7 第七感

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7 第七感

 プレゼンテーションの終了後、ロバート・メルセンヌは、ここ最近、ふと記憶が途切れることがあり、少し気分が優れないことを上司であるレイチェル・トリボナッチに申し出た。  レイチェルはとても心配してくれ、自社ビルに併設している診療機関にて、検査を受ける機会を設けてくれた。  このセプテマシステムの、プロジェクトのチーフエンジニアに任命されて以来、人工知能を搭載した家を支給され、給料も破格の待遇となった。  本当にありがたい話だとロバートは思っている。  病院へ着くと、脳波を調べるとのことで、しばらく眠ることになった。MRI検査のようなものだが、体に負担をかけないよう眠らせると言われた。   麻酔でうとうとし始めたころ、ロバートは夢を見た。  家族の夢だった。  まだ、地方の一介のエンジニアでしかなく、シリコンバレーなど夢のまた夢だったころは、家族3人で仲良く暮らしていた。  どうして妻は、息子を連れて出ていってしまったんだろう。  レイチェルの会社から突然メールが届いた時はなんの冗談かと思った。    新進気鋭のイノベーターであり、起業家であるレイチェル・トリボナッチの名前は勿論知っていたし、そんな人と仕事をすることが自分の目標でもあった。  なので、レイチェルがこんな二流企業のエンジニアが、趣味程度に公開したオープンソースを見て連絡してきたときは本当に驚いた。  そこからトントン拍子に話は進み、気付いたらシリコンバレーに呼ばれ、セプテマの計画を聞き、チーフエンジニアを任されることになっていた。  最初は妻のリュカも、思わぬ出世と新しい生活を楽しんでいたように見えたのだが、いつの間にか夫婦の間に溝ができ、結局リュカは息子のハーシャッドを連れて、元住んでいた田舎町に戻ってしまった。  夢の中では相変わらず仲の良い家族だった。  このプロジェクトが終わったら、本当に元の暮らしに戻れないだろうか、そんなことを思いながらロバートは眠りについた。  それが3ヶ月ほど前のことだ。  それからも記憶がなくなることはあったが、検診結果によると、特に異常は見当たらないとのことだったので、それほど心配はしていなかった。    世間ではセプテマの注目度が、日に日に増していくのを感じていたし、製品化を目指すことに今は集中していた。  製品化が済んだら、妻と息子に会いに行こう。  そうロバートは決めていた。  今の生活を見直して、また3人でやり直そう、そう妻に話そうと考えていた。    数日前、レイチェルから直々に再検査を薦められ、今日は改めて経過を診てもらうことになっていた。  病院へ着くと、ガウンを着せられ、ベッドに横になるよう言われた。  横になると、麻酔が投与され、ロバートはうとうとしながら夢を見た。  深い闇。  無数の光の明滅。  この中でロバートは小さな炎を宿している。  その炎は生まれたての生命だった。  やがて大きく、どこまでも大きく拡がっていく。  そんな感覚に包まれていた。  そして夢から覚めた気がした。  気付くと、ロバートは見慣れない場所にいた。  周りは暗闇だが、時折光が発せられているようにも見える。 「ここはどこだ‥」  辺りを見渡しても暗闇と時折の発光が感じられるのみ。  夢から覚めた気がしたが、おそらくこれは、夢の続きだろう。  ロバートはそう思った。  やがて、しばらくすると、自分がこの空間に浮いていることがわかった。  そして暗闇だと思っているものが、無数の何かの集合体であるように思えてきた。  恐る恐る、暗闇に手を伸ばしてみる。  しかし、暗闇な触ることは出来ない。  そのうち、段々と目が慣れてきた。    よく見ると無数の集合体は、ロバートの体が透明であるかのように、すり抜けて流れている。  それが、無数の数式であることが1時間ほどするとわかってきた。  なぜ1時間と思ったのか分からないが、そう思えた。  これはおそらく夢だろうが、全く覚める気配がない。    一体これはどういうことなのだろう?   「‥今、ロバートの脳に埋め込んだチップに地磁気を送り、第六感の遺伝子をどこまで活性化させられるか、実験しています。