あわてんぼうのぼくとうっかりもののつくもがみ

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 9月○日、今日は特別な日でした。いつもと違う、特別な日でした。  首を長くして待ち望んでいた日が、とうとうやってきた。  長い、長い、十年間だった。  小学四年生の二学期の始め、ぼくはようやく十歳の誕生日を迎えた。 「ハッピバースデー、トゥーユー。ハッピバースデー、トゥーユー。ハッピバースデー、ディア、ショーター。ハッピバースデー、トゥーユー」  キリンほどには長くならなかったけど、幼稚園のころと比べると、だいぶ成長した首を伸ばして、ケーキの上で揺れる10本のロウソクの炎めがけて、フウっと息を吹く。  今日はぼくの10回目の誕生日だ。誕生日というと、誰にとっても特別な日だと思うけど、今日は取り分け特別なんだ。  だって、ぼくの10歳の誕生日なんだから。  記念すべき10歳の誕生日は、9歳までの誕生日なんかとは、絶対に違う。  なにしろ、10歳は20歳の半分なんだから。  10歳は大人の半分だ。ぼくは今日、大人への階段を一歩登ったんだ!  外はさっきから雲行きが怪しく、はっきりしない天気。  雨が降るなら降るで、さっさと降ってほしいと思うんだけど、それでもぼくの誕生日が記念すべき日であることには変わりない。  いつも帰りが遅いパパも、今日は早めに帰って来た。  普段は別々に暮らしているおじいちゃんとおばあちゃんも、ケーキを持ってやって来た。  食卓には、あまり料理が得意ではないママが、腕を振るって作ってくれた、豪華な料理が並んでいる。  骨の付いた唐揚げ、フライドポテト、トローリとしたチーズのピザ。みんなぼくの大好物だ。 「ショータ、お誕生日おめでとう。これはおじいちゃんからのプレゼントだよ」 「わああ。おじいちゃん、ありがとう。なんだろう?ぼくだけのスマホかな?パソコン?それとも、サングラス?」  ぼくは早く大人になりたい。だって大人になれば、いくらでも自分のスマホでゲームができるし、夜更かししても怒られないからだ。  ぼくはサングラスをかけたカッコいい大人になって、毎日好きなフライドポテトを食べるんだ。  そして、飛行機のパイロットになる。  ぼくはパイロットになって、世界中を飛び回るつもりだ。 「はっはっは。そういうものではないけど、とても大人っぽいものだよ」  そう言っておじいちゃんが渡してくれたのは、細長い箱だった。  色は青で、真ん中あたりに金色で英語の文字が書かれている。  大きさからすると、腕時計だろうか?だとしたら、大人がしているようなカッコいいのがいいな。 「ショータが大人っぽいものがいいと言っていたからね。今すぐ開けてごらん」  中には、箱と同じような青色の、ちょっと太めのペンのようなものが入っていた。  キャップのところに金色の金具が付いていて、お尻のところも同じように金で縁取られている。  見た目はカッコよかったが、ぼくはちょっぴりがっかりした。パパがこんな感じのボールペンを使っているのを見たことがあるからだ。  大人向けだとは言っても、ボールペンはボールペンだ。中身はぼくの筆箱に入っている、ノック式のものと変わりがない。  そう思って、手に取ってキャップを外すと、見たことのない、鳥のくちばしみたいな金色のペン先が付いていた。  なんだ、これ!ボールペンじゃないぞ! 「カッコいいだろう。これは万年筆といって、大人が使うペンなんだ」 「万年筆!?何それ、カッコいい!」 「大事に使えば、一生使えるペンなんだ。それで万年筆っていうんだよ」  そう言っておじいちゃんは、万年筆の使い方を教えてくれた。インク壺を取り出して、ペンの先っぽをインクにつけ、お尻のところをクルクル回して、チューっとインクを入れた。  うわあ、ボールペンとは全然違うぞ。これは完全に大人のペンだ。それも、クールでカッコいい大人の持ち物だ。 「万年筆は、お手入れが肝心なんだ。万年筆にとって、一番いいお手入れは、毎日これを使って書くことなんだよ。毎日使っていると、ショータの書き癖を覚えて、どんどん書きやすくなってくるんだよ」  ぼくのクセを覚えてくれるだなんて!これはもう、ぼくのパートナーだ。ぼくの相棒だ。最高の誕生日プレゼントじゃないか!  10歳の誕生日。特別な日。ぼくは、大人への階段を一気に駆け上がった。  おじいちゃんたちが帰った後で、ぼくは早速、万年筆を使ってみた。  あまり力を入れなくても、ペン先が紙の上をするすると走っていく。とっても気持ちがいい。  毎日書くといいとおじいちゃんが言っていたので、ぼくはこの日から日記をつけることにした。それだって、大人の人がすることみたいでカッコいい。  新しいノートを一冊おろして、最初のページから書き始めた。  