別れのとき

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      ♰  母が眠る墓の前に新しい花が供えてあった。道哉だとすぐに気づいた。  明日、道哉とまみちゃんはここを離れて誰も知らない土地へ行く。たぶんその報告に来てくれたんだろう。  圭介が退院してほどなく、一度だけ道哉が新居へやってきた。  まみちゃんの様子を聞いた。  ――今はすごく落ち着いてる。退院してからの、俺との未来だけを考えてる。  繊細で激しいまみちゃんには道哉がそばにいる、そのことがすべてなのかもしれない。      +    「ただいま」  道哉とまみちゃんが帰った頃を見計らって帰宅した。 「おかえり」  声と水音が一緒に聞こえてきた。圭介はキッチンで客用のソーサーとカップをぎこちない手つきで洗っていた。 「まみちゃん、どうだった?」 「うーん。かなり緊張してたみたい。倒れないか心配になっちゃった」  おかしな人だ。自分を傷つけた人間を気遣うなんて。 「帰り際、また絶対会おうって声掛けたんだけど道哉くんなにも言わなかった。本当にもう俺たちに会わないつもりなのかなあ」 「さあ、どうだろう」  圭介と並び、洗い終えたカップを布巾で拭く。ふたりが手をつけなかったクッキーとチョコレートは缶に戻した。 「先のことはわからないよ。でも信じていようよ」  使った台布巾を濯ぎながら言うと、圭介が目を瞬かせて私を見た。濡れた手のまま私の肩を掴む。ちょっと、と抗議の声をあげたら抱きしめられた。 「心菜はいつから未来を信じるようになったんだっけ」  右手に台布巾を持ったまま、私は圭介の胸に頬をくっつけた。 「だから、圭介と結婚したからよ」  たぶんこのやりとりは三日に一回やっている。他にもいくつかお約束のやりとりはあるけれど、まあ、それは私たち以外の人にはとても退屈で、恥ずかしくさせるようなものだから言わないでおこうと思う。 「今日も遅くなるけどごめんね」  圭介の肩越しから掛け時計を見上げて謝る。 「心菜の未来のためだろ。我慢するって」 「ありがとう」  大きな変化はもうひとつあった。  私は夢を持った。料理を作る仕事をすることだ。  お弁当屋さんでもデリバリーでも、ワークショップでもいい。誰かに優しい食事を届ける仕事がしたい。  替えのきかない人間になりたいと、ずっと思っていた。その方法はすぐ近くにあったのに、料理を作ることは責任だと思い込んできたから、それが特別なことだと圭介が教えてくれるまで気づかなかった。  過ごしてきたこれまでの時間は、今の私に出会うためにあった。捻じれときに逆さまになり世界が歪んで見えたとしても。今なら分かる。この先は、まだ始まっていない、どうとでもなる未来だけに焦点を当てて圭介と共に歩こう。 「結婚式、楽しみだね」 「ほんとだね」  同じ季節の同じ日、同じ岬のチャペルで式をあげる。  今度は私たちだけじゃない。大切な人たちを招待して幸せを共有する。私と圭介の想いだけじゃなく、でそう決めた。 「また心菜のドレス姿を見られると思うと興奮しちゃうな」 「っていうかみんなにも見られちゃうんだよね、」  “罰ゲーム”を脳裏に描いて重い溜息をつく。 「マジで楽しみ! みんなに心菜がどんなに綺麗か見てもらえる!」 「……ねえ、人のことより自分のこと。最近太ってきたけどタキシード着られるの?」 「大丈夫、大丈夫。ベッドの中で心菜と一緒に運動するから」 「私、関係ないじゃない」 「まあまあ、連帯責任ってことで。じゃあさ、朝起きたとき――――」  この先はまた馬鹿馬鹿しくて愛しい、いわゆる“イチャイチャ”タイムへと続く。お約束だ。もちろん、私は素早く逃げるのだけど。   【第五章おわり~エピローグへ】
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