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Fast day
01.経緯
二〇二〇年.三月.一日にニューヨーク州でコロナウイルス(COVID-19)の感染が発見されてからというもの、まるで一滴のインクが白紙のノートに染みを作るよう爆発的に感染が広がった。同月の二十九日には一日の感染者数が約七千人、死者数は二百人以上となった。俺はフリーターとして生活をしていたが、バイト先の店長に都市封鎖が発令される数日前「もう来なくていい」と言われ、クビとなったために借りていたアパートを捨て実家へと舞い戻る羽目になった。
都市封鎖の期間買い出し以外の外出はすることなく(両親の体を考えて自らが率先して買い物にいくように心がけていた)、俺は籠って小説ばかりを書いていた。そんな中五月二十五日にミネソタ州で黒人男性のジョージ・フロイドが白人警官によって暴行を受け殺害される事件が起こった。六月八日に都市封鎖が解除されると多くの人が外出を始め、俺も例にたがわず職を求めて外出を再開した。また彼の死をきっかけにアメリカはCOVID-19による打撃以上に揺れ動き、ニューヨーク市でも抗議デモが行われた。俺や友人たちもデモに参加し、黒人差別に対する怒りをぶつけた(無論暴徒化し、店の破壊や略奪を行っている人達は許容できない)。しかしソーシャルディスタンスも取らずにひしめき合ってデモを繰り返していた結果、回復しつつあったアメリカはCOVID-19の危険に再度晒されつつあった。人命か経済か。多くの人間が究極の選択に立たされた。俺は新たな職を見つけるとすぐさま実家を飛び出した。何故ならば俺は人命より経済を優先したからだった。だが、親の命を自らの選択によって危険に陥れたくはない。だから実家を出て、COVID-19が落ち着くまでは帰らないと伝えた。俺は二十一歳と間違いも多く冒してしまう年齢で、実に懸命な選択をしたと思っていた。
馬車馬のように働く俺に、七月二十三日にとある出版社から封書が送り返されてきた。中には俺が送った小説と一枚のメモ用紙が入っていた。
『クソコロナウイルスのせいで色々大変だっただろう。お疲れ様。でもそんなアンタに更に残念なお知らせだ。アンタは小説を書くのに向いていない。今までいくつか読んできたがアンタの作品は全部オナニー小説でしかない。要は自己満足!つまらないってことさ!まぁ都市封鎖中の暇つぶし程度にはなったよ。それじゃあ、いい夏を!病気に気を付けて』
手紙のないように舌打ちを零すと、怒り任せにメモ用紙を破り捨て、封筒ごと送り返された原稿をゴミ箱に投げ入れた。
「ふざけるな」とぶつくさ文句を零しながら、お気に入りのMARVELのロゴが入ったアウターをひったくると、ポケットからスマホを取り出した。鬱憤晴らしに付き合ってくれるであろう真っ先に頭に浮かんだ友人へと電話をかけると、三コール目でいつもと変わらない明るい声音が電話越しに聞こえて来た。
もう二度と小説は書かない。作家なんて志した俺がバカだった。そろそろ現実を見て就職先を探すことにする。つらつら喋る俺の話を聞き終えた彼は、いつものようにうんざりするぐらいの機関銃攻撃<マシンガントーク>を繰り広げるかと思いきや、たったの一言を返しただけだった。
「じゃあ気分転換に旅行でも行くか」
斯くして俺は、これから先の人生において最も充実したであろう夏を迎えることとなった。
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