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第十一話 白日の下(3)
大神殿での、年に一度の祭りの日が近付いていた。
神殿は参拝の信者たちでごった返し、通りには、普段は出ていない庶民向けの屋台や供物の売る店が軒を連ねている。都の人出は最高潮に達し、近隣の村や町から訪れた人たちに加え、しばらく都を離れていた貴族や王族たちも戻ってきていて、華やかさと賑やかさが同時に盛り上がっている。祭りに使われる大きな船が飾り付けされて港に横付しており、それもまた人々の目を引いていた。
今日は、人間の代表である王が神殿で儀式を執り行う日だ。
この国の「主神」であるアメンの大神は、天の神として、太陽神として、信仰上は王家の血筋の「祖」という役割を担っている。父である神に挨拶し、力を分けてもらい、その血筋に連なる支配の正当性を確かめる。この儀式だけは、神殿の奥で行われる秘儀とは別に、民衆の前で行われる。
年に一度、太陽王その人の姿を拝める時とあって、遠方から来た人などは早い時間から特等席を取ろうと待ち構えている。
中庭に作られた儀式のための舞台の周りには、早くも人が留まり始め、神官たちが何とかして混雑を解消しようと汗だくになりながら走り回っていた。
何か起きるとしたらこの日しかないと、メネスは思っていた。
数日前、黒犬の村の村人が大神殿へ駆け込んで、谷の奥で奇妙な墓を発見したと報告している。王家のものかと思われる立派な入り口を持ち、入り口には欠けた異界の神の印の上から何重にも大神の名を記した封印が施されていた、と。
そして、禁断の都で作られていたような、独特の人形も落ちていた、と。
神官たちは大祭の準備のため忙しい。視察だけが送られ、そこに何かがあるのを確かめて、念入りに封印してから引き揚げていった。本格的な対処は、祭りが終わってからになるという。
もちろん、その墓自体は存在している。元からそこにあった古い墓を加工したものだが、仕事をしたのは、黒犬の村に住む本物の墓職人たちなのだ。
そして指揮したのは、禁断の都アケトアテンの構造をよく知っているメネスだ。偽物だなどと気付かれるわけもない。
あの時、ネフェルティティの亡霊と話していた誰か――裏切り者のアメンの神官がその報告を聞けば、祭りの賑わいに紛れ、必ずここへやって来る。
砂混じりの風が吹いている。夜明けの風だ。
地元に詳しい黒犬の村の村人たちの助けを借りて、崖の間に出来た岩の割れ目に隠れていたメネスは、交替で見張っていた村人たちの一人に揺り起こされた。
「殿下、起きて下さい。何か来ましたよ」
「…ん」
すぐに目を覚まし、メネスは、上着を羽織りながらそろりと谷底を見下ろした。
頭の上からすっぽりと亜麻布を被った人物が、数人の従者を引き連れて、辺りを警戒しながら足早にやって来るのが見える。日の出の光はまだ谷底には届いておらず、辺りは薄暗がりに包まれたままだ。
その人物は、偽の墓の作られている一画に真っすぐに近付いて、連れて来た従者たちに封印を壊すよう指示している。岩を削るような音が谷間にかすかに響いている。
ちょうどその時、反対側の崖の上で静かに狼煙が上がった。白い煙がゆらゆらと尾を引いて、夜明けの凪の中に真っすぐに立ち上る。穴を掘ることに夢中になっていた不審者たちは、まだ、それに気づいていない。
「そろそろだな」
と、傍らにいた狒々が呟く。
「ああ。行こう」
村では、ひそかに送り込まれた兵が合図を待っていた。
狼煙が上がった以上、すでに動き出しているだろう。兵の道案内は村人たちが引き受けてくれている。あとは、逃がさないようにするだけだ。
メネスは崖を滑り降りると、岩陰に身を隠しながら、用心して墓穴を覗き込む背の高い人物に近付いていった。従者たちに指示を出す声はどこか神経質で、少し甲高い。布の下から見えた腕の肘より上に、ちらりと、手の込んだ模様の金の腕輪が見えた。それに首飾りも。
「――誰だ!」
気配に気づいて勢いよく振り返った顔が、はっとしたように凍り付く。
「…貴様は」
同時にメネスも、相手が誰なのかに気づいていた。
「…ヒルウェネフ・アメンモセ」
大神官の次男。異国との橋渡しもしていた、優秀と評判の人物――。
「あんただったのか、異界の神の信徒たちを束ねていたのは…」
顔を見られたと気づいた男は、ぎりっと口を真一文字に結んだかと思うと、さっと、腰に提げていた鞘から剣を引き抜いた。
「おおいおい、神官が武器に訴えるのかぁ?」
と、ヘジュ。
「ほざけ下級神。貴様に何が分かる? 神の威光など、所詮はこの国の中でしか通用せぬものよ。異国では人間の腕の力だけがものをいうのだ」
「はん、神官のくせにわしの神話を知らんのか。わしは数少ない、異国を知る神ぞ。大昔には、クシュの国まで越えてはるか南方へ、太陽の娘を捕まえに行ったことがあるんだぞ」
