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第2話『新・学校生活』
朝。今日もいつも通りの一日が始まる…はずだった。
ガチャッ
亜矢が玄関のドアを開けると、それに合わせて隣から同じ音が響く。
片手でノブを掴んだままの状態で、亜矢は隣の気配に目をやる。
そこには、同じ体勢でこちらを面白そうに見ている男の姿があった。
「よお、オハヨウ。これはこれは偶然だなぁ?………クク」
マンションの、亜矢の部屋の隣に住む『死神グリア』である。
ちなみに、人間世界では『死神』が彼の名字らしい。
亜矢はひきつった笑顔を作った。感情を抑えているのだ。
「冗談。待ち伏せでもしてたんでしょう?」
死神を侮る事は出来ない。
現に一体どんな力を使ったのか、グリアは亜矢以外の人間の記憶の中に自分の存在を溶け込ませてしまったのだ。
親友の美保でさえ、グリアの事を当たり前にクラスメイトだと思っている。
「ちょっと、ついてこないでよ」
「何言ってんだよ、オレ様を登校拒否させる気か?」
亜矢と同じ高校の制服を身に纏っているその姿は、誰が見ても普通の男子高校生である。
「何であんたと一緒に登校しなきゃなんないのよ…」
ただでさえ、嫌でもグリアと毎日キス…いや、『口移し』されなければ生きていけない身体になってしまったというのに。
必要以上に一緒にいる事に抵抗を感じるが、でも彼に生かされているという立場から強く反発する事も出来ず………溜め息をついた。
少し感情を落ち着かせてから、亜矢は隣で歩いているグリアに話しかける。
「ねえ、なんであそこまでしてあたしを生かそうとしたの?あなたにとって何か利益になる訳でもないでしょ?」
グリアは遠くを見つめながら、口の端をつりあげた。
「あんたが面白えから。当分はオレ様を楽しませてくれそうだったからな」
それを聞いた亜矢は唖然とした。
(な、なに?じゃあ、あたしはコイツの暇つぶしの為に生かされてるって訳?)
何を言ってもやっぱり死神。
これから先も、どんな手を使って追い詰めてくるか分からない。
「そんなにすごい力を持ってる死神なら、完全にあたしを生き返す事とか出来なかったの?」
なんとか、毎日『口移し』をしなくて済む方法を探り出す。
「都合のいい事言うなよ、オレの力でも出来ねえ事はあるんだぜ」
「偉そうな割に、そういう所は認めるのね」
その時、さっきからずっと前方を見つめ続けているグリアが、唐突に口走った。
「あいつ」
「え?」
グリアが見ている方向を見ると、前方には同じ高校の制服を着た女子高生が歩いている。
「あいつ、美味そうだな。喰っちまおうか?」
「なっな…!?」
亜矢はその言葉を即座に、ダイレクトな意味で解釈した。
「何言ってんのよ、変態ッ!!」
顔を赤くしながら力一杯叫ぶ亜矢だったが、グリアは相変わらず余裕一杯の笑みを浮かべてその反応を楽しんでいた。
「ああ?違えよ、あの女の魂が、だよ」
「はあっ?」
「オレ様は魂を喰って生きる死神だって言っただろ。どんな勘違いしてんだよ、ハハハハ!!」
「〜〜〜〜〜〜!!」
亜矢は何も言い返せず、今度は怒りで顔を真っ赤にして歯がみをした。
「あたしの目の前で人の魂を狩ったら、舌噛んで死んでやるからね」
全く脅迫にすらなってないのだが、グリアはその言葉に乗ってやる。
「ああ、心得てるぜ。オレ様の楽しみを失うワケには行かねえからなぁ」
「おはよう、グリアくん!」
「よぉ」
「おはようございます、グリアさん…」
「ああ、オハヨウ」
どうも、校門を過ぎてからグリアに挨拶をする生徒が多い。
しかも、女生徒。
その挨拶に素っ気なく短い返事を返していくグリアだったが、それでも女生徒達は頬を赤らめたり、恥ずかしそうにして足早に通り過ぎる。
