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Chapter.4
チヤはしばらくアイデア出しの作業をしてから店をあとにした。
さっき起きた出来事は現実だったのか。夢にしてはリアルだな。でもたまにそういう夢、見るような……なんてフワフワと地に足がついていないような感覚で帰路につく。帰宅して、ようやっと現実と結びついて、顔全体が溶け出しているかのような笑顔になる。
会計をしているとき、雁ヶ谷に宿との関係性を聞こうとしたけど聞けなかった。雁ヶ谷に気を使わせるのも嫌だったし、宿が何者かを知っている、ということを知られるのも気まずいような。
もし次もまた遭遇できたらどうしよう。いや、どうもしないけど、と考えつつ、初めて宿の姿を認識したときのことを思い返していた。
作業用のBGVとして国営放送にチャンネルを合わせていた。流れていたのはお昼の情報バラエティ番組だった。
各地のトピックスやほほえましい動物と老人のふれあいエピソードが終わり、ゲストを迎えるトークコーナーが始まった。
『本日のゲストは、作家の新成宿さんです』
司会者やスタッフの拍手と共に
『よろしくお願いします』
フレームインして頭を下げたその人物に、チヤは一目惚れした。
あわててHDDデッキのリモコンを掴んで電源を入れ、録画ボタンを押す。
(やばい、超好み……!)
顔も、体形も、声も、話し口調もその内容も、全てが完璧に好ましい。
高校在学中に小説家としてデビューし、その後も数々のヒット作を生み出している宿のことを、チヤも名前くらいは知っていたが、どんな人物かまでは知る機会がなかった。
出演していたのは新刊の告知を兼ねたインタビュー形式のコーナーで、執筆中のエピソードや誕生秘話などが語られた。
時折見せる照れ笑いが、とても印象的だった。番組の終わりに、カメラに向かって出演者全員が手を振る中、宿も少し照れくさそうに微笑みながら手を振った。チヤも思わずテレビ画面に向かって手を振ってしまい、はたと気付いて苦笑した。
番組が終わると同時にすぐさまネット書店で新刊、既刊の全てを大人買いする。知っていたのは名前だけで、既刊のタイトルすらうろ覚えだった。
(きっとこの人の書く物語、好きだと思う)
そんな思い込みのような直感は、一作目を読了して確信に変わった。
(すごかった……!)
自分の語彙力のなさにため息すら出ないが、高校生が書いたとは思えない完成度に吐息が漏れる。
宿が一作目を書いた十七歳の頃、自分はのほほんと高校生活を送っていたなぁ~と苦笑したりもした。
絵を描くのが好きだったので絵ばかり描いていた。
美大を目指していたがそのハードルは高く、専門学校にシフトチェンジした。卒業後はデザイナー兼イラストレーターとしてデザイン会社に就職。十年勤めたところで退職し、フリーランスになった。
勤め人のときに繋がった人脈がクライアントになり、様々な依頼を受けてどうにかこうにかやっていけているので、人生すてたもんじゃないと思う。
イラストレーターとしての目標は逐次立てていたけれど、宿の小説に出会ってからの常時目標は【新成宿の小説の挿絵を担当する】になった。
いつかのそのときのためにと準備を始め、一月後には出版社へ持ち込みをしてポートフォリオを預けた。仕事のジャンルも苦手意識を捨てて、いままでなら尻込みしていたものでもなるべく請けるようにしたり、より幅広く活動できるように努力するようになった。
動機は不純だけど、不純で純粋な原動力は、目標を達成するのに絶大な効果を発揮する、とも思っている。
宿からの依頼はまだないが、預けたポートフォリオの効果で仕事の依頼が増えた。
宿の小説に出会えなかったらそんな行動すらしなかっただろうから、宿には勝手に感謝している。
いつか宿と仕事ができたら。そんな夢に近い目標を抱いて、コツコツと実績を積むことにした。
そこまでの道のりで得られるもの全てを吸収してから出会えたらもっと最高だ。できなかったとしても、自分の実力向上に繋がるのだから無駄はない。
生きていける分の収入が得られればそれでいいと思っていたけど、本来の目標からは少し逸れて高みを目指す道にも新しい発見があって、それも面白い。
出会ったおかげで人生が好転するような人にはなかなか巡り合えないのだから、望みが叶おうと叶うまいと、宿の小説を読み続けようと誓った。それは、いまチヤに出来る最高の恩返しだった。
そんな努力を重ねてきたチヤにとって、宿と偶然会えたのはなにかのご褒美だったように思えてならない。
ふと気になって立ち寄った喫茶店が宿の行きつけだなんて、なにかの物語が始まりそうじゃないか。
宿の小説に時折出て来た喫茶店に雰囲気が似ている、とは思っていたけど、【月に雁】をモデルにしていたのだろうか。
今日の遭遇から縁が繋がればいいな、などと考えつつ、チヤは今日の出来事を反芻しながら眠りについた。
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