第2話 死神

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第2話 死神

「やべ、起きちゃったよ」  アロハシャツが気まずそうに千歳を見つめて、頭をぼりぼりと掻いた。いかにも、遊んでいそうな雰囲気と、謝る気配のなさが気に食わなくて、千歳はにらみつける。  天使にしては最悪だった。そして、天使にしても悪魔にしても、死んだ人の頭上でわいわい騒ぐなんて失礼極まりないと千歳は感じた。 (あれ、死んだんだっけ、あたし……?)  確か、読書をしていて喉が渇いたから、紅茶でも淹れようと思った矢先に、胸に激痛が走った。  そして、意識が飛んで、身体が地面にたたきつけられた時には、すでに生きている感覚がなかった。 (……本当に、死んだ?)  一気に頭が冴えてきて、千歳はふとあたりを見渡した。いつもの自分の部屋。自分のベッド、そしてキッチン。どこにでもある都会のワンルーム。ベランダから差し込む陽の光を確認して右を見たときに気が付いた。――自分の死体に。 「え……いや、ちょっと待って、あたし」  口をパクパクさせながら自分の死体を見る。明らかに、それはまごうことなき自分自身だった。  夢だと思って自分の身体に触ろうとして、身体を自分の手が通過した。今の自分自身が透けていることを理解することができなかった。  冴えているのに、パニックになった頭は完全に処理速度が追い付かずにフリーズした。 「……困ったな、死神。どうにかしてくれよ」  アロハシャツの男が、心底困った顔をしながら千歳を見て、次に隣のスーツの男性にぼやいた。死神、と呼ばれたスーツの男性は、直立したまま眼鏡の奥から千歳をじっと見る。 「私も、こんなことは初めてで。上に確認を取っているんですけど、返事がまだでして」  事務的な会話がまだ続く千歳の頭上。訳が分からないが、自分が泣きわめいていないのは、このあまりにも普通過ぎる会話が千歳の死体の真上で行われているからに過ぎなかった。 「本当はこちらの方が亡くなる予定だったので、あなたが現場派遣されていたんですが、実はこの方が、こちらの方と同姓同名でして……あ、漢字が一緒なんです。ただ、読み方が違っているんですよ。それに気づかず、どこかで手違いが起きてしまって、同じ住所で登録されてしまっていたようです」 「げ。じゃあ、俺が行かなきゃいけなかったのって」 「こちらの八田千歳(はったちとせ)さんではなく、○○県に住む八田千歳(はちだちとせ)さんです。ですが、あなたのせいではありませんので、今、確認していますから。死因は一緒で、心筋梗塞なんですが」  そんな千歳にお構いなしに、二人は相も変わらずの口調で話を続けている。千歳はわなわなと震えながら、冴えわたる思考で二人を観察した。 (つまり、つまりあたしは、何かの手違いで死んだっていうの…?)  二人の会話から察するに、同姓同名のもう一方の千歳が死ぬ予定だったことは間違いない。千歳は血の気が引いた。いや、死んでいるからすでに血はないのかもしれないが。 「待って、あなたたち本当に何なの? あたし、その、死んだんでしょ? それが、同姓同名のその人の代わりってことなの?」  アロハシャツが困って、隣のスーツの男に視線を泳がせた。スーツの男は書類を手に持ったまま、真顔で千歳を見つめた。 「結果的にいえば、そうなんですが」 「はあ!? もう、ちょっとホントにいい加減にして。夢なら覚めて!」  千歳は両手で思いっきり自分の頬をはたいてみたのだが、効果は全くない。そして、悪いことに、肌に触れた感触もなく、痛みもなかった。 「大変申し上げにくいのですが、夢ではないんです、八田千歳(はったちとせ)さん」  頭が真っ白になって、どうしていいかわからないまま呆然とする千歳に、穏やかで事務的な声が降ってきた。見上げれば、きりりとしたまなざしと視線が合う。スーツの男は、しっかりと千歳を見つめていた。 「何なの、どうしちゃったのあたし。あなたたち誰なの?」 「――俺たちは死神だよ」  アロハシャツの答えに、千歳はぽかんと口を開けた。  人を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。  なんで死神が現れて、自分の死体があって、死んだばかりなのに頭上で事務処理のミスの連絡をされなくてはいけないのだ。 「死神って何よ。あたしの命取りに来たのに、間違いだったって? 笑えない冗談よしてよ」 「いえ、半分正解ですが、半分間違いなんです。しかし、その、私たちのミスであなたが死んでしまったのは大正解です」 「要点を言って」  千歳のかみ殺したような言い方に、二人の死神がちょっとたじろいだ。 「あのさ、俺たちは命を取りに来るわけじゃねえ。命が終わる瞬間を記録するために、現場派遣されんだ。そんで、この書類に記入して上に送る。だから、お前の命を取りに来たわけじゃねえ。で、記録しに来たのに、その、言いづれぇんだけど、あんたはこちら側のミスで間違って死んじまったんだ」 「だったらとっととあたしの命返してよ!」  千歳の目から涙が出た。それは、暖かくもなく、頬を伝わる感触もなかったが、確実に千歳は泣いていた。  死んだくらいでは涙なんて出ないと思っていたのに、思っていたよりも簡単に涙が出た。  自分がミスで死んでしまったという事実は、理不尽すぎてさすがに泣けてしまった。 「それが、そう簡単にはいかなくてですね…。私たちにはその権限もありませんし、ミスがまずどこで起きたのか調べなくてはですし、調べがついてら、いろいろと、こう、その人の周りの環境を整備しないといけなくて……」 「なにお役所仕事みたいなこと言ってんの。死神でしょ? 神様なんでしょ?」  二人の死神が、困った顔をした。スーツの死神が「先ほども申し上げましたが、私たちにはその権限がなくて」と繰り返した。
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