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終章 人の選ぶ未来(さき)
数カ月ぶりに戻って来た都は、出発前と何も変わらず、大通りには人々が行き交っている。とうに祭りの終わった大神殿もいつも通りで、高位神官の一人が永遠に国外追放されたことなど、誰も知らないように見えた。
それとも、もしかしたら本当に知らされていないのかもしれない。大神官の次男は、元から異国に出向きがちで、ほとんど街に戻っては来なかったのだから。
王宮での報告を終えた後、メネスはようやく自由の身となった。
母のキヤのところに顔を出すと、タドゥキパが首を長くして待ち構えていた。
「お帰りなさい、お兄様! ようやくまた、一緒に暮らせますわね!」
少し背が伸び、ますます女性らしく美しくなった少女は、ここぞとばかりメネスに抱き着いてくる。
「カエムワセトといい、君といい、どうしてそう抱きつきたがるんだ…?」
「いいじゃないか相棒。愛されてるってことだよ」
言いながら、ヘジュはにやにやしている。
「ああ、ラメセス。戻ったらきっと驚くわよ。家のほう」
キヤが言う。
「驚く?」
「お隣さんが出来ましてよ」
と、タドゥキパ。
「…お隣さん?」
「行けば分かりますわ、ふふっ。」
意味深な笑みを浮かべる少女に引っ張られ、郊外の家に戻ってみると、…なんと、いつの間にか隣に立派な邸宅が建てられている。
「…え?」
「あら、王子。帰って来たのね」
玄関で掃除をしていたのはタシェリトだ。
「タシェリト…、もう、体のほうはいいのか」
「すっかり元通りよ。もう一人いるの、…イブラー! 王子、戻ってきたわよ」
「ほんとですか?! ちょっと待って…」
ばたばたと、庭の方から大男のイブラーが駆けだして来る。メネスの姿を見るや、彼は泣き出しそうな顔になった。
「ああ、殿下ぁ。よくご無事で…ううっ」
「どうして、二人とも…私のところではもう、働くなと言われたんじゃ…」
「ええそうよ。だから、こちらのお宅に雇ってもらっているんじゃない」
「こちら、って」
「やっほーっ、メネスちゃーん」
二階から、ネフェルエンラーが大きく手を振っている。
「どーお? わたしの別荘! 新築なのよ。上がってきて、一緒に飲まない?」
「え、…え? ネフェルエンラー王女…別荘…え?」
「へへ。実は俺、このたび、王女様の別荘の住み込み管理人に就任しやして」
と、イブラーはにこにこしている。
「あたしは、住み込み家政婦よ。だから別に王子に雇われてるわけじゃないの。たまたま隣に住んでるだけね。」
「そそ、たまたまですやね。」
「そんな理屈…。」
メネスは額に手をやったあと、思わず笑いだした。顔を見合わせて、残りの三人も一緒になって笑い出す。
「おっ、盛り上がってる? いいじゃん、オレも仲間に入れてくれよ」
何時の間にやら、カエムワセトまでやってきている。
「おい、仕事は?」
「今日は休み。王女様の新築祝いに招待されたからさぁ~」
言いながら、彼はすかさずメネスの肩に腕を回す。
「いやー久しぶりだなー。どこも無くなってないな? よしよし。」
「…だから…何でお前はそう、くっつくんだ! は・な・れ・ろ」
「ええ? いいじゃん」
「さあさ皆、上がって。そろそろ王子が帰って来るっていうから、ごちそう作って待ってたんだからね!」
庭に面した宴会場の真ん中に、椅子と卓が設置され、パンや焼き菓子、果物、麦酒と葡萄酒などが並べられている。
「鳩の丸焼きに豆の煮込み、それから御子の好きな魚料理もあるからね。」
「やったー!」
「…知ってたのか? こいつが来るの」
「そうよ~、わたしが呼んだもの」
二階から降りてきたネフェルエンラーが、にっこり微笑む。
「あっ王女様、いやーありがとうございます。今後もよしなに…へへっ」
「いつの間に仲良くなったんだよ…」
「細かいことはどうでもいいの。さ、皆で乾杯しましょう。新しい生活に!」
複雑な顔をしながらも、メネスは、促されるまま杯を取り上げた。タシェリトが麦酒をついでくれる。タドゥキパには果実汁だ。ヘジュは、合図を待たず真っ先に果実に手を出している。
ついこの間までは、誰とも一緒に食事などしなかった。
小さな狭い家には、時々やって来るタシェリト以外は誰も訪れなかった。
それなのに――。
「楽しめよ、相棒。人間の人生は短いんだ」
果実をかじりながら、ヘジュが横から言う。それは、いつもの冗談めかした言い方とは違って、どこか、「神らしい」示唆のようにも聞こえた。
「そんで子供は作れ。子孫は残しといたほうがいい。まだ若いし、全然間に合う」
「…今言う? それ。なあ、今?」
「子供なら、お任せ下さい、お兄様!」
「何? いつ結婚?」
「だーからー!」
もはや、なぜ人を拒絶し、閉じこもっていたのかは分からない。人の目を気にしながら、人に敬遠されることを恐れながら、実際は、自分から遠ざけていたのだと今なら微かに判る。
…本当はこんなにも、近くにいてくれたというのに。
穏やかな日々は、きっとそう長くは続かないだろう。
人が闇を恐れ、救いを求める限り、かの異界の神が消え去ることはない。偉大なる太陽王の盤石なる治世さえ、あとどれくらい続くのか分からない。人の心は脆いものだ。太陽がほんの僅か陰っただけでも、狼狽え、何かに縋り、答えを得ようとする。
今ある理も、いつかは書き換えられる時が来る。
いつの日か、追放されし者たちの子孫が、この地へ不変なる理を提げて戻って来るかもしれない。
けれど彼らの遠い子孫たち、はるか未来の人間たちがその先の答えを見出すその日は、遥か彼方なのだ。
-了
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