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第19話 百面相
発車のベルが鳴って、がたん、と大きく列車が走りだした。あまり人は乗っていない様子で、程よく静かに走り始める。
景色はすっかり畑と田んぼだけになってしまい、のどかな田舎の風景が広がる。どことなく、実家に近いものを感じ取って、千歳は気が引き締まる思いだった。
「ワープ、できなくて良かった。ワープしていたら、やっぱり心の準備ができないまま、帰っていたかもしれないわ」
「そうですか。心の準備……そうですね、そうかもしれません」
「どうしたの?」
いや、と死神が遠くの景色を見た。
「私たち死神は、人の死の瞬間に立ち会います。その記録を正しく管理するためです。しかし、そこに行くのにこうやって移動して行かなくてはならなかったら、我々は、死ぬ人の人生というものを考えてしまうでしょう」
「人が死ぬのを記録する。それを、一日に何回も繰り返すのよね?」
「そうです。そのたびに、あっちこっちに自分で移動しなくてはならなかったとすると、その人間の生に対して、色々と思いあぐねて、感情が発生する可能性もあります。そうすると、きちんとした記録が取れなくなるかもしれません」
「確かに、毎日何回も、人の死を確認して記録する仕事って……考えて想像するだけで地獄かも」
「私たち死神は、なので人の死があればそこに飛ぶことができます。それこそ、強制的にです。決められた死のスケジュール通りに、記録が済めば飛べるのです」
千歳は、眉をひそめた。
「確かに、感情が無い方がしっくり仕事できるかもね」
「よく考えると、私の仕事も難儀なものでしたね。私はてっきり、人間の方が難儀な人生を送っていることの方が多いかと思っていましたが」
そんなことないでしょ、と千歳が笑った。
「自分だけ苦しいとか、絶対そんなことないもん。自分だけなんでなんでって思っていたって仕方ないし。自分の方が難儀じゃないって、そんなの比べられるもんじゃないわね」
死神は千歳を見つめて、微笑んだ。それは、千歳が初めて見た、死神のまともな笑顔っぽい笑顔だった。
「死神、笑った……」
「そうですか? あなたに感化されたのかもですね。千歳さんは、百面相ですから」
「それ、褒めてるの?」
もちろん、と死神がまじめな顔で言うので、千歳はじっとりと死神の端正な顔を覗き込んだ。表情が乏しい死神からは、感情を読み取るのは難しい。犬や猫でさえ表情があるのに、この死神は全くと言っていいほどに表情筋が動かない。
「ん? 千歳さん、一体何を……?」
「何って、死神の顔を引っ張ってるのよ!」
「なぜです?」
「死神の表情筋の活性化よ! もう少し笑顔になったらもっと格好いいのに!」
「だ、大丈夫です! は、離れて……くださ」
死神が慌てたのが面白くて、千歳は大笑いをした。死神はメガネのブリッジを押し上げて、困った人だとでも言いたげに息を吐く。そして、大笑いする千歳を、しばらくは優しい目で見ていた。
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