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あとがき
睡蓮です。
まずは初めに、本作品をここまで読んで頂きありがとうございました。
『さらば、ティーンエイジャー』は多くの説明を必要とはしません。
"二十一歳の夏に書く二十一歳の夏の物語"という主題の通り、二〇二〇年の二十一歳の私が書いた、二十一歳の男女が主人公になる物語というわけです(二〇二一年に改訂作業を施しましたが)。
子供と大人の狭間で揺れ動く葛藤を描いた作品は世の中に多くありますが、主人公の大多数は日本では十九歳か二十歳だと思われます。では何故『さらば、ティーンエイジャー』は主人公たちが二十一歳なのか。理由はいくつかあります。
まず単純にこの作品を思い立ったのが、私が二十一歳になってからだったから。次に二十一歳で決定的な変化が自分に起こったから。最後はニューヨーク州の成人年齢が二十一歳だからです。
重要なのは年齢ではなく、子供と大人の狭間で揺れ動く『若者』ということです。本作品は全ての迷える若者に向けて(かつての自分も含む)捧げる物語です。
本作品は多くの説明をいらないと言いましたが一つだけ、というか一人だけ触れておきたい存在が居ます。ジャック・アンダーソンです。読者の中にはこの少年の存在が不可解でならないと言う人も少なくないと思います。
ジャックが居なくとも、ジェームズたちは自分で前を向く結果に結局は辿りつくことになるのです。ジャックは所謂アドバイザー的な立ち位置でした。
しかし、もし私がいつか本作品に更に手を加えることを決めて、ジャック少年の存在を消して完全に二十一歳たちだけの物語に作り替えたとしましょう。そうした時に読者の皆様は何かが物足りないと感じると思うのです。絶対的に必要ではないけれど、物語に深みを作るスパイス的なものがジャックでした。
お気づきかと思いますが、あくまで『二十一歳の物語』というスタンスは崩したくなかったので、作中ジャックの視点で物語が進むことは一度もありません。少年は徹底的に縁の下の力持ちとして活躍させたかったのです。
ちなみに本作品を書きだす前に、スティーヴン・キングの『ジョイランド』を読んでいました。ジャックが車椅子に乗っているのはその影響です(元々は病気の子供の設定のつもりでした)。他にもいくつか影響を受けているであろう部分が見受けられるかと思います。ぜひとも『ジョイランド』を読んでから、本作品を読み返してみてください。新たな発見があるかもしれません。
また、Lastdayで名前の出てきたクイン・ナインティ・ツーの『ア・レター・トゥー・マイ・ヤンガー・セルフ』は私にとって『さらば、ティーンエージャー』の主題歌みたいなものでした。この楽曲に多くのインスピレーションを受け、この曲を軸に物語を構成していったと言っても過言ではありません。
このような素晴らしい楽曲に巡り会えたことを心から感謝します。
本作品は実は、これで完結ではありません。
まさか続編が…?なんて思った方も居るかと思いますがそうではなく、後日談的なものを将来的に付属したいと考えております。
大学を卒業した後のソフィア。日本に帰った後のウヅキ。作家を諦めたジェームズ。彼らがどのような未来に歩みを進めていったのか、そこまで書ききって『さらば、ティーンエージャー』は本当の意味で完結出来ると思います。
ですが、二〇二〇年現在ではそこまで執筆することは出来ません。勿論その理由は本作の主題と関係しています。よって後日談の付属は遠い未来となりますが、いったい何年後に執筆するのか、そこまで私は決めています。
十二年後です。何故十二年後なのか?少し考えれば分かるかと思います。みなまで語るのは野暮なので、読者の皆さんにあとは考察してもらいましょう。
ということで、もし私が十二年後まだ執筆活動を続けていれば『さらば、ティーンエージャー』は新しい形で帰ってくるはずです。
そろそろあとがきも終わりにしようかと思います。最後の最後まで目を通して頂きありがとうございます。
またいつの日か「そう言えばこんな小説あったな」と思いだして、軽く手に取っていただければ幸いです。皆さんの記憶の片隅に携われた作品であったことを祈って『さらば、ティーンエージャー』のあとがきを終わります。
本当に、ここまでありがとうございました。
また別の作品で、お会いしましょう!
睡蓮
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