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 朝になった。武藤はまた夢を見ていた。悪夢だ。その悪夢が終わり、目を覚ますと、目の前には麻奈美がいた。武藤の布団の上に座っている。薄うピンクの服に変わっている。ワンピース姿だ。しばらく麻奈美は武藤の顔をのぞいた。武藤は動けなかった。麻奈美はにっこりと笑った。 「なんでうちに来た?」  麻奈美が武藤に心の中で問いかける。武藤は目だけ動かす。麻奈美はじっとしている。何か感情を読み取ろうとしているのかもしれない。 「こいつ」  はっとした顔をした麻奈美はそのまま、白木に殴られていた。拳を握ったままである。容赦がない。 「おまえ、使い魔ではないくせに」と真奈美は顔をおさえる。 「まあな」 「ふん。何が面白くてこんなことをするか、おまえにはわからないだろう」  白木は黙っている。白木は宙に浮いている。麻奈美は静かにため息をついた。 「警告する。私に関わるな」 「ならば、なぜ来た。男の風呂を覗いていたのはおまえだろう」 「だとすればなんだ」 「なぜ関わるなといいながらちょっかいを出す」  ふん、と麻奈美は言った。そのまま砂が崩れるように麻奈美は消えていった。武藤の体はようやく自由になり、最悪の目覚めの朝になったと気がついた。 「無事か」 「ああ」  危機感がないのか、武藤の声は平坦なものだった。白木は何もいわず、ため息をつかずに「そっか」と言った。武藤は立ち上がり、布団を片付け、歯を磨き、顔を洗い、髪を解かす。 「髪一本やればよかった」  鏡の前でそんなことをぼやく武藤がいた。  武藤に来客が来ていた。武藤の居間に黒いスーツ、サングラスをかけた若い女がいた。若い女は茶を飲みながら、武藤の報告書を読んでいる。サングラスを取ると、女は平凡な顔をしていた。美人というより親しみやすい顔の女だ。 「報告書を見ました。これは未報告の案件だと判断しました」 「はい」 「よく見つけられましたね。もしかしたら、動くかもしれません。家が相手にばれた以上、危険ですから気をつけて下さい。あちらとこちらが干渉し合う場所ですから」  サングラスをかけた女は口元だけ微笑んだ。目の表情はサングラスでわからなかった。一応と言って、女は立ち上がり、壁に向かって何かをつぶやいた。何かが浮かび上がる。 「入れないようにはしましたが、保証はできません。くれぐれも気をつけて。スマホの電源はずっとオンにして下さい」  武藤は頭を下げた。女は武藤の肩をたたいた。軽く、である。女の華奢な手が武藤に暖かな何かを伝えるようだった。 「白木によろしく。では」  そう言って、女はいなくなっていた。報告書もいつの間にか消えていた。  麻奈美はチョークを持って地面に書いていた。麻奈美の真剣な顔から声をかけるものはいない。ただのいたずら書きに見えているが、“目”を書いていた。子供らしき顔に、目玉を書いていく。その目玉がぎょろりと動いたように見えたのは錯覚か、それとも事実か。それは麻奈美しかわからないことだ。 「麻奈美、帰ろうか」 「お父さん。お仕事は」 「ああ。これからまた戻らなきゃいけないんだ。悪いんだが、お家にいてくれないかな」 「わかった」  麻奈美は絵を蹴った。チョークで書かれた子供の絵は消えていたが。目玉はどこか消えていった。麻奈美はただ、それを見つめていた。  数日経って、子供が消える事件が起きたと新聞で伝えていた。その子は幼稚園生で小学校の入学を控えていたらしい。母親がいたが、友人と話し込んだらしい。SNSでは母親を責める言葉がつづられていた。武藤はそんなニュースを新聞で読んで知った。武藤は何も言わない。  ただその事件は閑静な住宅街のA町で起きたと書かれている。 「白木。行くぞ」  武藤はつぶやいた。白木がいる気配はするのか、武藤にはわからないが、財布を持って歩き出す。  急に暖かくなった。日差しが強い。風も強い。心なしか武藤はそわそわした気持ちになっていた。武藤の気持ちも知らずに桜のつぼみが膨らんでいく。  道路には子供が描いたいたずら書きが書かれている。武藤はなんとなく目をとめていた。黄色のチョークで男の子、赤いチョークでなにやら、四角い電車のようなものを描いている。絵心のない武藤でもこれは子供が描いたものだとわかる。 「おっ」  祐樹が手を振る。明るく笑っているので元気だと武藤にはわかる。 「テレビが来ていたな」 「どこに」 「さっき。神社で、あそこから子供が消えたって」 「不審者か」 「おまえな。怖いことを平気で言う。迷子かもしれないが、まあそうかもしれない。男の子が好きな変態かも」 「変態」  武藤はぼんやりとつぶやいた。