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Epilogue
八月.三十一日.十九時.三分
バイトを終えた俺は、一人暮らしの自宅に向かって人混みを掻き分けながら歩いていた。頭の中では今夜の夕食についてどうするか財布と相談中だった。
あの日からもう三週間近く経っていることに未だ実感が持てず、不思議な感覚を抱いていたが、現実は刻一刻と進んでいき、また俺も変化していた。
旅行の日々を綴った小説は現在執筆中でいつ完結出来るかは不明だが、自分のペースでのんびりやっていこうと思っていた。
作家を目指すことをやめた俺はいつまでもフリーターで居る理由もなく(元々小説を書く時間が欲しくてフリーターになった)、就職しようかとも考えたが、まずは大学に進学することに決めた。作家を目指すのは諦めたにしても、やはり『物語を作る』仕事に携わりたい気持ちは消えなかったのだ。完璧に妥協しきれないあたり、俺のプライドの高さには呆れてしまう。だから自分の好きなことが出来る会社に就職するためにも、大学に行って勉強しようと思う。
ソフィアはコンテスト用の写真を一枚決めて、コンテストに応募した。どの写真を選んだのかは俺たちに教えてくれなかったが、賞を取る自信はあると胸を張っていた。彼女は常に自信に満ち溢れているが、いつも以上に前向きに見えた。
ウヅキは今のところ何も生活が変わった様子はなく(夏休み前に大学の中途退学手続きは済ませていた)、今でも同じ職場のバイトで顔を合わせていた。
今日の夕食はハンバーガーでいいかと決めると、ふと隣を横切ったブロンドヘアーを肩下当たりまで伸ばした美しい女性に目を惹かれた。
心臓が、頭が、心が、叫んでいた。
彼女は────。
「ロイ?」
足を止めて振り向くと、無意識のうちに元恋人の名前を呼んでいた。
ブロンドヘアーの女性は歩みを休め、人混みのなか立ち止まった。こちらを振り返った相手の瞳は、懐かしい葡萄酒色を湛えていた。
「久しぶり、ジェームズ」
俺は後頭部を殴られたような衝撃を覚えた。心臓が早鐘のように鳴り、あまりにも早く血を送るので体が壊れてしまうのではなかと危惧した。思考回路に綿でも詰められたかのようだったが、何とか意識を保つとやっとの思いで「本当に、ロイなのか?」と声を絞り出した。
女性らしい顔と体つき、服装は白色を基調としたロングワンピースを着ていた。しかし、恋人であった俺にはかつての面影が残っているのも否定できなかった。
無言でこくりと頷き返した相手に、俺は茫然と突っ立っていることしか出来なかった。頭が真っ白になっていたが、やがてロイが口を開いた。
「でも、今はもうヘレナ・アイゼンハートなの」
かつての俺が見たことのない最高の笑顔を咲かせた彼女に、俺は涙を浮かべると、心の底からの安堵と共に笑い返した。
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