上司も見上げて

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 夜空で輝くのは星々だけではない。ムカエたち天使の目には、人間が作った星図よりもはるかに多くの輝きが広がっている。  それは死者の魂だ。  毎日十万人を超える彼らの魂は死の際に地上を離れ、大気圏で漂うものもあれば、宇宙にまで登るものもある。  ムカエの役割は身体から離れた人間の魂を空へ誘導することだ。導かれた魂たちは空に広がり輝くのだが、それを視認できる人間は少ない。基本、魂の標本のような空は天使たちにしか見えないのだ。 「死者の名前を記録する、なんて貴方の業務内容にはないわね。何、趣味かしら? 全く理解できないわ」 『全くもってその通りだ。キリ、あなたとは初対面だがとても気が合いそうだ』 「あら、これが噂のAI? なんかショボくてうっかり踏みつけちゃいそうね」  アンカーは小さな電子音を数回鳴らしたきり、電源を落としたように黙ってしまった。  ムカエはというと上司であるキリを一切気にすることなく、自らが導いた魂や、まだ読み上げていないいつからか煌めく魂の名を次々と覚えていた。  草原に立ち尽くすムカエの姿はキリには不気味な看板のように見えるのだった。  彼女の傍らにキリは並び立ち、首を上に傾けた。 「ふーん、名前はそれぞれちっさく書かれているのね。……やっぱり何も感じないわ。秒で忘れちゃいそう」 「……ねえ、キリちゃん上司」 「そんな呼ばれ方は生前から含めても初めてだわ」 「生前に『死に意味がある』という話題に触れたことはありますか?」  キリは怪訝そうな顔つきのままムカエを見下ろす。 「漫画の読みすぎじゃないの」 「では質問を変えます。死に意味はあっても、その死んだ人自身に価値は残り続けますか?」 「……もう少し聞かせてもらおうかしら」 「死ぬ際のイベントは印象に残ったり語り継がれることは多くあっても、死者の名前とかは残りにくいと思うんですよ」 「まあ、戦争や事件は知っていても、そこで死んだ人の名前なんて知ってもすぐ忘れちゃうわね」  それは、彼女たち自身もそうである。ムカエもキリも遥か昔は一人の人間として生きていたが、死後、彼女たちの名はどこにも記されていない。 「――もしかして、だから貴方がみんなの名前を覚えていようってこと? かつて死んだ人間と、これから死んでいく人間をすべて?」 「はい。そうすれば、全人類は少なくとも一人には死後でも名前を憶えてもらえますよね。かつて生きてこの世界のどこかにいた、その事実だけは延々と残り続ける……ということです」
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