10歳の誕生日が、ぼくにとってどれだけ特別な日になったかということ、ケーキにご馳走、ぼくの相棒になった万年筆のこと。  ぼくは興奮して、その日の分だけで、2ページも書いた。  その日から、ぼくは毎日、日記を書いた。その日一日の出来事を、朝、起きたときから順番に書いていく。  例えば、こんな感じだ。  9月◯日、今日は朝7時に起きた。朝ごはんは、白いごはんに、納豆と味噌汁を食べた。学校に行ったら、ヨウタ君とユウヤ君と一緒に遊んだ。給食は、パンにクリームシチューに野菜サラダに牛乳だった。算数の宿題が出た。モンブランクエストというゲームをやった。夕食はカレーライスだった。  でも、三日ぐらい書いたら飽きてきてしまった。  これは三日坊主といって、日記を書こうとする人にありがちな悪いことだとは知っているけど、ちょっとしょうがない気もする。  だって、ぼくは毎朝必ず7時に起きる。その時間にママが起こしにくるからだ。  ママが作る朝ごはんは、いつも納豆か、卵かけごはんのどちらかしかない。昨日が納豆なら、今日は間違いなく卵かけごはんだ。  味噌汁の具も、いつもわかめとお豆腐だから、書かなくてもわかる。  ぼくとヨウタ君とユウヤ君は、仲良し3人グループだから、ぼくが遊ぶのはいつもこの二人だ。  給食のメニューは毎日変わるけど、これは献立表にあらかじめ書いてある。  担任のナガタ先生は、毎日、算数か漢字のドリルを宿題に出す。今日が算数なら明日は漢字だ。  ここのところぼくは、家に帰ったら、毎日モンブランクエストをやっている。まだクリアするには当分かかりそうだから、明日も明後日もモンブランクエストだ。  夕食のメニューも、一週間も書いたら元に戻ると思う。ママはそんなに料理が得意ではない。一週間に一回ぐらいはカレーライスが出るのだ。  要するに、ぼくはほとんど変わりばえのしない生活を送っているのだ。  日記というのは、後でそれを見たときに、ああ、そういえば、あのときこんなことがあったな、あんなことがあったな、というふうに、いろんな出来事を思い出すようなものだと思っていたけど、これでは日記をつけるまでもない。  明日の日記だって今日中に書けてしまえそうだ。  急にヨウタ君が遠くの学校に転校してしまうことはないし、ある日、ユウヤ君が魔法の絨毯に乗って登校してくることはない。  突然ママが料理に目覚めることも、パパが新しいゲームソフトを買ってくることもない。  ぼくの人生で変わったことといえば、最初の日に書いた、誕生日プレゼントに万年筆をもらったということぐらいだ。  今日もぼくの一日は、異世界から突然現れた魔法使いに、世界を救う勇者に選ばれることもなく、実はどこかの国の王子様だったという秘密が明かされることもなく、ぼくがぼくのまま、平々凡々に過ぎていった。  さっき食べた夕食は、アジのフライとキャベツの千切りだった。きっとスーパーでアジの特売があったのだろう。  日記を見るまでもなく、昨日の夕食も同じメニューだった。  ぼくは、机に向かって日記を開いたはいいものの、書く気がまったく起きなかった。  だって、ぼくの人生、これっぽっちも変わったことが起きないんだもん。  これというのも、ぼくが子供だからだろうな。早く大人になってパイロットになりたいな。  そうすれば、いろんな国に行って、いろんなものを見ることができる。  パパはサラリーマンは退屈だと言っているから、ぼくはサラリーマンにはならない。  窓の外は真っ暗で、ひどい天気。さっきから土砂降りの雨が降っている。おまけにゴロゴロと雷まで鳴っていた。  時々、鋭い雷光とともに、ピシャッという大きな音がして、どこかに雷が落ちていた。 「あーあ。日記に書くようなことなんて、何にもないや。どうせ明日もいつもと同じ一日なんだもん。何か変わったことが起きないかなあ」  ぼくは退屈して、手に持っていた万年筆をクルクルと回し始めた。  一学期のぼくたちのクラスでは、ペン回しが流行っていた。  担任のナガタ先生は、いつも青いジャージを着ている、背の高い男の先生だ。  若い頃はレスリングの選手だったらしくて、声がでかい。  オリンピックの候補生だったって言っているけど、本当かな?  ぼくたちが授業中にペン回しをしていると、「コラーッ」って怒られる。  それでも、先生が見ていないときにクルクルとやる。  たまに失敗してペンが飛んでってしまうと、また「コラーッ」と怒られる。  ぼくたちがあんまりやるものだから、二学期からは、授業中にペン回しをしたら、ペンを没収すると言われた。没収するとは、先生がペンを取り上げちゃうということだ。  ぼくはまだ下手くそだから、授業中にはやらない。  でも今は家だから、クルクルとやる。  初めて回すペンは、コツをつかむまでは回しにくい。 「あっ」
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