ゆっくり歩き出す。 「どうした武藤。どこに行く」 「テレビがいるか、見に行く」 「あっ、そう。気をつけろ。じゃあこれ」  はちみつのど飴と書かれたものを二個、武藤に渡してきた。武藤はさっそく口に入れる。蜂蜜とのど飴のつんとした苦い味がした。武藤が食べているのを確認して「気をつけろよ」と柄にもなく、真剣な顔つきで言ったのだ。 「ありがとう」  武藤はテレビクールがいた場所に向かう。 「おい。大丈夫か。また面倒くさいことになるぞ」  白木が言い出す。白木はそれ以上言わない。慌てた様子だった。武藤はそんな白木を見つめていた。 「心配してくれるのか」 「いいぜ」  何がいいぜ、なのかわからない武藤に、白木が顔を寄せてきた。白木の顔と武藤の顔の距離がなくなったとき、武藤は驚いた顔つきにかわった。武藤はしばらく白木を見つめている。 「やりたいならやりな」  それだけ言った白木はもう姿を消していた。武藤は自分の唇を触った。 「ゲイではないんだが」  珍しく武藤の声に驚きがあった。武藤は辺りを見回した。誰もみていないことを確認して、歩いていく。神社である。広い土地に遊具が設置されている。大きな神社に出迎えられた武藤は手を清め、願い事をする。  それが終わると、遊具に来た。じっと見つめれば、神社は土である。植木が植えられ、人の胴より大きい木が一つ植えられている。御神木だろうか。砂地を歩いていく。小さな神様を祭っているところも見受けられる。絵馬を飾るところなどあり、普通の神社だろう。  テレビクールはもういないようだ。人の気配もしない。じっとしているとあるものがあった。武者の銅像に落書きがある。スプレーだ。銅像と一瞬目があった。 「ひどいことをなさるの」 「はい」  老人がいた。老人はバケツを持っている。空色のバケツは使い込んだのか薄汚れている。老人は背をピシャリとのばして、武藤を見つめていた。 「どうじゃ。ボランティアというのは」 「はあ」  どういうことをするつもりかは、武藤なりに予想はついた。しかし、武藤は逃げながった。 「君も、野次馬の一人だろう。残念なことにテレビマンはいない」 「はあ」 「老いぼれと君だ。はい」  雑巾を渡された武藤は、洗剤を持った老人と一緒に落書きを落としていく。洗剤を含ませた雑巾に汚れた部分だけつける。 「大丈夫ですか」 「なにが」 「銅像に洗剤をつけて」 「まあ。細かいことは気にするな。新しくできた銅像だから大丈夫」  武藤は夢中になって銅像の汚れを落としていた。チョークで書かれたいたずら書きがあったことに気がついた。それを拭こうとした。まずカラ拭きをして、あらかた落としてから濡れ拭きをする。 「感心な若者だね。歳いくつ」 「二十七です」 「若い。彼女いるのか?」 「いません」 「もったいないのお」 「?」 「若いものはもっとガツガツと。流れるままでは時勢をつかめんから。自ずと動いた方がいいよ」 「……」 「しらけたわ」  武藤は黙って手を動かす。ようやく日が傾いて、銅像がきれいになった。やれやれと言ったら、また老人に捕まった。 「うちに寄らんか」 「いえ。買い出しに行かないと」 「茶ぐらい淹れる。飯も作る」 「いえ」 「ちょっと待て。なぜ嫌がる」 「嫌がってないです。仕事があるんで」 「仕事? しているのかい」 「はあ。物書きです」  老人は「じゃあ余計においで。見せたいものがある」と言い出す。老人の家に無理やり連れてこられた武藤は、通された居間にチョンッと座っていた。小さくなりながら、お茶をすする。緑茶である。浅漬けのきゅうりが出されている。楊子でほどよく浸かったきゅうりを小気味良い音で、武藤は噛み砕く。 「今日は目玉焼きに、ハムとサラダじゃ」 「洋風なんですね」 「和風も作るぞ」 「それにしてものどかな場所ですね」  庭先には柿の木が黒く、細い枝をのばしている。庭には花植えられ、水仙が今、咲こうか咲くまいかという微妙な案配である。植えられたパンジーはまだ咲かないと老人は言う。 「それで見せたいものは」 「まず飯じゃ」  脳天気な老人が言った。食事をしていると老人はテレビをつけた。ワイドショーになり、またA町の子供の話になっている。武藤もそれとなく見つめている。レタスを食べながら、老人を観察する武藤に老人はにっと笑った。 「なんで連れて来たと思う」 「さあ」 「面白いものじゃから見せたくて。ばあさんがいたらびっくりだな」 「びっくり?」  うふふと不気味に老人が笑っている。機嫌がさらによくなったのかもしれない。 「まあ、楽しみにしなさい」
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