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5 ロバート、モーガン、レイチェル
・モーガンの視点
レイチェルの誘いからしばらくして、私はレイチェル・トリボナッチのオフィスを訪れた。
施設の中にはほとんど人の姿はない。
広いロビーの受付だけに人影が確認できたので、受付へ向かうと検温を求められた。
検温を済ませると、少し待つように言われた。
それにしても広い建物だ。
ロビーは吹き抜けになっており、3階ほど上に見える重そうな扉が、おそらくレイチェルのオフィスだろう。
ほとんど人がいないので、物音がしない。
ロビーではサーバーが起動している音だけが低く響いている。
やがて受付の女性が戻ってきた。
「このパスでエレベーターに乗れますので、3階のCEO室までお越しくださいとのことです。」
受付の女性にエレベーターまで案内され、エレベーターに乗り3階へ向かう。
3階にはCEO室しかないらしい。
3階に到着し、CEO室の扉の前に着くと、蒸気のようなものが四方から放射された。おそらく消毒剤か何かだろう。少したじろいでいると、扉のスピーカーから声がした。
「Dr.モーガン、驚かせてすみません。念のため消毒をお願いしております。ちょうど目の前にガラス面があると思います。そこを覗いてください。」
レイチェル・トリボナッチの声だ。
言われる通りにガラス面を覗き込むと、カメラのシャッター音のような音がした。
「網膜認証を確認しました」と、機械的な音声が流れ、扉が開いた。
いつの間に網膜情報を登録したのだろう。
先日のオンラインセミナーの時だろうか。
扉が開き中に入ると、正面の椅子にレイチェルは座っていた。
部屋は思ったよりも薄暗く、一面ガラス窓のようなよくあるオフィスのイメージではなく、それどころか窓は見当たらない。
デスクの周辺もどちらかと言えば殺風景だが、デスクの後ろにある、ざっと20台はあろうかと思われるモニターが目に飛び込んでくる。
今は何も映されていない。
「そこへお座りください。」
レイチェルに言われ、デスクの正面にあるソファに腰掛けると、運搬ロボットが飲み物を運んできた。
「そのドリンクはダイナナ100%のスムージーです。‥ダイナナはご存じですか?」
デスクに座ったままレイチェルが話しかけてくる。
なんだか見下ろされてる感じがしてあまり落ち着かない。
「もちろん存じ上げてます。御社が開発した例の新しいフルーツですね。話題になってますから。」
レイチェルはニッコリ笑うと、デスクから立ち上がり、背面のモニターを何台か立ち上げた。
そのうち1台では、オンラインでプレゼンテーションが行われており、製品についてのPR動画が流れている。
「今まさにプレゼンテーションの最中です。そして、これが完成したプロトタイプです。」
そういうとレイチェルはソファのローテーブルにデバイスを置いた。
手首に巻くタイプのデバイスだ。
私はデバイスを手に取った。
「いや、しかしこのデバイスが地磁気を発生させ、第六感を刺激するというアイデアは‥なんと言いますか、よく考えつかれましたね。ちなみに、これはエビデンスを取られていたのですか?」
「ええ。地磁気をデバイスを通して発することでの脳の反応については、エビデンスを取りました。」
その辺りは抜かりはない。まあ、当然だろう。
「第六感により体に不必要な栄養素を取り込まないようにし、なおかつフィトケミカルで細胞の劣化を防ぐ、ということですよね。」
「ええ、その通りです。健康になるだけでなく、アンチエイジング効果も期待できます。」
レイチェルからは確固たる自信が感じられる。
確かに、この分野では頭ひとつ抜きん出ていると言っていいだろう。
しかし、これは明らかにデジタル至上主義の考えだ。私の考えとは相反する部分が大きい。
考えれば考えるほど、私が呼ばれる理由がわからない。
何か明確な狙いがあるのだろうか?