どうやら、グリアはモテるらしい。
「驚いたわ…。これもあなたの力なの?」
本気で目を丸くする亜矢だったが、グリアは平然としている。
「何がだよ?」
「いいえ、別に」
確かに、グリアは黙ってさえいれば普通にカッコイイだろうが。
この死神の、人の不幸を楽しむような言動と、その時に見せる凶悪さを浮かべた笑みを皆は知らない。
その時、ドンッと亜矢の背中が軽く叩かれた。
亜矢がハっと顔を向けると、そこには見慣れた友達の姿があった。
「オーッス、亜矢!グリア!」
明るい笑顔を向ける、クラスメイトの白川加也。
だが、亜矢は逆に白川の言葉を聞いて、僅かに暗い表情になる。
(やっぱり、白川の記憶も操作されちゃってるのね)
無邪気な白川の笑顔が、逆に悲しい。
「最近仲いいよな、お前ら。じゃーな、先に教室行ってるぜ!」
そう言って、校舎に向かって走り出す白川。
「ちょ、ちょっと待ってよ白川!?」
引き止める亜矢の声はもう届かず。
「ちょっと、死神っ!」
キっと、隣の死神を睨み付ける。
「なんだよ?」
「あたしとあんたって、どういう関係の設定になってる訳!?」
「ただのクラスメイトだぜ。今の所はな」
ここまでくれば、グリアと同じクラスであるという事は読めていたし、半ば諦め気味に亜矢は思った。
そして、『今の所』って………。亜矢は嫌な予感がした。
「それとも、なんだ?もっと深い関係をお望みか?」
ニヤリとするグリアに、亜矢は必死になって否定する。
「いやっ!やめて、冗談じゃないわ!」
冗談では済みそうにない。
この死神は、不思議な力を使って何でも自分の思い通りにしてしまうからだ。
「しねえよ。今のままでも楽しめるしな。それに、オレの力でも出来ねえ事があるって言っただろ?」
その言葉に深い意味があるという事を、この時の亜矢はまだ気付かない。
(それに…自力で手に入れた方が面白えってモンだろ?)
「〜〜〜〜信じられない!」
教室に入ってからも、さらに亜矢の声と表情に苦悩の色が増していく。
亜矢の席の隣に、何くわぬ顔で着席するグリア。
「あんた、あたしに取り憑く気なの?」
席まで隣だなんて、思っていなかった。
ここまで徹底しているとは思わなかった。
「なんだよ、心配してわざわざ目の届く位置に来てやってんのに。あんたはオレ様無しには生きていけねえだろうが」
「勘違いされるような台詞を言わないで欲しいわ」
亜矢は不機嫌な顔をしたままカバンを机の上に置き、席に座った。
こんなに疲れた朝は初めてだろう。一日はまだ始まったばかりだというのに。
「あんた、朝から怒ってばかりだなぁ?そんなんじゃ命の消耗が速まるぜ」
「あんたのせいでね」
席が隣なだけに、着席したまま会話が出来る。
そしてそのまま授業の時間は始まる。
授業中、亜矢はチラチラと隣のグリアの様子を見る。
どうやら、真面目に授業を受けているようだ。
こうして見ていると、ごく普通の生徒なのだが。
「ねえ、授業を聞いてて楽しいの?」
休み時間になって、亜矢はグリアに問いかけた。
「まあ、暇つぶしにはなるな」
人間世界そのものを遊び場所としている死神。
まあ、普通に学生として過ごしてくれるのであれば、大した問題はないかも…
と亜矢は思い始めてきた。
だけど、どこまでも付きまとわられたら、こっちの生活&精神が乱される。
只今、4時間めの授業中。亜矢は一人、気合いを入れた。
4時間めの終了を知らせるチャイムが鳴り、その直後。
休む暇もなく、亜矢は勢いよく席を立った。
グリアはそんな亜矢を冷静に見ていた。
4時間めが終わった後と言えば、お昼の時間。
学校生活の楽しみの一つでもあるこの時間、これ以上死神に入り込まれたくない。
席を立った亜矢は、教室のドアに向かって猛ダッシュで駆け出した。
………が。
ドアの前まで来た時だった。
ダンッ!!
