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褒めてへんで
味付良子(あじつけよしこ)は町家風の小料理屋で働いている。
「先代からの料理を守ってくれてあんたには感謝してる。一品、試しに自分の料理作ってみーひんか。言うとくけどいきなりお店には出さへんからな、そんなに甘くないで…せやなあ、味噌を使った料理考えてもらおうか」
これは大変な事になった。
女将さんがこの提案を忘れてしまわないうちに案の段階で良いから料理を見せないと「はて。そんな事、言うたかいなあ」と忘れられるかも知れない。
良子が考案したのは、味噌汁セット。
しじみの赤だし、お餅の入った白だし、麩のすまし汁、味噌を混ぜたホワイトソースで作ったホウレンソウの冷製スープ、おつまみサイズのブルーチーズ、炒った米ぬかと味噌を混ぜた生地で作ったパン、おでん風の厚揚げ。
七種類のお味噌汁を考えようとしたのだが時間がない。
「…一品言うてるのに、なんでセットで出してくるねん。和洋混ざってるし。まあ、ええわ。まだまだお会計頂ける味ではないけど、ご贔屓さんにお出ししてみよか」
でた…ご贔屓さん。
時々、ピリッとした空気をさせたお客さんが来る事がある。
何回か続けて来店する人もいれば、二度目の来店がない人もいる。まだまだ先代の味に近づけていないのだろうかとお店を閉めた後に考え事をしていたら、女将さんが
「美味しい料理と、続けて来たいお店は似て非なるもんや。色々とな、人には事情があるねん」
そういうものなのか。
良子は料理が美味しかったら「また来たい」と思うものだと思っていた。例えば…このコース料理十万円ですとか、人気店なので予約が一年後ですとかだったら足は遠のくかなと、良子はそれなりに納得した。
―カランコロン、ガラララ
「いらっしゃいませ―、ようおこしくださいました。どうぞこちらのお席へ」
「おお、ありがとういつもすまんね。今日は何を頂けるのかな?」
「お味噌汁をお持ちさせていただきます」
「そりゃいいね、私はお味噌汁にはちょっとうるさいよ。楽しみだ」
良子の料理が運ばれる。
良子はこの料理を言葉遊びが出来るように作った。
ホウレンソウ、この件は上司や取引先に報告連絡相談します。
ブルーチーズ、青い食べ物は自然界に存在しない。この話はここだけの秘密です。
米ぬかと味噌をパン生地に混ぜこむのは、物は他の荷物の中に紛れ込ませます。
厚揚げは取引金額。厚揚げ一個が帯にくるまれた百万円に見立てている。
「厚揚げもう一個いかがですか?」
「いえいえ、もうお腹いっぱいです。私はこのホウレンソウの冷製スープを頂きます」
ご贔屓さんがご友人と楽しく食事をしている風景だが、観察しているとそれっぽく見えてくる。何回も来店してくれるお客さんは商談中、二度目の来店がないお客さんは破談になったのだろう。
にやっ…と笑いそうになった時、
無口で勘のええ子は嫌いやないけど、それ以上踏み込んだらあんたが想像してる事になるで。何席も離れた遠くの場所から、女将さんがニコニコ笑いながらこっちを見ていた。
数日後、開店前の仕込みの時間。
良子は自分の仮説が合っていた事を確認出来れば満足だったので、小さい貝のように口を閉ざし、お餅のようにもったりとした場の空気に包まれて、いつも通りすまし汁の味見をする。よし、今日も良い味だ。
「はいよ。今日もご苦労さんやで~」
「女将さん、おはようございます」
「お金は貸さへんで。昨日来た、あんたのとこ居候してる馬鹿舌。チラチラこっち見ながら厚揚げパクパク食べてお金の無心してたけど…誰にもばれてへんとほんまに思うてるんか? どんだけ厚揚げ食べるねん。すごい才能やな」
「恐縮です」
「褒めてへんけどな。神経研ぎ澄ますように料理作ってるあんたが、味に左右されない生き方に憧れや嫉妬があるのは、まあ理解出来ひん事もない。今日は麩にするんか? 豆腐にするんか? 木綿? 絹ごし?」
「油揚げ、入れてみましょうか」
「どんだけお金の無心してくるねん。それに油揚げ入れるんやったら赤だしやろ」
「ほうば焼きもご用意出来ます。束にした湯葉を細い昆布で巻いたものとか」
「だいぶん直接的になってきたな、ようそんなに思いつくなあ」
「即席味噌汁とここのお味噌汁の違いが分からぬ馬鹿舌と生活しているので、料理への欲求不満からアイデアが泉のように沸いてきます」
「おお~、こわ。こんなに分かりやすく人を利用してるなんて、あ~、こわ。恐怖の味噌汁やわ」
「だからここのお味噌汁は間違いなく、毎日美味しく出来上がります」
「あんたもよくあんな馬鹿舌見つけてくるな。普通、もうちょい味分かるで。昨日の馬鹿舌は何人目の馬鹿舌や」
「たぶん、三人目ですかね」
「先の二人がどうなったかは聞かんとくわ」
「死んでませんし、殺してませんよ」
「はいはい、そういう事にしといたげるわ。言葉遊びが好きな料理人のホラ話としてな。今日も美味しい料理作ってや」
恐縮です。
だから、褒めてへんて。
(作:岸本める)
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