Fast day

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06.明日の約束 「素敵な場所を教えてくれてありがとう」 坂道を下っていきながら、カメラを弄っていた手を休めたソフィアは、上機嫌にジャックにお礼を伝えた。気に入る写真が随分と撮れたようで、はしゃいでいた彼女の姿は十代前半を思い出させ、とても愛らしかった。もちろん現在も愛らしいのだが。「どういたしまして、気に入ってくれてよかった」 車椅子は上り坂よりも下り坂の方が大変で、ブレーキをかけながら車椅子が転がって行ってしまわないように細心の注意を払い、慎重に神経をすり減らして足を進めていた。艶のある少年の赤髪が揺れる後頭部を一瞥して、ソフィアに視線を投げかけた。 「これからどうする?まだ写真は撮るだろ」 「次は海じゃなくて町の写真も撮りたいんだけど」 夕食の予約している時間まではあと三時間はあると、先ほど腕時計(去年の誕生日にソフィアが贈ってくれたもの)で確認した。散策は明日になるだろうが、ホテル周辺を少し歩いて回るのは悪くなかった。俺が賛成の意を示そうとしたところで「今日はやめておいた方がいいよ」とジャックが遮った。顔は海の方向を向いており、ずっと遠くに揺蕩う地平線を眺めているように見えた。 「もうすぐ雨が降るから。豪雨になると思うよ」 「こんなに晴れてるのにか?」 ウヅキが信じられないといった表情で少年の視線の先を追った。俺もつられてそちらに目を向けてみたが、とても雨が降りそうな天気ではなかった。眩しいぐらいの快晴で、雨雲らしきものはどこにも見当たらない。天気予報でも一日晴れだと発表されていた。 「ここに住んでたら分かるようになるんだよ」 「まるで魔女みたいだな、でも俺は雨が降らないことに賭けるね」 鼻を鳴らしたウヅキに気分を害した様子もなく、ジャックはただ口を閉ざして海を眺望するだけだった。無意識のうちに、誰もが海ではなく少年の横顔に見惚れていたはずだ。 「私は信じるわ。今日はホテルに戻りましょう」 彼女はこう言ってるけど?といった意味合いでウヅキに目を配ると、彼は肩をすくめて「女王様の仰せの通りに」と答えた。満場一致で(俺は今日でも明日でも構わなかった)俺たちはホテルに戻ることになった。 来た道を他愛もない会話を交わしながら帰っていき、ホテルの正面玄関にやって来ると女性のドアマンが俺たちに小さく頭を下げて「おかえりなさいませ」と出迎えてくれた。ホテルを出て行った時に立っていたのは男性のドアマンだ。 「ジャックもおかえり。その方たちは新しいお友達?」 「そうだよ。困ってるところを助けてくれたんだ」 ジャックは俺たちを振り返り「この人はアーシャ。多分ジェームズやウユキより力が強いと思うよ」と笑いながら話した。アーシャと紹介された従業員の女性はは人懐っこい笑みを浮かべたが、ジャックのセリフには否定を表さなかった。どうやら本当に力には自信があるようだ。 扉を開けてくれた彼女にお礼を伝えて正面玄関からホールに入ると、案内板の指示通り右手奥にあるエレベーターに向かった。左手奥にはレストランがあり、中央には二階ロビーへと続く階段が伸びている。シックな色のカーペットを踏みしめ、普段なら絶対に聴かないオーケストラを楽しみながらエレベーターに乗り込むと二階に上がった。扉が開くと静かな一階とは違い、ロビーは常に賑わっているようで騒がしい宿泊客の声が反響していた。夏になると多くの都会人がこういった田舎町に癒しを求めて逃げてくるのだろう。 ちなみに何故ロビーにやって来たのかと言うと、ジャックが自分の住んでいる部屋を勝手に教えたら母親に怒られるとしかめっ面を作ったからだ。 女神の像の近くまでやって来ると、車椅子を停止させた。ジャックがフロントに立っている男(チェックインの際に俺の対応をしてくれたフロントマンだ)を見て「彼はオーウェンだよ」と教えてくれた。 「悪い人じゃないんだけど、厳しいから従業員はみんなあんまり関わりたがらない」 ここからでは相手に聞こえるはずがないが、ジャックは小声で俺たちに話すと小さく笑みを零した。俺たちもつられて口元を緩めた。するとタイミング良く、ジャックが今日話してくれたベルボーイのナイルが何も載っていないカートを押して目の前を通りがかるところだった。 「ナイル!」と少年が呼びかけると、彼は足を止めてこちらに顔を向けた。 「おかえり、ジャック」 ナイルは一瞬だけ笑顔を見せたが、すぐに険しい顔つきになると、まるで俺たちを観察するようにじろじろと眺めた。荷物を運んで貰っている最中もあまり愛想がいいとは言えなかったが、とてもベルボーイが宿泊客に向ける眼差しではない。 「いじめられてるわけじゃないんだろ?」 冗談とも本気とも取れない彼の問いかけにギョッとすると、ジャックよりも先に首を横に振った。ジャックも彼の発言を笑い飛ばし「そんなわけないよ!」と明るく否定してくれた。本人からの否定を聞き、ナイルの纏う空気は少し和らいだ。 「新しい友達だよ。困ってたら助けてあげて」 「その時に手が空いてたらな」 ヘラリと笑い返すとナイルは早々に切り上げるよう片手を振ってからカートを押し、目的の方向へと歩いて行った。ふとフロントから視線を感じて見てみると、オーウェンが立ち去っていく彼の背中を睨みつけていた。どうやら無駄なお喋りはするなと無言で注意しているようだった。 「アイツってジャックの番犬か何かなのか?」 ユーモアを含んだウヅキの質問にその場は一瞬沈黙に包まれたが、ジャックは彼の言葉なかったものとして扱い、しれっと俺たちに笑みを宛てた。 「ここでいいよ。三人ともありがとう」 「俺たちの方こそ、いい場所を教えてくれて感謝してるよ」 「ねえ、ジャック。明日は予定はある?」 ソフィアの問いかけの意味が分かると、俺も期待というか願いを込めて少年を見下ろした。不思議とこの少年ともっと仲良くなりたいと思っていたのだ。 考える暇もなく首を横に振ったジャックは「残念ながら特に何も」と自嘲的に答えた。 「私たちに付き合ってくれないかしら。あなたが居ればとても助かるわ」 「僕は構わないけど、いいの?この足じゃ迷惑かけるかもしれないし」 「俺たちは迷惑を迷惑と思わないような聖人集団だぜ。一緒に居て気づかなかったか?」 「彼のうるさい話よりも迷惑なものなんてこの世に存在しないわ。だから気にしないで」 半ばウヅキの返事に被せるように言ったソフィアに、車椅子の少年はおかしそうに口元をニヤつかせて肯定を返した。俺たちは顔を見合わせると破顔し、また明日もこの子と町を回れることを純粋に喜んだ。 「それじゃあ、また明日」 「うん、また明日ね」 俺たちはジャックに手を振ると、自分たちの部屋に帰るべくロビーを後にした。
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