いつの間にかグリアがドアの横に立ち、勢いよく片足を上げて扉の側面を蹴った。
亜矢の行く手をその足が見事に阻んだ。
「…………あんた、いつの間にっ!?」
何よりも、驚きの方が大きかった。
確かにたった今、グリアは着席したまま席も立とうとしなかったのに。
また一体、どんな力を使ったのか…しかも教室内で。
未だ低く上げた片足で亜矢の行く手を阻みながら、グリアは腕を組み、ククっといつもの笑いを見せた。
「そんなに急いで、どこ行くんだよ?」
そんなわざとらしい言い回しから、二人の言葉の駆け引きは始まる。
「購買部よ。お昼ご飯買いにいくんだから、どいて」
足をどけようとしないグリアを強行突破するべく、亜矢はグリアに向かって強気に歩み出す。
グリアは足を下ろしたが、自分の横を通り過ぎようとする亜矢に向かって言う。
「オレ様の飯も買ってこい」
「はあっ!?」
亜矢は思わず歩みを止め、グリアの方へ向き直った。
「オレ様、金持ってねえし」
「別に食べなくても生きていけるんでしょう?」
魂を食べて生きる死神なら、人間と同じ食物なんて必要ないだろう。
「なら仕方ねえ、代わりにそこらへんの人間喰うぜ?この学校には美味そうな魂が沢山転がってるしなぁ」
「ちょ、ちょっと待ってー!!」
亜矢は慌ててその言動を止める。
脅迫とはまさに、こういうのを言うのだろう。
「魂を狩るなって言ったのは誰だよ。代わりのモンを食わなきゃ、オレ様だって餓死するぜ」
それにしてもこの会話は、他の人が端から聞いたら何とも意味不明である。
「わ、分かったわ……」
「じゃあオレ様アレな、飯を三角に固めたヤツ。人間界の食い物ではアレがなかなか気に入ったぜ」
「……………普通の『おにぎり』でしょ」
どうやらこの死神は、なかなか人間世界をエンジョイしているらしい。
そして、午後の授業、5時間め。
ついにその事態は起こった。
亜矢が突如感じた、息苦しさを伴った心臓の痛み。
この、心臓発作(亜矢は経験した事ないが)に似た胸の苦しみは…!と、亜矢は胸を押さえながら机の上に頭を伏せた。
その変化に、いち早く気付いたのはもちろんグリア。
(どうしよう、こんな時に命切れだなん……て…!)
今は授業中。休み時間まで、あと30分以上はある。おそらくもたないだろう。
昨日キス(口移し)されたのは何時だったっけ?と、亜矢は思い返してみる。
正確にはキスではないし、そんな事思い出したくもないのだが、頭の中で言葉を選んでいる余裕がなかった。
亜矢の心臓を機能させる『命の力』が切れるのは、24時間だったはず。
その度に亜矢はグリアに『命の力』を注いでもらわなければならない。
『口移し』という方法によって—。
考えても解決するはずもなく、机に伏している亜矢を見かねたのか、グリアが突然、席を立った。
「センセイ、春野サンが具合悪そうなのでオレが保健室まで連れていきます」
(なっ!?)
