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「え? ……宇野?」 「うん」 「なんで? 番号なんておまえ、知らないだろ」  電話で聞く鷹城の声は、なかなか新鮮だった。 「鷹城の友達に教えてもらったんだ。心配してたよ。あとカツカレーの店教えてもらった」 「黒木?」 「わかんない、名前聞かなかったし……。背の高いやつ」 「それで……、な、何かあったかよ。電話してくるとか」 「いや、声が聴きたいなと思って……」 「な……」  電話の向こうで、鷹城はむせている。 「な……、なんだって?」 「声が聴きたいなって。ほら、こんなに会わないことって、なかったし……」 「そう、だな……」 「鷹城、なんで休んでんの? 顔……、やっぱり痣になった?」 「それは一週間で消えたけど……。ま、来週から行くけど。試験だしよ」 「風邪とか?」 「ん、いやまぁ……、そういうんじゃないけど」 「今さ、何してる?」 「家にいる。勉強してた」 「ちょっと……、会いに行っていい?」 「……は?」 「だめ? 話があってさ」 「なんだよ話って……。今言えばいいだろうが」 「直接、言いたいんだよ」 「…………じゃあ、コーラ買ってきて、でかいやつ」 「いいけど……。家知らないし、駅まで迎えに来て。もう改札出た。えっと……。右にバスロータリーがあって、その奥にスーパーがあって」 「はぁ? 思いっきり逆の出口だし……わかったよ、すぐ行くから待ってろよ」  電話が切れると俺はスマホを鞄にしまって、そのへんの柱に寄りかかった。  鷹城がちゃんと試験勉強をしているのは意外だった。やはり留年は困るってことなのだろうか。成績はどのくらいなんだろう。  あまり鷹城のことは知らないなと、思った。  知っていることといえば……、友達が多くて、学食ではカツカレーより親子丼が好き。左利き。  強引で自分勝手で、卑怯者で……。トイレの個室に男を連れ込むのが趣味。  痛いことはしない。乳首フェチで……、俺が射精するときにキスしていないと気が済まない。人がよがっているのを見て自慰するのが好き。または人に見られながら自慰するのが好き……。  タカシログループという家のことは、人づてに聞いた話だ。もちろんそのあと調べてみたが結構大きな会社だった。あの藤咲という画家と知り合いなのは、もしかすると家での繋がりなのかもしれない。  俺は鷹城に関して考えるうち、あるひとつの……仮定をしていた。  男をいたぶる趣味はなくて、けれど俺の尻穴を舐めたくて……、飯を奢ってくれる。一緒に居たがる。  急に来たのに、電話ひとつで駅まで迎えに来てくれる。  もしかすると鷹城が、俺のことを好きなのではないかと考え始めていた。  もちろん友達になりたいとかではなく、性的な行為をしたいという意味でだ。  そうすると、色んなことに納得がいく。しかしまだ確信ではなかった。 「おい宇野」  声の方向に目をやると、ちょうど鷹城が自転車から下りたところだった。鷹城の髪に寝ぐせがついているのを、初めて見た。 「そこのスーパー行くから」  そう言われ、一緒にバスロータリーを通り過ぎる。鷹城は自転車を置き場に停めた。  スーパーに入った。空調が効いており涼しかった。もう日中は、歩いているだけで汗をかいてしまう気温だ。  鷹城は大きいペットボトルのコーラと、アイス、牛乳を買っていた。  スーパーから家へ道のりでは、紹介されたカツカレー専門店の話をしていた。今度一緒に行こうという話になったが、俺は濁して終わらせた。  歩いて十分ほど経った頃、立派なマンションがあるなぁと思ったら、鷹城がそこに入っていくので驚いた。大学生が一人で住むような賃貸でないのは、見た目でわかる。  ロビーにソファセットがあったし、大きな鉢の観葉植物もいくつか。エレベーターで十階まで上がった。  玄関はオートロックだ。入って廊下を歩き、出たところはダイニングキッチン。その奥がリビングだった。十二畳……もっとかもしれない。右手奥にもう一部屋。たぶんそっちにベッドと机があるのだろう。  来てすぐにトイレを借りたが、ウォシュレット付き。もちろん浴室は別にあるようだった。  俺の部屋は1Kでユニットバスだったから、たぶんこの部屋の総面積の半分もない。  鷹城の部屋は、急に友達を呼んで問題ないくらいには片付いていた。きっと収納場所もたくさんあるのだろう。純粋に羨ましかった。おそらく……、バイトなんかやめちまえと言ったのも、金に困った経験がないから言える。  俺はダイニングの食卓椅子に腰掛けていた。鷹城は氷の入った麦茶を、目の前に置いてくれた。鷹城自身はコーラを注いでいた。 「で、話って……何?」  鷹城は落ち着かないのか、立ったままコーラを飲んでいる。 「実はお願いがあるんだけど……」  俺は少し緊張していた。たとえ嫌いな相手だったとしても、嘘を吐くのは、あまり気持ちいいものではない。 「男四人で、夏に旅行する予定で……。宿泊先の予約、俺が担当だったんだけど、すっかり忘れちゃってて……」 「へぇ……そりゃ」 「七月の末なんだけど、鷹城のツテでさ……どっかあいてるとこないかな?」  鷹城は思いきり眉を顰める。 「はぁ? あと半月しかねーし、そもそもシーズンど真ん中だぞ」 「温泉があるなら、どこでもいいから」 「無理だって。そのあたりなんて、キャンセル待ちがあるくらいで」  そう聞いて、俺は大げさに肩を落としてみせた。 「だよな。うん……、だめもとで聞いてみただけ。ありがとう」  そう言って椅子から立ち上がり、玄関へ向かった。 「え……? おい、もう帰るのか? アイス食ってけば、ガリガリ君の梨……好きだろ」 「俺も試験勉強したいし」 「だったら……こんなこと、電話で済む話だろうが」 「そうだけど……、鷹城がどうしてるかなって、思ってさ」 「ど……どうしてるかって……、勉強してるって言ったろ」 「俺も心配だったんだよ、鷹城のこと」 「そ…………」  鷹城はコーラ片手に、絶句していた。
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