第十一話 白日の下(1)

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第十一話 白日の下(1)

 禁断の都から戻ってきて数日。  メネスは王宮へ、太陽王のもとへと呼び出されていた。  「――そうか。異界の神の信奉者たちは、それほどの数が」  「はい」 王は玉座でため息をつき、しばし、考え込んでいた。  「…陛下。イウヌの老婦人…サァトレーのことは…」  「無論、覚えている。最初に娶った妻の一人だった。確かに実家に帰しはしたが、しかし、決して邪魔だったからではない。周囲に責められながら王宮にいるよりは、そのほうが幸せであろうと、判断した上でのことだ。」 その言葉には、噓偽りは無いだろう。けれどサァトレーはそれを不幸と思い、そこから立ち直ることが出来なかった。  動物にも、人間にも、不妊のものは一定数、生まれる。  不妊のみならず他の不具合をもって生まれてくる者もだ。  それは祈ってどうにかなるものではない――持って生まれる性質や見た目、能力は、神に祈るのではなく、己の努力によってか、気の持ち方次第で意味を変えてゆくしかない。恵まれて、全てを持って満たされて生まれる者など、そうそう居ないのだから。  「まだ、あの家に住み続けるつもりなのだな」  「はい。王宮――母のところには、やはり、居づらいので。」  「そうか。ならば、お前にはしばらく、家を離れる時は護衛を付けさせる。窮屈だろうが我慢するように。また、今回のようなことになっては困るからな」  「……分かりました」 受け入れるしかないのだ。  二度の誘拐騒ぎで、大勢に迷惑をかけたのは事実だった。  イブラーは両親に叱られ、村人たちからも白い目で見られて、村を出て来られなくなった。メネスのところで働くのはもう止めてくれと家族に懇願もされたらしい。  タシェリトは、あれからずっと神殿の中で解呪の療養に入っている。ようやく少し人の言葉に反応はするようになったというが、まだ感情が完全には戻っておらず、悪夢にうなされたり、夜中に突然泣き出したりすることがあるらしい。  カエムワセトは、分霊とはいえ勝手に神像を持ち出したことで、大神官から大目玉を食らって謹慎中だ。王が取り成してはくれたらしいが、今のところ謹慎が解ける気配はない。  そして、タドゥキパは――。  王のもとを辞した後、メネスは、母の住む邸宅を訪れた。あちこち怪我をして、疲労困憊しているタドゥキパの治療を頼んだのだ。  メネスがやって来たのを見て、寝台に寝ていた少女は、慌てて体を起こそうとする。  「いいよ、そのままで。まだ本調子じゃないんだろう」  「大丈夫ですわ、わたくしもう元気です!」 言葉だけは気丈でも、彼女の腕や頬にはまだ、痛々しい傷跡が残されている。それに疲れすぎて、戻ってきてから二日もぐっすり眠っていたのだ。  戦女神に憑依されて体の限界まで能力を引き出したあとの反動は、成長期の少女には大きすぎた。  「ごめんよ…女の子に、こんな怪我をさせて」  「構いませんわ。責任は取ってくださるんでしょ? お兄様」 いたずらっぽい笑顔で、タドゥキパは首をかしげてみせる。  「すぐに治して、お兄様の家に戻りますわ。だから、それまで待っててくださいね」  「…ああ」 だが、それはまだ先のことだ。キヤの話では、失った体力を元に戻すには、しばらくは安静にしている必要があるという。  全ては、自分のせいなのだ。  彼女だけではない、タシェリトやイブラーも、それにカエムワセトも、…身近な人々を巻き込んでしまった。  けれど後悔に意味がないことなど、とうに判っている。  先へ進むしかないのだ。異界の神、無数の光の腕を持つアテンの恐ろしさは、実際にその光に灼かれた自分はよく知っている。  一瞬で全てを奪い、全てを与える神。  生きる苦悩を理性とともに焼き尽くし、「幸福」と「救い」とを与える代わり、それ以外のものを消し去ってしまう。  (異界の神の信奉者。彼らが今、どこに潜んでいるかを突き止めないと。…アケトアテンに住んでいるわけでないことは判ってる。イウヌもメンネフェルも違うはずだ。…彼らの一人がネフェルティティと話をしていた。…あそこへ定期的に通える距離にあるのは、この都だけだ) 王宮を出ながら、メネスの頭の中ではここ数日、同じ疑問が繰り返されていた。   これから、どうするべきなのか。  (考えろ。