職業は、孤独を怖がる人々によって支えられているんだから」 「テレビはみんなのお友達か」  浩次の言う通りかもしれない。自分を理解してくれないという苛立ちや、思うようにならない歯がゆさを感じない人間はいない。必ず当たる占いの話を思い出した。あなたは人間関係で悩んでいますねと言えば、大抵の人間はそれに当てはまるのだという。 「さっき出てった女はソープ嬢なんだけどさ、毎日通ってくるんだ。毎日、毎日。俺が目当てだって言ってるけど、本当は単に人恋しいだけなんだと思う」 「商売の邪魔をして悪かったな」 「後でじっくり話すから問題ないさ。本物の色恋だったら面倒くさいけど、これは商売なんだ。アフターケアにも力入る」 「そういうもんかな」 「だって、俺はどっちみち女のトラブル抱えて生きていくんだと思うもん。今までもそうだったしな。どうせトラブルが続くなら、金に結びつくほうがなんぼかマシってもんだ」 「仕事は楽しいか」 「楽しいね。俺の天職はこれだと思う。二股って咎められるだろう。でもこの仕事なら、褒められる。色恋の営業は長続きしないけど、とにかく客を呼べるからな。自分が有能だと思える瞬間があるのはいいもんだよ。おまけに金もついて来る。男の価値はやっぱ稼ぎだよ。そこが女とは根本的に違う」 「女の価値は?」 「美しさ」 「そうかな」 「美容整形ってあるだろう。結構きれいな女でも、一度は本気で考えるらしい」  レディースコミックに、必ずその手の広告が載っていたのを思い出した。 「今は安くて手軽になってるから、やってみようと思うそうだ。男じゃあんまり考えないだろう、そういうことって。美しいことに女は重要な価値があると思っている。あるいは思いこまされている。どっちでも一緒だけど。美が重要だってことに関してはね。面白いのは、女の美容整形に対する感情を、ある有名人が――名前忘れちまったんだ――男ならちんぽが手術ででかくなるって言われたらやってみたいと思うはずで、それと一緒だって説明していることなんだ。でも、何て言うんだろう、誤解だよな」 「どういう意味だ」 「男はちんぽより、仕事を選ぶもんだよ。もし金で何かを変えることができるならな。女の頭には男が女とやりたがる動物だってインプットされてんじゃないかな。だからそんな誤解が生まれる」  エロ漫画雑誌での巨大なペニスは、性的能力の誇張表現だ。ペニスの巨大さを求めているわけではなく、能力を誇示できることを男は望んでいる、とも言える。  女が、自分自身が望み、あるいは周囲から期待されて美しさを求めるように、男は自分自身や社会に能力を問われるものだ。そして期待に応えようとする。 「仕事さえできれば、金と力が手に入る。他人が僕をすごいと思ってくれるし、僕も自分がすごいと思える。それって最高だと思うよ、やっぱ」  浩次はあきれるほど真っ直ぐな目をしていた。具体的な目標を設定し、どうすれば達成できるかだけを考えている目だ。前に進む目。樹里や朱実が惚れた目だった。  僕は浩次からそっと目を逸らし、グラスを空にした。頭の中心が氷のように冷えているのを感じた。
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