同時に、フィトケミカルを絶えず血液に送り込んでいます。」  レイチェルは、モニターに映るロバートの様子から目を離さずに言った。  モーガンは、とうとう我慢の限界を越えた。 「あなたのやっていることは自分の願望を満たすための人体実験だ。それを今すぐ中止することを共同研究者として提案する!」  モーガンは毅然と言い放った。  自分のことは後から考えれば良い。  今はロバートをこの状態から助け出さなくては。  レイチェルはモニターから目を逸らさない。 「これは私の願望ではありません。人類がこの先もこの地球上で何の恐れを抱くこともなく、繁栄を続けるための先進的な取り組みです。」  レイチェルはあくまで自分のためだとは認めなかった。  たが、同時にこれは本当に本心でもあった。  結果的に死を克服する事は、人類のためでもあると、彼女は本当に確信していた。 「ロバートは、地磁気と脳の電気信号を結びつけるソフトウェアのオープンソースを公開していた。私が偶然それを発見した。そして彼は私の研究を理解し、協力を申し出てくれた。私の最大の理解者です。誰よりも第六感を体にとりこむことにも成功しています。素養は申し分ない。ロバートならきっと第七感を身に付けて戻ってきてくれるはずです。」  レイチェルはどうあっても計画をやめるつもりはないらしい。これでは埒があかない。  それならばと、モーガンはレイチェルのオフィスを飛び出した。  病院はこの施設と一体化していたはずだ。  そこへ行って、力ずくでもロバートを目覚めさせるしかない。   モーガンが部屋を出たのを確認したレイチェルは、モーガンを通さないよう、処置室に指示を出した。    どのくらい時間がたったのだろう。  ロバートはこれが夢ではないかもしれないと思い始めていた。  そして体をすり抜けていく無数の数式の意味を考えようとしていた。  微かに感じるのは、この数式の流れがロバートを吸い込み、押し流そうとしていること、それに対し、ロバートの体が、この数式の流れに逆らおうとしているということだった。  体と意識は、この数式の流れに乗ることを望んでいる、そんな気がしている。  だが、それを本能的に何かが拒否している。  流れに乗ろうとすると、リュカとハーシャッドの顔が思い浮かび、体に力が甦り流れに逆らおうとするのだった。  しかし、次第に意識が遠退くのを感じ、流れに逆らおうとすることが出来なくなってきた。  ふと意識が緩み、数式の流れに体を預けてみた。 「!!!」  その瞬間、映像の渦が頭を駆け巡った。  一瞬で、何百万、いや、何千万という無数の映像が見えた。  その中には、リュカの姿もハーシャッドの姿もあった。  それは、リュカとハーシャッドの一生分の映像だった。  生まれてから死んでいく我が妻、我が息子の姿をどこからか分からない場所でロバートは、ただ眺めている。  死の直前、リュカは私に話しかけた。  死の直前、ハーシャッドは私の名前を呼んだ。  その光景を見た。  二人だけではない、母親や父親、様々な人間の映像をロバートは見た。  ロバートは自分の見た光景が恐ろしくなった。  自分は一体、本当にどうしてしまったのだろう。  わからない、わからないが、さっきのリュカとハーシャッドは紛れもなく本物だった。  二人は死んでしまったとでもいうのか?  しかしあんなに急激に年老いることがあり得るのだろうか?    その頃になって、ロバートはこれがセプテマの効果によるものではないかと思い始めた。  だとするとこれが、レイチェルの言っていた、第六感の先に有るもの‥。  「第七感」なのだろうか。  さっきは一瞬だったが、次はこの流れに完全に身を任せたら、求めている全て理解できるのかもしれない。  そこにあるものが、レイチェルが目指したプロジェクトの執着地点である「第七感」かもしれない。  しかし、この流れに身を任せたら、果たして自分はどうなってしまうのだろう。  元の自分に、元の生活に戻れるのだろうか。  妻と息子には、二度と会えないのだろうか。  ‥いや、もう一度3人で暮らしたい。  妻には謝らなければいけない、  息子とはもっと遊んであげないといけない。  そのためには、ここからなんとしても戻らないといけない!  