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『波留、わたし結婚することになった。今度の土曜日、彼をうちに連れていくから予定空けておいて』
ゆらからの着信にぐっと胸を詰まらせ、三コールほどそのままスマートフォンを震えさせた後、ようやく俺は電話に出た。久しぶりに聞いたゆらの声は、甘さを残しながらもしっとりとした、落ち着いた大人の女性の声になっていた。俺が三十代も半ばに差し掛かっているのだから、ゆらだってもう立派な大人だ。
『波留、聞いてる?』
「ごめん、ちょっとびっくりして。そうだよな、ゆらももうそんな歳になるんだな」
『そんな歳って何よ。波留より早く結婚することになるなんて思わなかったけど。波留は? いい人いないの? そろそろもらってくれる人いなくなるんじゃない?』
「うるさいな、余計なお世話だよ。土曜日、実家に行けばいいの?」
『うん。詳しくはまた連絡するから、とりあえず予定だけは空けといてね。それじゃ』
言いたいことだけ言って一方的に切られた電話を見つめる。祝福の気持ちに、ほんの少し混ざる嫉妬。それは珈琲に垂らしたミルクのよう。ほんの少しの量でもあっという間に濁って、まったく別物のようになってしまう。目を閉じたらあのときのゆらの声が、甘く掠れる声で俺の名前を呼んだあの声が聞こえてくるようだ。
ゆら。お前はあのときどんな気持ちでいたんだ? 俺はきっとそれを永遠に確かめることはないだろう。
そういえば、おめでとうって言ってなかった。今度会ったときに、俺は心からその言葉を言えるだろうか。
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