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07.雷鳴と豪雨
自分たちの宿泊する部屋に帰ってくると、冷房の電源を消さずに出かけたおかげでひんやりとした冷気が俺たちの体を包み込んでくれた。ウヅキがびっしょりと汗をかいて濡れた黒いカッターシャツを引っ張り、空気を送り込みながら「田舎は都会より涼しいなんてほんとかよ」と文句を垂れた。
都会の暑さの多くは室外機と車から排出される熱のせいだ。そう思えば田舎の方が涼しいという意見に合点はいくが、やはり暑いものは暑かった。
照り付ける太陽がじりじりと肌を焼く感覚は、夏が好きな俺に取ってもたまったものではなかった。それに加えて今日は風が少なかったせいも暑さの原因だろう。
カメラを机に置いたソフィアが長い髪を後ろに縛り、タオルで汗の雫が浮かぶ首元を拭いた。シャワールームで手を洗うと、靴箱上に置かれたアルコールで手を消毒してから俺はソファに腰を下ろした。
「こんなに暑いと一杯キメなきゃやってらんないぜ」
消毒液を手に馴染ませようと擦り合わせるウヅキが、部屋に設置されたコンパクトな冷蔵庫の前で膝を折った。「夕食もまだなのに酒でも飲むのか?」
俺の問いかけは無視して彼が冷蔵庫から取り出したのは、ペットボトルのミネラルウォーターと元からサービスで置かれていた氷だ。ガラスコップに氷をいくつか入れて、冷蔵庫で数時間冷やされたミネラルウォーターを注ぐ。静かな部屋には微かに氷が溶けていく音が響いた。コップを揺らすと氷が更に崩れてカランと音を鳴らした。ウヅキはガラスコップに口を付けると中のミネラルウォーターを一気に流し込んだ。冷水が喉を通り、腹に落ちていき、夏最大の癒しを与える様を見届けながら俺は生唾を呑み込んだ。
「やっぱり夏はこれに限るな!」
茹だるような暑さに苛立ちを見せていた彼はどこかに消え去り、今や清々しい表情で濡れた口元を拭った。俺は我慢できずに立ち上がると、同じようにコップに氷を入れ、ミネラルウォーターを注ぐと一気に飲み干した。体の熱が冷まされていく感覚がこんなに心地いいものなのかと実感出来るのは夏の特権だろう。
「私にも淹れてくれる?」
「かしこまりました、お嬢様」
映画で見る執事のような所作で頭を下げたウヅキはさっさと回復薬を生成するとソフィアに手渡した。
法に乗っ取れば酒が飲めるようになったばかりの年齢というわけになるが、真面目に生きていたわけではない俺たちは初めてアルコールを口にしたのは十四歳だった。それからというもの隠れて度々三人で酒を飲むことはあったし、法的に許可された今も週一の集まりでは必ず酒を飲んだ。だが、俺は気が付いていた。酒を飲むのは大人の行為だ。俺たちは大人の行為に憧れていたに過ぎなかった。酒が好きなんじゃない、三人で飲んでいることが好きだった。だからアルコールだろうとただのジュースだろうと三人で話していれば楽しいし、酔えるものだ。三人で居ることに意味があった。
「今の音、雷よ」
まるで巨人の腹の虫が鳴いたかのような低い轟きが外から聞こえ、俺たちは窓に目を向けた。あんなにも晴れ渡っていた空は今や曇天となり、今にも落っこちてきてしまいそうだった。「まじかよ」とウヅキは囁くと、コップをドレッサーに置いて窓へと近づいた。俺も彼の後に続き、静かに雷が怒りを見せる空を眺望した。
数分もしないうちに雨が降り始め、あっという間に窓を叩きつけるほどの猛烈な豪雨となった。
ソフィアはソファに座り、今日撮影した写真を見返していた。ウヅキはベッドに寝ころび、テレビ番組を観ている。俺はただひたすら窓の傍に突っ立って、降り続ける雨と鳴り響く雷鳴を見聞きしていた。
「初日にこんな豪雨だなんて私たちツイてないわね」
「何言ってんだ、逆だろ?初日にこれだけ雨が降れば後の三日間は朝から晩まで晴天間違いなし!最高にツイてるぜ」
ポジティブな友人の発言に俺は窓の外から視線は外さず口元を緩めた。
後の三日間は朝から晩まで晴天間違いなし。そう信じたかった。
ウヅキの母親が過保護なこともあって、俺たち三人だけでの旅行は今までに一度もなかった。日帰りの遠出すらなかなか許可してもらえないのだし当然のことだったが、初めて三人だけでやって来た旅行だ。最初から最後まで楽しい記憶で彩られるのが理想的だろう。
「ところで相棒。いつまでそこでセンチメンタルになってるつもりだ?」
「別にセンチメンタルになってるわけではないけど。カーテンしめておくよ」
俺が純白のカーテンに手をかけたとき、一際大きな雷鳴が轟き、どこかに落雷したようだった。鼓膜が割れんばかりの騒音と心臓を震え上がらせるような恐怖に、俺たちは肩を跳ねさせて互いに顔を突き合わせた。
「驚いたわ、早くカーテンを閉めて。夕食までにシャワーを浴びなきゃ」
「ああ、そうだな。ソフィからどうぞ」
「ありがとう」
彼女は立ち上がると、部屋の隅に置いていたキャリーバッグから着替えや下着を取り出して、シャワールームの方へと歩いて行った。俺はもう一度荒れ狂っている外の景色を見据え、その現実から逃げるようにさっとカーテンを閉じて自分のベッドへと寝転がった。
雨の日は…、こんなに酷い雨の日は。あの日のことを思い出す。
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