亜矢は顔を上げた。
だが、わざとらしく聞こえたグリアの敬語口調にツッコミを入れる力もなく。
一瞬、教室内がザワっとなったが、亜矢の顔色が本当に良くなかった事も幸いして(?)、その授業を担当していた教師は許可した。
「歩けるな?行くぜ」
亜矢だけに聞こえるように小さく耳元で囁く。
亜矢はグリアに体を支えてもらいつつ、二人は教室を出た。
二人が向かったのは保健室ではなく、教室を出てから廊下を曲がった階段の前。
これは屋上への階段であり、授業時間中という事もあって、今ここを通る者はそういないだろう。
亜矢を階段に座らせると、グリアはしゃがんで亜矢と向かい合った。
やれやれ、と相変わらず意地悪そうな、それでいて楽しそうな——
もう、何度も見てきた死神の表情だ。
「ったく、初日からこんなんでどうするよ?」
「…………」
亜矢は言い返せない。
好きでこんな身体になった訳でもない。
それでも確かに、自分は生きる事を望んだのだ。
「さて、さっさと済ませるぜ」
グリアは亜矢の肩を掴み、その身体を引き寄せたが—
亜矢は顔を上げようとしない。
「やっぱりこんなの、気が進まないわ」
苦しさのせいか、亜矢の息が乱れ、声が震えている。
「こだわってる場合かよ?」
拒否すれば死ぬ。それは亜矢も解っている事のはず。
すると、決心したのか亜矢は突然、パっと顔を上げた。
だが、ギュと両目をつぶり、それは何かを耐えるような仕草だった。
「…ホラ、目つぶってるから早くして!」
ある意味、これは亜矢なりに決心した末の行動なのだが。
その行動が滑稽に見えたのにも関わらず、グリアの口から吐き出されたのは溜め息。
「ガキ」
そう小さく言うと、グリアは唇でなく亜矢の耳元に唇を近付ける。
「口移しが嫌じゃなくなる方法、教えてやろうか?」
「え、なに?」
突然側で囁かれた言葉に、亜矢は瞼にこもる力を緩めた。
「オレ様の事を好きになればいいんだ」
「えっ……?」
ふいに両瞼を開き、亜矢が目を見開いた瞬間。
重なった、感触。
状況を把握する間もなく、深く、暖かい感覚が体内を巡って。
昨日もそうだった。不思議と、この瞬間だけは抵抗を感じない。
「目つぶっても何も変わらねえ、だったら開けてな。その方が楽しいぜ?」
生命の力を吹き込む儀式が終わり、亜矢は何故か呆然としていた。
本物の自分のモノではない、仮の心臓の鼓動が速い。
何、何これ…なんで…?
亜矢は先程のグリアの言葉を思い出し、首を振った。
『オレ様の事を好きになればいいんだ』
そして、今になって言葉を返す。力なく、でも自然と唇が動き出す。
「そんな事、ありえないじゃない……」
「あぁ?」
気の抜けた声でグリアは聞き返した。
亜矢は慌てて話を変える。
「それにしても不覚だったわ。まさか学校でこんな事になるなんて。これからは、命の補充は夜の時間帯にするべきね」
この先、また学校でこのような事態になっては、安心して学校生活も送れない。
命の力の機能時間は、もって24時間。
夜に命を吹き込んでもらえば、少なくとも学校で尽きる事はなくなるだろう。
「言い忘れてたけどな、それはあくまで目安だ。多少の誤差は生じるぜ」
「なっ!?」
落ち着いてきたはずの亜矢の表情が一変した。
「毎日、いつ命が尽きるか分からねえ、くらいに思った方がいいんじゃねえか?」
これまた、大きな落とし穴。亜矢は口をパクパクさせた。
「何よそれー…!?」
グリアはシっと口の前で人指し指を立てた。
今はどこも授業中。亜矢はグっと感情を抑え、口を固く閉じた。
「さて、オレは教室に戻るが、亜矢は保健室で少し寝てな。どうせ昨日はあんま寝てねえんだろ?」
意外な優しさを含んだグリアの言葉を、亜矢は意外に思った。
確かに、具合が悪いという事になっている亜矢がこのまま教室へ戻っては不自然だ。
そして、寝不足というのも確かだった。
眠れなかったのは、これから先の事を考えて頭を悩ませていたせいなのだが。
「誰のせいだと思ってるのよ」
口ではそう言うが、亜矢は表情を柔らかくして……微笑んだ。
世話好きなのか、意地悪なのか、優しいのか……まだ、掴みきれない死神。
それでも今は、確かに彼の中の何かを見つけた。新しい何かを。
「ありがとう」
自然と出たその言葉。
「ああ?何だって?」
だが、グリアは聞こえてなかったフリをしていつもの調子で聞き返す。
新しい学校生活の始まりは、死神と少女の物語の始まりに過ぎない。
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