「しかし、先日も申し上げましたが、私はデジタルだけで人の第六感をコントロールすることには、正直懐疑的なのですが‥なぜ私をこの場に呼ばれたのでしょうか?」
レイチェルの表情は変わらない。
薄い微笑みを絶やさずに話続ける。
「実のところ、私もそんな簡単に遺伝子がコントロール出来るとは思っておりません。ドクターの言われる、自然や地球との共存を実現するためにも、どうでしょう?共同研究が出来ればと思っておりますが。今日はそのご相談でお呼びしたのです。」
それは思ってもみないセリフだった。
さらにレイチェルは、研究に係る費用負担と、特許の権利についても私に半分の権利があると言った。
話がトントン拍子に進みすぎる。
警戒する気持ちが芽生えてきた。
この女性は、私を抱き込んで何をするつもりなんだろうか‥。
このプロジェクトには興味もあるが、何か‥危うさを感じる。気のせいなら良いのだが。
もし、良くない方向へ進みそうになったら、誰かが防波堤とならなければいけない。
それが私の役割かもしれない。
直感的に思った。
「‥分かりました。お役に立てるか分かりませんが、共同研究契約を結ばせていただきます。」
・レイチェルの視点
「Dr.モーガンがいらっしゃいました。」
受付から連絡があった。時計を確認する。
きちんと時間通りに現れる。
本当に誠実さを絵に描いたような人。
「パスをお渡ししててエレベーターへご案内さしあげて。」
「かしこまりました。」
さて、素直に共同契約に応じてくれればいいんだけど。
私のプロジェクトにとって、モーガン・ザインという最後のピースが思惑通りに動いてくれるかどうか。
第六感研究の第一人者といえる、Dr.モーガンの存在を知ったのは、死の克服に対する研究を始めてすぐのことだった。
第六感を司る遺伝子があることを知り、第六感に関する論文などを色々と調べるうちに、モーガンの研究にたどり着いた。
研究内容は尊敬に値する素晴らしいものだったけれど、唯一相容れないのが、「自然回帰主義者」であること。
自然と共に生き、死んでいくことなんては、私には耐えられない。
自然の摂理を超越し、新たな次元に行き着くために私のプロジェクトは存在している。
まあ、そこまでは表立って公表してはいないけれど。
ともかく、プロジェクトの第一段階は、デジタルデバイスによる健康管理だ。
これに敏感に拒否反応を示す類いの団体や、有識者には早い段階で手を打たなければいけない。
ダイナナを発表したときも、女性誌や美容方面からの注目度はとても高かったが、一部の環境保護団体や、自然主義者たちからの抗議や誹謗中傷が絶えず、いまだに続いている。
今後さらに、デバイスにより遺伝子と肉体をコントロールするともなれば、その勢いは加速するかもしれない。
そのために、モーガンのような人物を取り込んで協力体制を取っておくことが必要だと考えた。
自然回帰主義者のモーガン・ザインと共同研究と発表すれば、その方向性を改めた、と感じてもらえる可能性は高い。
もしかしたら、本当に利益に繋がるような発見や、知的財産を生み出すかもしれない。
結果的に何ももたらさなくても、共同研究していた事実があれば、モーガン自身はこの計画に反対することは出来ないし、むしろ各方面から責められることになるだろう。
そこまでのリスクを感じ取ることなく、共同研究に応じてくれればいいのだけれど。
まあ、あの正義感の強い研究者は、そのリスクを承知の上でもこの話に乗ってくるはず。
そして、レイチェルの思惑通りにモーガンは快諾した。
「分かりました。お役に立てるか分かりませんが、共同研究契約を結ばせていただきます。」
よし、それでいい。
レイチェルはニッコリ微笑み、
「それでは、契約内容に-」
と切り出そうとしたところで、モーガンが遮った。
「ただし。」
‥ただし?何を言い出すつもり?
「私を被験者に加えてください。私にも、モニターの彼のようにデバイスを与え、生活を送らせてください。それが共同研究の条件です。」
モーガンは、立ち上げた数台のモニターのうちの1台を指差して言った。
自分を被験者に?
意図が分からないが、それに加え、モニターに映る人間が被験者としてモニターされていることにも気付いていたようだ。
この老人は思っていたよりも鋭いのかもしれない。
さりげなくそのモニターを消そうとしたが、操作を誤ってカメラを切り替えてしまった。
モニターの先にいる人物に気付かれたかもしれない。
しまった。
が、今はモーガンだ。
どういう意図か図りかねるところがあるが‥まあいいだろう。
「研究に支障はございませんか?念のため秘密保持契約も交わすつもりではいましたが。」
「いや、結構です。精度をあげるためには、被験者は多いに越したことはないでしょう。期間はどの程度ですかな?」
・ロバートの視点
ロバートは思わず目を見張った。
自室のパソコンのモニターが一瞬ブラックアウトしたかと思うと、目の前にCEOのレイチェル・トリボナッチの姿が見えたからだ。
レイチェルは何か話しているように見えるが、マイクはオフになっているのか、声は聞き取れない。
よく見ると少し奥にもうひとつ人影が見える。
‥が、影になっていて、誰なのかよく分からない。
「‥おはようございます、レイチェルさん。」
とりあえず挨拶かなと思い、こちらのマイクをオンにして、インカムのマイクから話しかけた。
レイチェルは少し動揺したように見えたが、それはほんの一瞬で、すぐにいつもの冷静沈着な様子に戻った。
