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敗戦・・・
文字のまま・・・
あちこちに焼け野はら、
餓えた人、親を亡くした子供、
(どうなる日本・・・)
そんな不安を
「やるしかないわ!」
強烈な勢いで一人一人が
立ち上がった。
その中で、僕は
自分の両親を少し見直していた。
遊郭の女達を死なせまい、
餓えさせまいと必死に戦い、
昭和二十年九月
「自由にしてエエで」と
廓を閉じた。
それから二人は計算したように
相次いで病死・・・。
僕は京都の大学で
研究者として暮らしていたが
主任教授の娘婿として養子に入り
苗字を棄てて
” 紫海楼の息子 “ から
開放された。
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