なぜ彼らは私を殺さなかった? ネフェルティティと話していた内容は何だった? …アテンの信奉者は、あの亡霊の王妃とは、協力関係にあるようだった。死者である彼女が望み、生きた人間が成すこと。それは…)  王宮を出ると、王が差し向けたのだろう。待っていた護衛の兵士たちが無言に後ろについてくる。それほど目立たずに済んでいるのは、いつもより人の出が多いからだ。  「そういやぁ、そろそろ祭りの季節じゃねーか相棒?」 アメン神の大神殿の前を通り過ぎながら、ふいにヘジュが言った。思考を中断し、メネスは、顔を上げて大神殿のほうを見やった。  そう言えば、そうだ。年に一度、神の本邸である大神殿から、別宅である隣の神殿へ神像が運ばれる、天の大祭が間もなく行われる。  「もう、そんな季節か…。」 ヘジュと出会ったのも、ちょうど今くらいの季節だった。大祭の準備で神殿が大忙しだった時期。神殿には人の出入りが激しく、神官たちは自分の仕事で手一杯で、メネスが地下書庫に忍び込むのを誰も気に留めもしなかった。  今は、あの頃とは違う。  地下室の入り口には常に警備が立っているし、鍵も厳重にかけられ、隣の物置部屋との間には仕切りがつけられている。  (――ん? 待てよ、警備が…) 大神官が襲われた夜、警備はどこにいた?  大神殿の前で足を止め、メネスは、しばし、じっと壁を見あげていた。  「どうした、相棒」  「…大祭の時は、大神殿にいつもより警備が増やされる」  「ああ、そうだな。それが?」   「人が多い中で、臨時雇いの警備が増える…」 メネスは、呟きながら歩調を速めた。後ろに付き従う警護の兵たちも、置いて行かれないよう慌てて歩調を早める。  「カエムワセトに会わないと。そろそろ謹慎も解けてるかもしれない。もしダメでも、話くらいならさせてもらえるはずだ」 主神殿を通り過ぎ、裏手の月神の神殿の敷地内に入っていくと、大きな狒々を連れたよく目立つ人物の姿を見咎めた年配の神官が声をかけてくる。  「この先は立ち入り禁止です。面会はまかりなりません」  「話をするだけだ。カエムワセトはどこにいる?」  「申し上げることは出来ません。大神官様より、きつく言い渡されているのです」  「あーもう、邪魔すんなよ」 ヘジュがキイキイ声を上げながら、神官を威嚇する。  「お前ごときケツの青い神官に、わしの行く手が阻めると思うのかっ」  「ひ、ひい」 神官が怯えているところからして、この神官にはヘジュが何者か薄っすらとでも感じ取れているらしい。それならまだ、少しは見込みがある。  「少しだけだ。迷惑はかけないよ」 そう言い残して、メネスは、足早に神官たちの詰め所へと向かった。  カエムワセトの居場所は、ヘジュが気配を嗅ぎ取って探り当てている。詰め所の二階の奥の方、月神の神殿の前庭と裏門が見渡せる部屋だ。しかし、入り口には見張りがいて、勝手に侵入させてはくれそうにない。  仕方なく、ヘジュが窓に向かって小石を投げ込む。  二つほど投げ込んだところで、中からカエムワセトが顔を出した。  「…メネス?!」  「やあ」  「ふふん、まるで囚われのお姫様だな」 ヘジュがにやりと笑う。  「そっちこそ、護衛つきとは、まるで王子様みたいじゃないか」 応えてにやりとしながら、彼はちらと部屋の中に視線を向けた。  「…ちょっと待ってろ」 ごそごそと、何かを取り出す。驚いたことに、それは縄梯子だった。反省のために蟄居させられている者が部屋に持っておくものではない。  「こんなとこもあろうかと用意して隠しておいたんだ。早速、役に立ったな」  「毎度、その良く分からない準備の良さには驚くよ…。」  「丁度良かった。オレも、お前に話しておきたいことがあってな。」 カエムワセトは、器用にするすると縄を降りて来た。そしてメネスの後ろの兵士たちに、少し離れているようそれとなく手で合図してから、メネスの耳元に顔を近づけて囁いた。  「こないだ禁断の都へ行った時、異教の神の信奉者たちの中にアメン神の神官がいたぞ。」  「まさか」 驚いて、思わずメネスは僅かに体を引いた。だが、カエムワセトの表情は真剣そのものだ。  「間違いない。タドゥキパを跳ね飛ばした時に『不可侵の壁』が見えたんだ。あれは、がないと出現しない。戦女神はこの国の外からやってきた新参者で、上位神に危害は及ぼせないからな。――とはいえ、最高位の神に仕える高位神官以外に、あんなものは使えない」  「ということは、この大神殿の中に…?」 カエムワセトは無言に、小さく頷いた。  