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案の定、ツルンと手が滑って、ポーンと万年筆が飛んでいく。
そのとき、ドンガラガッシャーン!と、ものすごい音がして、雷が落ちた。
「ひゃあ!」
思わず声が出てしまった。
ああ、びっくりした。あんなに大きな雷は、10年も生きてきて、人生で初めてだ。
きっと近くに落ちたに違いない。そうだ。今日はこのことを日記に書こう。
今日の夕飯はアジフライでした。すごい雷が落ちました。他には、何も変わったことは起きませんでした。おしまい。
ところが、後ろに飛んでいった万年筆を拾おうと、椅子から立ち上がったぼくの目に飛び込んできたものは、平凡な毎日とはかけ離れたものだった。
「うわああああ!」
雷が落ちた以上の驚き。
いつの間に入ってきたのか、ぼくの部屋に見慣れない人がいた。
いや、人と言っていいのだろうか。身長は結構高く、ナガタ先生と同じくらいだ。
広い肩幅、がっちりとした体格も同じだが、着ているものは青いジャージではなく、まるで水平さんみたいな大きな襟の付いた、青いセーラー服だ。
おかしなのは、首から上だった。
頭には水兵さんの帽子を被っているけど、顔色は真っ黒で、目玉のない金色のボタンのような目が付いている。
目の横に大きな傷があるのが、ちょっと怖い。それに、顔の真ん中には、まるでペリカンのような大きな金色のくちばしがあった。
うん?このくちばし、どこかで見たことがあるぞ、と思ったら、たった今ぼくの手から飛んでいった、万年筆のペン先をそのまま大きくしたような形だ。
ぼくは、パパが変装してふざけているのかと思ったけど、パパだったらもっと太っている。
見たところ、この人のお腹は出ていない。
親戚のおじさんにもこんな人はいないし、一体この人は誰だろう。
「コラーッ」
「ひえっ!」
その人が急に大声を出したものだから、ぼくはまたまたびっくりしてしまった。
「まったく、昔のショータはなっとらん!万年筆を投げ捨てるとは、何事だ」
喋るとカチャカチャという音がする。くちばしは金属でできているようだ。
「ご、ごめんなさい」
慌てて床に落ちていた万年筆を拾う。
でも、今、昔のショータって言ったような。昔のショータって、どういうことだろう?ショータならぼくだけど。
年配の人たちが、最近の子供はなっとらん、って、よく言うのは耳にするけど。
それより、この人はぼくのことを知っているのかな?でも、そうでなきゃママが家に入れたりしないよな。
「いいか、ショータ。道具には、作った人の魂が込められておるのじゃ。道具を大切にしないとバチが当たるぞ」
それはわかっているけど。
「あのう、ところで、どちら様でしょうか?」
ぼくはおそるおそる聞いてみた。道具を大切にすることも大事だけど、人の家に来たら、自分から名乗るのが大事なんじゃないかなあ。
「吾輩か?吾輩は付喪神である」
付喪神?ぼくが、付喪神ってなんだろう、という顔をしていると、その人は、はああ、と、わざとらしい大きなため息をついた。
「はああ。これだから昔のショータはいかんのだ。付喪神も知らないとは情け無い。付喪神というのはだな、古い道具が神様に変身したものじゃ。道具は百年大事に使うと霊力が宿って、神様になる。それを付喪神というのじゃよ。吾輩は、ショータの万年筆の付喪神であるぞ」
神様だって?
神様が、こんな青いセーラー服なんか着て、くちばしを付けているかなあ?
それに神様だなんて言われても、信じられるはずがない。
これはきっと、ママがぼくを驚かそうとして、知り合いの人にでも頼んで変装してもらったんだろうな。
おじいちゃんからもらった万年筆を大事に使わせようと思って、こんな手の込んだことをしているんだ。
ぼくは大きなため息をついた。
まったく、ママったら、ぼくのこといつまでも子供だと思っているんだから、やんなっちゃうよな。
「そんなこと言ったって、騙されませんよーだ!」
ぼくは、化けの皮を剥いでやろうと思って、エイっとくちばしを掴もうとした。
「あれ?どうなってるんだ?」
なんと、硬い物に触れると思ったのに、ぼくの手は宙を掴んだだけだった。
確かに手とくちばしが重なっているはずなのに、触っているという感触が全然ない。
それどころか、もっと驚いたことには、手をブンブンと振って動かしてみても、体があるはずの空間をすり抜けていっただけだった。
ということは、この人は本当に神様?