「そんなものは伽噺だ。昔と今は違う! 異国人どもの中では大神殿にあるアメンの威光でさえも、か細い光でしかなかったわ。変わらぬ光こそ真理なり。全てを真なる神の御許に!」
剣を振りかざして向かってくる神官に、ヘジュは、体の毛を逆立てながら対抗する。
「異界の神に帰依しながら、元の神の加護も願うとは、欲張りな神官だな! それともまだ、立場を迷っているのか? どっちかはっきりしろ!」
「キイキイうるさいぞ! このっ…」
元よりヘジュには、人間を直接、傷つけることが許されていない。それに相手は、まだアメン神の神官という立場を完全には捨てていない。
大神同士ならともかくも、知恵の神の下位の眷属に過ぎないヘジュでは他の神のしもべをどうこうすることは出来ないのだ。
後ろでぽかんとしていた、墓穴掘りの道具を手にしていた従者たちも、ようやく自分たちの主人のしようとしていることを理解して加勢に回る。逃げ回る獅子を追いかけて、殴り倒そうとする。
と、その時、ようやく兵士たちが駆け付けてきた。谷の左右から、逃げ道を塞ぐように大挙してやってくる。先頭にいるのはカエムワセトだ。
「――はっ」
ヒルウェネフの動きが止まった。そしてようやく、頭上に、細い狼煙の上がっていることに気が付いた。
「まさか、一人で来るわけがないだろう?」
メネスは、静かに告げた。
「…くっ。せめて、王の遺骸を…」
「残念だが、この墓は私が作らせた偽物だ。ここに、異端王の墓はない」
墓に駆け込もうとしていた男の足が止まる。
「あんたが手に入れられなかった大神殿の地下書庫の記録には、王の亡骸を廃棄したことが記録されていた。探しているものはもう、何処にも無い。」
「……。」
がくりと膝をついた男の肩に、駆け寄って来た兵士たちが手を掛ける。槍を突き付けられ、お供のほうも両手を上げて無抵抗のしるしを取っている。
近付いてきたカエムワセトが、縛り上げられようとしている兄を冷ややかな視線で見下ろした。
「残念だよ、兄上。父上に最も期待されていたあんたが、裏切り者だったなんてな。」
「期待?」
男の顔に、奇妙に歪んだ。
「期待というのは、異国とのやりとりで大神殿の財を増やすことだろう。神官としてではない。父上は私を、最初から道具としてしか見ていなかったからな。父の座を、家を継ぐのは長男だ。私より劣っていようとも! 最初に生まれたというだけで! 父の”一番”は、いつもあの…あの男だった…!」
兵たちに乱暴に引っ立てられながら、ヒルウェネフは凄まじい目つきでメネスを睨んでいた。
「お前なら判るはずだ、五十番目の王子。先に生まれたというだけでふんぞりかえって上にいる連中…子を道具としか見ない親…!」
「いいや、判らない」
メネスは、真顔で首を振った。
「私の父上は…いつも真っすぐに私を見てくれたよ。ほとんど逢えなかったけど、私は、それで満足だったから」
「!」
「さあ、歩け! 来るんだ!」
縄をかけられた罪人たちが、兵に囲まれてて連れて行かれる。後には、やるせない表情で俯いたカエムワセトとメネス、それにヘジュと、彼ら自身を守るためにつけられた護衛たちが残されている。
「カエムワセト、…あの人は」
「優秀さを鼻にかけた、嫌味な兄だったよ。いつも長兄を馬鹿にして、何かと突っかかってた」
地面に叩きつけるように言ったあと、彼は、一つ小さくため息をついた。
「けど、オレには…優しかったんだ」
太陽が昇り、光が谷へと降りて来ようとしている。
やるべきことは終わった。ヒルウェネフが尋問されれば、全ては解明されるだろう。
「街へ戻らないと…。」
引き返そうと振り返った時、メネスはふと、偽の墓の入り口のあたりに、見覚えのない紙切れが一つ、落ちていることに気が付いた。何か文字が書かれている。
「何だ?」
視線の先にあるものに気づいたヘジュが拾い上げ、文字に目を走らせてから、ぎょっとした顔になる。
「お、おい。相棒! 神官! こ、これを…」
「ん、何だ。まだ何か…」
疲れたように紙に視線を落としたカエムワセトの表情が、凍り付く。
『手はずどおり、王は襲撃すること。』
『墓を確かめてから、例の場所で落ち合おう。』
「――襲撃? まさか、大神殿?!」
「くそ、こっちに気を取られ過ぎてた! 他の仲間か…」
「急いで戻らないと」
日が高く昇ろうとしている。
今日の儀式は、太陽の光が神殿の奥の至聖所に届く頃から始まる。ちょうど今頃は、王が民衆の前に立ち、神官たちの祝福の中で「神の子」としての姿を民衆に見せているはずだ。
一年に一度だけ訪れる、絶好の機会。
今が、まさにその時だ。
全力で街へ駆け戻ろうとする彼らの頭上で、全てを見知っている太陽は無言のままに輝いている。
そしてその時にはもう、事態は起きてしまったあとだったのだ。
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