だが、それはまさしく、メネスが考えていたことそのものだった。  「…実は、今日ここへ来たのもそれを疑っていた。彼らの本拠地は、このウアセトの都のどこかにあると思う。そして、アメンヒルコプシェフの件からして、怪しいのはこの大神殿の敷地内のどこか」  「ああ。そっちは、オレが探っておく。お前やタシェリトがあんな目に遭わされて、大人しく謹慎食らって部屋に閉じ籠ってられるかよ。」  「…そういえば、タシェリトは?」  「だいぶ良くなってきてるよ、心配すんな」 カエムワセトは、ぽん、とメネスの肩に手を置く。「そっちもオレに任せてくれ。必ず元に戻す。…さ、そろそろ行けよ王子様。見つかると色々面倒だろ?」  「ああ…」 去りかける乳兄弟に、メネスは背中越しに声をかける。「祭りが始まる。準備のために外から入ってくる人間に気を付けろ!」  「おう、判ってる」 片手を上げてから、カエムワセトは縄梯子に足を掛けた。  窓からぶらさがっている縄は、遠くからでも丸見えだ。どう見ても気づいているはずの入り口の見張りたちは、わざわざ顔を背けて見ないふりをしてくれているようだ。  (…多分、大神官様も何か気づいてる) この「謹慎」が文字通りの意味ではないと、メネスは薄っすらと察した。  殺人事件、そして隠されていた不審な財宝。そして地下書庫の秘密を知る何者かによる襲撃。  立て続けに起きた事件からしても、神殿内に何か良からぬことを企む者が潜んでいることくらい、神殿の一切を取り仕切る責任者に分からないはずがない。だから大神官は、血の気の多い末の息子が先走って危険に突っ込まないよう、敢えて表向きは「謹慎」として、見張りと称する護衛を付けたのだ。  メネスは、カエムワセトが窓の奥へ姿を消すのを見届けてから裏口へ向かって歩き出した。  (そういえばあいつ、今日はいつものように、不必要に腕を組んできたり、首に手を回したりはしてこなかった…。) 人目もあったし、そんな場合では無かったのだが、――拍子抜けするとともに、何故だか、妙に寂しくもあった。  家へ戻ると、キヤが王宮から寄越してくれた下働きの女性が、家を掃除し、食事を用意してくれていた。タシェリトが来られないために、他に家事を任せる人を雇わざるを得なくなったのだ。  「お帰りなさいませ、殿下」 新しくやってきた下働きは、元は王宮で働いていたというだけあって身のこなしは優雅で、仕事もそつなくこなしてくれている。  「お言いつけ通り、お二階には上がっておりません。何か不備がございましたらお申しつけを」  「…ありがとう」 丁寧ではあるが、妙に居心地が悪い。今まではタシェリトが、家族のように接してくれるのが普通だったからだ。  ヘジュは、机の上に置いてあった焼かれたばかりのパンを一つ、ひょいとくすねて口にくわえながらメネスの後ろをついてくる。  「うん、美味いな。美味いが、わしはタシェリト嬢ちゃんのやつのほうが好きだのぉ」  「……。」 二階に上がると、窓から川に面した庭が見下ろせる。庭と川べりには、武装した兵士がそれとなく身を隠している。メネス本人につくだけでなく、家のほうにも常駐しているのだ。  自分のほうもカエムワセトと同じだな、とメネスは思った。先走って無茶にことをしないよう、足枷をはめられている。  けれど、何もせずにただ時を待っているわけにはいかない。  相手は既に、何かを始めようとしているのだから。  「ヘジュ、少し付き合ってくれないか。気になっていることがあるんだ。話しているうちに何か思いついたことがあれば言って欲しい」  「おう、いいぞ。知恵を貸してやろう」 天井からぶら下げた、いつもの居場所である網に乗ってしっぽをぶらぶらさせながら、狒々はくつろいだ格好でいる。  「禁断の都で王妃の亡霊に遭った。」  「ほう? 噂どおりの美女だったか」  「茶化すなよ。言いたいのはそこじゃない。亡霊の王妃と、生きた人間が会話していたんだ。話が聴こえたのは一瞬だったけど、彼女は、何かを探しているようだった」 庭に面した椅子に腰を下ろし、メネスは、数日前の夜のことを思い出しながら、記憶の中の断片を再構成していく。そして、ゆっくりと口にした。  「『我が愛しのお方の骸は、まだ見つからぬのかえ』。――確か、彼女はそう言った。どういう意味だ?」  「ふむ…愛しの…っつーと、そりゃあ、あれだろ? 異端王のことじゃないのか? アク…まぁ、名前は口にしちゃいけねぇアレだな」  「やっぱりそうか。