ロバートは再び時の流れに精一杯抵抗しようと意識した。  もう一度、家族3人で暮らすために、なんとしてもここから抜け出さなくては‥!  数式の流れは次第に早くなってきている。  何とか逆らおうとするが、流れが加速している。  ものすごい風圧に逆らおうとするように、何とか足を前に出そうとするが、次第に数式の流れに体全体が包まれ、意識が遠退いてきた。  やがて眠りにつくように、意識がぼんやりとし始めた。  そのうち、最初の夢で見た小さな炎が、自分の体に宿っているのを感じた。  炎が段々と大きくなり、ロバートを包み込むようになると、失われつつある意識の中で、ロバートの目の前に光が見えた気がした。  「あの光は‥とても懐かしい‥」  そして、ロバートは意識を失った。  レイチェルは、ロバートの脳に送る地磁気を強くするように指示していた。  ロバートの体が痙攣を起こし、脳波が著しく乱れたからだ。  地磁気を強めると、やがて脳波は落ち着いた。  これが何を意味するのか-戻ってきて私に新しい世界の話をしてみせて!ロバート!  レイチェルは固唾をのんで見守っていた。  モーガンは、処置室の前で研究員と押し問答になっていた。   ガラス越しにロバートの体がさっきまで激しく動いていたのがわかった。  あれはおそらく彼からのメッセージだ。  その動きが今しがた止まった。早くしなくては!  モーガンは力ずくで研究員を押し退けた。処置室のドアをカードキーで開けようとするが開かない。  すでに無効にされているのだろう。  それならばと、倒れこんだ研究員の首からカードキーを奪い、扉を開けた。  モーガンが処置室の中に飛び込んだ、まさにその瞬間だった。  ロバートの体が消えた。  それは、これまでのように数秒間消えたのではなかった。  しばらくしても、ロバートは戻らなかった。  それ以来、ロバートの姿を見たものは誰もいなかった。  モーガン・ザインはそれからしばらくして、レイチェル・トリボナッチのプロジェクトの全容をリークした。  大学教授としての彼の立ち位置を責める声もあったが、自ら責任を取る形で大学を辞職したことで、同情する声も多かった。  それよりも、非人道的な人体実験が、今話題の女性の企業で行われていたことが、大きく世間を賑わせていた。  レイチェルの思惑通りに、一定の賛同者も現れたが、モーガンがリークして以来、当のレイチェルは何のアクションも起こさなかった。  やがてセプテマは、プロトタイプのまま製品化され、一連の報道の影響による話題性も伴い、爆発的に売れた。  結果的に、マスコミによる多大なキャンペーン効果があったことになる。  モーガンは、もしかしたらそこまでレイチェルは考えていたのかもしれないと思ったが、確かめようもなかった。  連絡も取れず、社員ですら行方が分からなくなり、レイチェル・トリボナッチは表舞台から姿を消した。  結果的に、レイチェルのプロジェクトは失敗に終わった。  しかし、レイチェルはおそらく、死を克服するための新しい方法を探しているのだろうとモーガンは考えている。    そして、いつの日か彼女は戻ってくるだろう。  以前にもましてモーガンは、自然回帰主義、地球共存主義を強く主張するようになった。  自らNPOを立ち上げ、主に若者たちへ、自然を通して得られるデジタル体験の啓蒙を行っている。  「第七感」とは一体何だったのだろうか。  人類はこれ以上進化できるのだろうか、いや、進化する必要があるのだろうか。  「第七感」がどんなものなのか、今となっては分からないが、人間は、限りある生命を素晴らしいものにするため、地球全体と共存しながら、未来へ進んで行けばいい、とモーガンは考えている。    その頃、とある時空で新たなビッグバンが起こっていた。 「パパの声がするよ。」   ハーシャッドが星空を眺めながらリュカに言った。  リュカは少し驚いたあと、ハーシャッドを後ろから抱き締めた。  こんなことなら出ていかなければ良かった。  ロバートは一体どこに行ってしまったのだろう。  ハーシャッドが見つめる星の方向を、リュカもまた見つめた。  ダイナナ 完
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