レイチェルのマイクがオンになった。
「おはよう、ロバート。紹介します、ドクターモーガン、こちらわが社のチーフエンジニアのロバート・メルセンヌ。このデバイス開発プロジェクトのリーダーでもあるわ。」
そうか、何となく見覚えがある気がしたが、少し前にオンラインセミナーで第六感について講演した大学教授だ。
「やあ、ロバート。調子はどうだい?」
モーガンがモニターの前まで来て話しかけてきた。
「あ、ちょっと驚いたのと、あと少し緊張してますが、元気ですよ。」
「そうね、今日はプロトタイプの完成の日ですもんね。今のところプレゼンテーションは順調のようね。後で出社するんでしょ?」
「そうですね、お昼‥過ぎには。少し調整をチームでしたかったんですけど‥ところで、どうしてレイチェルさんのオフィスに繋がったんだろ?すみません。」
こんなことは初めてだ。
社内のポータルサイト上でチーム内の状況を確認していたところだった。
「いいのよ。おかしくないわ。私がDr.モーガンをあなたに紹介するために、予めオンラインで繋いでおいたのよ。ロバートにドクターはこれから共同研究者としてチームに加わってくださることを伝えておきたくて。」
オンラインで繋いで‥。
こちらは何も立ち上げていないはずだが‥まあレイチェルのことだから、自分が知らないシステムを使ってる可能性もあるが‥まあ、考えても仕方ない。
「それは‥心強いですね。Dr.モーガン、よろしくお願いします。」
「それだけじゃないわ。被験者としてデータも提供いただけることになったのよ。」
「へぇ!ドクター、このデバイスも慣れれば楽ですが、‥正直最初はなんだか煩わしいですよ。」
レイチェルにわざと聞こえるような声で話した。
レイチェルは笑顔でリアクションをして話を合わせてくれた。
「心得とくよ。ありがとう。」
しかし、Dr.モーガンは笑っていなかった。
それどころか、目の奥に少し憤りのようなものを感じた。
同時に、Dr.モーガンとレイチェルとの間に、微妙な緊張感を感じ取った気がした。
これ以上この場にいるのは、そぐわない気がする。
「‥それじゃあ、仕事に戻って大丈夫ですか?」
レイチェルはいつものスマイルで、少し肩をすくめながら当然よ、と言い、モニターはいつものポータル画面に切り替わった。
しかし、一瞬だったが、あのレイチェルが慌てた感じを見せたのは意外だった。
まあまだ25歳だしな。
オレより10歳も下だもんな。
人間らしい一面が垣間見えて何だか親しみを感じた。
今日まで1年間この生活を続けてきたが、とりあえず今日で一旦は終了か。
これからは、このプロトタイプをどう製品化していくか、また研究するところから始めることになるだろう。
それにしてもこの1年間、ほとんどダイナナしか口にしてない気がするな。
たまには‥リュカの手料理が食べたくなるな‥ハーシャッドは元気にしてるだろうか。
写真を見ると思い出してしまう。
冷静に振り返るとすごい生活をしてるなと自分でも思う。
全てAIが適性な環境を整えてくれ、このデバイスの地磁気により第六感が刺激され、肉体にとって害のあるものはほとんど摂取していない。
お陰で体調は今までの人生で一番調子がよい。
ダイナナの効果なのか、自分で言うのもなんだが、見た目が少し若く見えるようになった気もする。
このプロジェクトが落ち着けば、リュカの手料理を家族3人で‥囲んで‥
‥そして‥
‥‥
‥まただ。
今‥一瞬記憶が飛んだ。
最近このようなことが頻繁に起こる。
プロジェクトも大詰めで知らない間に疲れが溜まっているのだろうか。
デバイスのお陰で、体調はとても良いのだが‥
まあそんなことを考えても仕方がない。
体調は完璧にコントロールされているのだから。
それに今倒れるわけにもいかない。
念のため、後でレイチェルに相談してみよう。
よし、一仕事して出社しよう。
プロトタイプの完成をチームのみんなで分かち合おう。
・モーガン、レイチェルの視点
「‥彼をずっとモニターしているんですね。」
モーガンは、黒くなったモニターを確認してからレイチェルに言った。
「‥あの家も設備も全て私が用意したんです。彼はただデバイスのモニターをするだけではなく、他の被験者とは違い、人工知能に囲まれた環境で暮らしています。そこで起こることの責任は私にある。私には彼の、ロバートの生活を見守る義務があるんです。」
ロバートは、プロジェクトへの興味が嫌な予感へと変わりつつあるのを感じた。
胸騒ぎ。
これは第六感だ。
「ドクターはまだ時間は大丈夫ですか? よかったら社内を案内させましょう。契約書は後程メールでお送りします。」
扉が開き、女性が現れ、こちらへ、と促した。レイチェルは自分のデスクへ戻った。
「それではドクター、また後ほど。」
モーガンはレイチェルに聞きたいことが色々あった。
だが、今は何も話さないだろうと思えた。
しかし、どうにかしてこの女の本当の目的を聞き出さなくては。
このプロジェクトはただの健康管理のためのデバイス開発なんかではないのかもしれない。
ロバートは、なぜひとり特別な環境でモニタリングされているのか。
モーガンは、今日は一旦引き下がることにした。
不用意に飛び込むのは得策ではない。そう思えたからだ。
大人しくCEO室を出る。
扉が閉まるまで、レイチェルはこちらに微笑みかけていた。
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