そんな気はしていた…」 だとすると、彼女は、かつての伴侶であった王の遺骸を探していることになる。  「でもそれは、見つかるはずが無いんだ。大神殿の地下書庫にあった記録を読んだ。王が死んで都が放棄された後間もなく、異端王の遺骸は忌まわしいものとして破壊され、ばらばらに散らされた。」  「王妃は知らなかったんだろ。で、王妃に頼まれた人間――異界の神に仕える連中も。その記録を読む以外に知るすべはあんのか?」  「無い…だろうな。口伝されるようなものでもない。噂としては残っているにしても、それを信じなければ探し続けることに…あっ」 メネスは、思わず声を上げた。  「どうした?」  「そうか。だから、必要だったんだ。地下書庫だよ、大神官様が襲われた事件があっただろう? あの時、襲撃者が欲しかったのは、王の遺骸がどうなったかという情報だったのかもしれない」  「ふうむ。そうすると異界の神の信奉者が大神殿に潜んでいて、王妃と協力してたって話になるな。まぁ、辻褄は合う」  「アメンヒルコプシェフはどうして口封じをされたんだろう。」  「資金提供でもしてたんじゃねーか。もしくは、襲撃者の正体を知ってたか、だな」  「どちらも…かもしれない。確かなことは、襲撃は失敗し、異端王の遺体の場所は判らなかった、ということだ。」 メネスは言葉を切り、しばし、膝の上の拳を見つめたまま考え込んでいた。  やがて、彼は口を開いた。  「…ここからは私の推測だ。当たっていないことを願っているが、それ以外に無い。」  「何だよ、勿体ぶって」  「神殿に潜む異界の神の信奉者を手引きし、私を誘拐しようとした件には、大神官の息子のうちの一人…つまり、カムワセトの三人の兄たちの誰かが関わってる。アメンヒルコプシェフが殺された場所に入れるのは、大神官とその息子たちだけだった。そして今回、禁断の都で異界の神の信奉者たちは、本来は殺すはずだった私に止めを刺さずに手を引いた。…それは、カエムワセトがそこにいたからだと思う。彼らを率いているのがカエムワセトの兄の誰かなら、理由が分かるんだ。さすがに実の弟までは手にかけられなかったのか、弟の目の前でその乳兄弟を殺せなかったのか、どちらかだろう」  「兄心、…ってやつか? ふん、だとしたら、さすがにそこは踏みとどまったんだな」  「唯一の救いだよ。けど、これは…」 メネスは、両手で頭を抱えた。  「…カエムワセトも馬鹿じゃない。直接対峙したんだ。多分、気づいてる。くそっ、こんなのどうすれば」  「決まってんだろうが。黙って殺されてやるわけにはいかんのだろう? それに、相手はもう、一人殺しちまってる。引き返せんのはお互いに同じだろうが。で、どうなんだ。その三人の中で、見当はつきそうなのか」 網の上で腕を組みながら、ヘジュは、猛るような毛むくじゃらの顔を向けてくる。  「――分からない。ほとんど面識も無いんだ。三人とも、年は私たちとはかなり離れているし…。」 幼い頃ずっと大神殿で育っていたとはいえ、カエムワセトの兄たちは、その頃にはもう成人して、一人前の神官として忙しくしていたから、遊んでもらった記憶も無い。  次の大神官となる長男は既に二人の息子と娘がおり、長男はカエムワセトと同じくらいの年頃だったはずだ。  次男は異国への使節を務めたこともあり、長らく大神殿を離れがちな生活だったが、最近は都に戻ってきて大神殿で祭事を行っていると聞いたことがある。  そして三男は、あまり目立たない性格で、噂もほとんど聞いた覚えがなかった。  「んじゃ、そいつらの中の誰が怪しいのか、突き止めるところから、って話だな。」  「ああ」 メネスは小さく頷いた。  そう、結局は、そこにたどり着く。  だが、一体どうやって絞り込めばいいのか。大神官やカエムワセトには、もしかしたら既に疑わしい人物が思い浮かんでいるかもしれない。けれど、家族を疑わねばならない彼らとは違う視点からも確認しておいたほうがいい。  方法は――  「…確かめる方法は、一つだけだ」  「あん?」  「王の遺骸を探していたのなら、…そしてまだ見つけていないのなら。それらしきものが見つかったと知れば、どうする?」  「そりゃ食いつく…っておい、まさか」  「そのまさかだよ。」 メネスは椅子から立ちあがり、視線を、川の対岸へと向けた。西の岸辺には、王家の墓作り職人たちの住む、黒犬の村がある。
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