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。少しは信じる気になったかの?まあ、信じられないのも無理はないわい。手にしたばかりの万年筆の付喪神が現れたといっても、誰も信じないじゃろうからな。どうして吾輩がここにいるのかいうと、これはまったくの偶然なのじゃが、さっきの雷のエネルギーによって、百年後の未来から過去にタイムスリップしてきたのじゃよ」
古い映画で、雷のエネルギーを利用してタイムスリップをするものを見たことがある。
にわかには信じられない話だったけど、一応辻褄は合っている。
ぼくは床に落ちた万年筆を拾った。
「もう少し説明が必要なようじゃの。今言った通り、吾輩はその万年筆の付喪神じゃ。未来のショータは、一生吾輩を大事に使ってくれたのじゃ。ずっと吾輩を使って日記を書き続けてくれたのじゃよ。もちろん、ショータ一人で百年使ったわけではないぞよ。ショータが年を取ったとき、吾輩はショータの子供に受け継がれた。そのときショータは、こう言って吾輩を子供に渡したのじゃ。これは父さんが一番大事にしているものだよ。だからおまえも大事に使ってくれよ、とな。吾輩は、それを聞いたときには感動したぞよ。ショータの持ち物で良かったと、心底思ったものじゃ。その子もまた、大切に使ってくれて、毎日吾輩で日記を書いてくれた。吾輩はショータたち親子に大変感謝したのじゃ。そのことがきっかけになって、付喪神になることができたのじゃよ」
ぼくは手に持った万年筆を見た。まだ新品の、真新しい、傷一つない、青色の万年筆だ。
おじいちゃんは大事に使えば一生使えると言っていたけど、本当に百年ももつんだろうか?
「じゃ、じゃあさ。ぼくが君を使って毎日、日記を書いていたと言うなら、君はぼくの一生を全て知っているはずだよね。だったら教えてよ。ぼくは大人になったら、パイロットになれるかな」
付喪神は、ちょっと困ったような顔をした。丸いボタンのような目が付いているだけだけど、なんとなく表情がわかる。
「うーん。確かに吾輩はショータのことなら何でも知ってはおるが、それは言えんのう。未来のことは、言ってはならんことになっているからのう」
そういう話はSF映画なんかでよく聞く。未来から来た人が過去に介入してしまうと、未来が変わってしまうのだ。でも。
「今、子供に受け継がれたって言ったじゃない」
「あ、しまった」
あ、しまったって。神様なのに、うっかりしてるなあ。
「でも、それじゃあ君が未来から来たってことは信じられないな」
「では、教えてもいいことだけ教えてしんぜよう」
「なになに?」
「明日の朝ごはんは、卵かけご飯じゃ!」
ぼくはガッカリした。そんなこと言われなくたってわかっている。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。まあ、そう焦るでないぞ。未来は嫌でもやってくるからの。まあ、せっかくなので、しばらく居座らせてもらうぞよ。昔のショータには、道具を大切に扱うことを学んでもらわねばなんようじゃからの」
「そんなことわかってるよ」
ぼくはもう子供じゃないんだから。
「あ、そうそう」
「なに?」
「ママがやってくるぞ」
「え?」
そのとき、廊下をバタバタと歩く音がして、ママが近づいてきた。
大変だ。ママが付喪神を見たら、何て言うだろう。
バタンとドアが開いて、ママが部屋に入ってきた。
「もう、ショータ。さっきから何を一人で騒いでいるのよ」
「え?う、うん。日記に書くことが思いつかなくて、それで、うーんと考えていたんだよ。声が出ちゃってたかな」
なるべくママの注意をぼくに向けとかなきゃ。と思ったけど、無駄な努力だった。
付喪神は、あろうことかわざわざぼくの隣にやってきた。
あっちゃー。完全にママに見られてしまう。
でも、ママの顔が驚きの表情になるかと思いきや、ならなかった。
「日記は作り事を書くものじゃないのよ。何を書こうかなんて考えるまでもないでしょ。ちゃんとありのままを書きなさい。それより、早くお風呂に入ってきなさい」
そう言ってママはドアを閉めて出ていった。
あれ?付喪神に気づかなかったのかな?
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。付喪神は持ち主にしか見えんぞよ。声も聞こえんから、安心してよいぞ」
なあんだ。心配して損した。
こうして、その日から、ぼくと付喪神の奇妙な共同生活が始まった。
この付喪神、ぼく以外の人には姿も見えず、声も聞こえないとはいえ、いささか厄介だ。
「ほらショータ。朝ごはんを食べるときにキョロキョロしないの。さっさと食べないと遅刻するわよ」
ぼくがパパとママと一緒に朝食を食べていると、「ほう、これがアレか。ふむふむ」とか言いながら、食卓の周りをウロチョロするものだから、気が気でない。
「ほう。これが卵かけご飯か。吾輩は何度卵かけご飯と書かされたものやら。実物を見るのは初めてだぞい。どうせ明日は納豆と書かされるんじゃろうが。一つ明日は納豆見物といこうかの。ふぉ、ふぉ、ふぉ」
なんてことを言いながら、付喪神がお茶碗の中を覗き込んでくるものだから、食べにくいったらありゃしない。
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