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別れのとき
私を見るたびに怯え、顔を覆って震えるまみちゃんに「圭介は大丈夫だから」と伝えながらも、しっくりこない想いがあって、それがなにかをずっと考えていた。なぜ私は、望まれてもいないのにまみちゃんに会いに行くのか。とうとうその理由に行き着いて、あの日、勇気を出してまみちゃんに伝えた。
「私、女の子の友達がいないの。いつの間にか、気づいたらね、いなかったの。まみちゃんが私に優しくしてくれたとき嬉しかった。くすぐったかった。なのにうまく態度に表せなかったの。それからね、道哉にカノジョが出来て、それがまみちゃんで良かったって本当に思ったのよ。そのことも伝えられてなかったよね。もっとたくさん、話せたらよかった。私が、道哉とまみちゃんの間に入ってふたりを仲直りさせたかった。今になったらね、私にはそれができたのにってわかるの。なにもしなくて、……ごめんね」
「どうして、そんなこと、いうんですか」
まみちゃんは蒼白の顔を私に向けた。
「もっと、せめてください。わたしは、ひどいことをしたのに」
「まみちゃんだけが悪いんじゃないの」
「わる、い……、のは、わたし、です」
「私も悪いの。まみちゃん、私たち、同じように苦しんだのよ」
「くるしめて、ごめんなさい……」
「そうじゃなくて」
もどかしくて、早口になる。
「まみちゃんも十分傷ついてる、って言いたいだけなの。謝ってほしいわけじゃなくて」
「きずつけた、わたしは、あのとき……」
まみちゃんが自分の両手に目線を落とした。私は慌てて声を張る。
「それはいいのよ、もう。大丈夫なの」
喉が詰まりそうになりながらまみちゃんに語り掛けた。
「私が勇気を持って人生と向き合っていたらこんなことになってないから、だから」
出来事は過去と繋がっている。事実だけを見て白か黒かを判断していたら同じことの繰り返しになる。そのことをどう伝えたらいいのだろう。
「未来のために、私たちには出来ることがあって、そのことをちゃんと話したくて私――」
「わからな、い……、わからな……」
まみちゃんは肩をあげて耳を塞ぎ激しく左右に首を振った。
「だ、だ、だ、だ、だ、だ、だだだだだれか、だ、だだ、だ……」
見守っていた道哉が思わず立ち上がってまみちゃんの名を呼んだ。私もつられて立ち上がった。
「まみちゃん、もう自分を責めないで。お願い。圭介がそう言ってるの。まみちゃんのこと心配してるの。私も」
立会人と看護師が取り乱すまみちゃんの腕を押さえて面会の終了を告げた。
「ちょ、ちょっと待ってください、もう少しだけ――」
「いい加減にしてください」
「あ――、まみちゃんっ、ま――」
まだ大切なことを何も言えていない。けれど私はひとり、無理矢理廊下へ出された。ドアが閉まる一瞬、視界から消えていく私にまみちゃんは顔をくしゃくしゃにして泣きながら、安堵するように肩から力を逃がした。
私の声はまみちゃんには届かないし、いらないことを悟った。
この日の帰り道だった。
道哉はひとつの決意を口にした。
「ここを離れようと思う。まみが退院できたら、圭介に謝りにいってけじめをつけて、新しい土地で生きていこうと思うんだ」
「そっか」
私はただ、聞いた。冷たい雨が降っていて、傘に当たる雨音とすれ違う車の走行音に意識を半分あずけていた。
「まみは人を傷つけることに慣れてない。おまえらが許しても解決しないんだと思う」
「うん」
「せっかくまみを楽にしようと謝ってくれたのに、悪い。けど何年先か、何十年先か、時が解決してくれたらと願う。それまでおまえとも圭介とも会わない」
「うん」
人は、哀しい。取り返しのつかないことは人生の中でそう多くはないのに、自分が決めてしまったら最後、心は閉じて動かなくなる。私がそうだった。嫌われて傷つくくらいなら誰とも深く関わらないと決め、そうしていれば安全だと信じていた。でもそうじゃなかった。何もしないことが自分や大切な人を守ることにはならない。
「たとえこの先一生会うことがなくてもおまえは俺の親友だから。元気でやれよ」
「そっちもね」
私はさばさばと言い放つ。
恋人でも家族でもないけれど道哉の幸せは自分の一部だと言い切れる。会えないことは重要じゃない。
「行先は伝えないで行く。いいよな」
「うん、いいよ」
どこかで人生を楽しんでいてくれたらそれでいい。だけど可能性はゼロではないから、いつか笑って会える日がくると期待はしていよう。まみちゃんが自分を許して、許されることに甘えられる日が来るまで。
「ココ、幸せでいてくれ」
「……」
涙はどうしようもなく、頬に落ちた。空は私たちの別れを見守るために雨を降らせたのだろうか。晴れていたら、たまらずに歪んでぐしゃぐしゃになった表情を傘で隠すことはできなかった。
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